ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『TAJOMARU【タジョウマル】』

2009-08-14 23:05:33 | 新作映画
----これって『羅生門』と同じく
『藪の中』がモチーフになっているんだって?
「うん。『羅生門』では三船敏郎が演じた多襄丸を主人公にした完全オリジナルストーリー。
『傷だらけの天使』『異人たちとの夏』市川森一
脚本に参加して作られたというのも話題になっている。
でもオリジナルと言っても、
もともとの話にあったエッセンスは生かされていて、
“真実はひとつ。
でも、人によって観た角度が違うことで、その証言が異なってくる”という形を取っている」

----いわゆる“ポイント・オブ・ビュー”だね。
それはそうと、この映画、キャッチコピーすごいよね。
「日本人よ、
生き方に迷ったらこの男に会いに来い!」

“この男”というのが小栗旬演じる多襄丸ってことでいいの?
「まあ、そうだね。
実は多襄丸というのは天下の大盗賊。
でも、ひとりではなくて、
この多襄丸を殺した者が、
彼の持つ劔とともに、その名前も受け継ぐことになっている。
この映画でも、最初は松方弘樹が演じていて、
えっ?って感じ」

----ふうん。で、どんなお話ニャの?
チラシなどのシノプシスを読んでもよくわからニャいんだけど…。
「そうだね。
チラシにはこう書いてある。
『時は乱世。何不自由ない家柄に生まれながら、
大盗賊「多襄丸」を名乗ることになった男。
血肉を分けた兄、弟のようにかわいがってきた家臣、そして心の底から愛した女……。
誰よりも信じていた者たちのまさかの裏切りによって一変した人生。
しかし、何もかも失くした絶望の淵にあってなお、
思いもよらぬところに見つけた友情の絆。
信頼と不信がすっかり逆転したかに見えたそのとき、再び、そのすべてが揺らぎ始める。
多襄丸に起こった出来事のひとつひとつに裏があり、
裏から見れば同じひとつの出来事がまったく違って見えてくる……。
どんでん返しに次ぐどんでん返し。ひっくり返る信頼と裏切り。
見えない真実に翻弄される多襄丸が、最後にたどり着く場所とは?』」

----ほんと、ちんぷんかんぷん。
それだけ聞くと脳内SFチックにも見えるし…。
一回ごとに時空が変わるような形で同じ物語が繰り返されるのかなと…。
「でも、実際はそういうものじゃなかった。
次期管領職を約束された名門・畠山家の長男・信綱(池内博之)。
次男・直光(小栗旬)も兄がその職を継ぐものと思っていた。
ところが八代将軍・足利義政(萩原健一)から、
先ごろの流行り病で亡くなった大納言の娘・阿古姫(柴本幸)を妻に娶り、
その財産を受け継いだほうを管領職に就ける、という突然のお達しが下る。
義政の狙いは、大納言が遺した金塊を手に入れること。
しかし兄弟の幼馴染である阿古姫は、今は直光の許嫁になっていた。
もしかして、弟が金塊も管領職も手に入れるのでは?
疑心暗鬼に陥った信綱のその心の隙に、
幼い頃、屋敷に盗みに入って捕らえられ、直光に助けられて以来、
畠山家の家臣として兄弟同然に育ってきた桜丸(田中圭)が付けいる」

----ニャんだ。意外とシンプルなお話じゃニャい。
「そうでしょ。
『SF/サムライ・フィクション』中野裕之監督作品とは思えないほどの素直なお話。
映像も比較的オーソドックスだしね。
ただ、駆け落ち同然に逃げた直光と阿古姫を
大盗賊・多襄丸(松方弘樹)が襲ったあたりから話がややこしくなる。
阿古は、自分がこうなったのは直光のせいだと言い、
多襄丸に直光を殺してくれと頼むんだ」

----ひぇ~っ。怖い。
「映画は、最初、この
“悪女と男のひたむきな愛”の路線で作られる予定だったけど、
それだけだとメジャーでは通用しないと変更になったらしいよ。
ま、それはともかく、この映画の見どころは
一にも二にも、小栗旬の演技。
いやあ、これは見直したね。
完全に役に入り込んでいる。
後でプレスで知ったけど、
事実、彼の役への入れ込み方はそうとうなもの。
クライマックスのワンシーン、
その場面を演じていた記憶が小栗旬にはまったくないらしい。
なにせ、『よーい、スタート!』って言われた次の瞬間、
気づいたらお風呂に入っていた。
と、こう言うんだから。
また、左右時間差で出る涙にも驚き。
これまで、彼は映画で泣くシーンでは目薬を使っていたのだとか。
それがこの話に関しては
『監督、何回でも撮ってくれ! 何回でも自然に泣けるから』。
1日20回以上、リハーサルから自分が映ってないところまで全部泣いてて、
多いときは1日に50回は泣いていたらしい」

----分かった。分かった(笑)。
今日はよく喋るニャあ。
それでこの映画の言いたいことはニャんニャの?
「それはね。
桜丸の生き方と直光(多襄丸)を対比させるとよく分かる。
桜丸は、自分を拾ってここまで育ててくれた周りへの感謝も、
長い友情も振り切って、
義正の寵愛を利用し、その気持ちを読むことでうまく立ち回る……
このことによって自分を生き長らえさせるばかりか、
権力までをも手中にしようとするわけだ。
これって、現代の拝金主義、金の集まるところについていこうとする生き方。
それをこの映画は一刀のもとに斬り捨てる。
だから快感なんだ。
ただ、桜丸はもとも芋を泥棒しようとした少年。
そういう人間は、一生その性根が治らないという決めつけはどうかと思うけどね」



         (byえいwithフォーン)

フォーンの一言「いやあ、ほんとよく喋った。やべきょうすけはどこ行ったのニャ」もう寝る


久しぶりの萩原健一。『影武者』での演技を思い出した度

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