ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

鶴鳴き渡る和歌の浦2

2019年02月20日 21時47分48秒 | ウォーキング

この三段峡は不老橋より完成が
昔の橋だそうです。



海の中の島に渡る橋なので
いけないのは残念です。
以前からこの辺りに来た時には、
一度わたってみたかったのですが、
車を止めるところがなく、
行けなかったのが残念で、
今回こそ渡れるぞと
思っていったのに残念でした。

ここを渡ると、小さな島の中に
見どころは多いらしい。

ネットで見ると、島の裏側には
こういう観海閣という
海の上に建てられた建物がある。



1650年ころに徳川頼宣が
水上楼閣として建てたものらしいです。

本物の楼閣は昭和36年の
台風でなくなったそうで、
今は鉄筋で再建されています。

昔からここに座って、
紀三井寺や名草山を見ていたそうです。
海の景色と相まって
なかなかのところのようですね。
ホットコーヒーをカップに入れて
持ってきて、海の景色を眺めながら
一杯って旅行のパンフレットに
なりそうですねえ。
立ち入りできるようになったら、
動画撮影してみようかな。

あ、コーヒーを飲んだりは
できないかなあ。
ビールはあかんのかなあ

そしてこの妹背山といわれる
島の上の方には、
徳川家が先祖の供養のために
石にお経を書いて埋め込んだところに立つ
こんな多宝塔もあるそうです。



ああ、見たかったなあ。
残念です。

そしてなんと、さらにその横から
山頂まで登っていく道があるそうで、
なんでもここは日本の低い山の
第10位らしいです。
面白いですねえ。

まあそんな楽しそうな観光も
できないまま、壊れた三段峡から
離れていかざるを得ません。

あ、そうそうその橋のたもとには、
徳川頼宣が芦辺屋・朝日屋という
茶屋を作らせたという跡地がありますよ。



のちの明治時代に芦辺屋
という料理旅館がここにあって、
あの南方熊楠が孫文と
親交を深めたそうです。



この階段を登ったりしたのかなあ。

粘菌談議に花を咲かせたりしたのかなあ。

最近はdoironもこんな話を
良くしています。
え?それは年金話やろ~へへ

いずれにしても、
さすがにここは名称の地、和歌の浦。
海辺のこの辺りにも
しっかりいろんな歴史が
あったのですねえ。

さあでは歩を進めていきましょう。

不老橋のところへ戻ると、
その道路向かいには神社があります。

鹽竈神社です。



「鹽槌翁」がまつられ、
塩づくりなどから子育ての神様として、
安産・子授けの神社として
地元の人たちに「しおがまさん」
といわれ大切にされてきた神社です。



中に入っていきますと、
こんな「和合の松」といわれる松が



横たわっているのか、
曲がっておかれているのか
よくわからない格好でそこにあります。



神社の中をきれいに掃除してはる
女性の関係者に声をかけると、

「実はその和合の松は枯れてしまって、
いまはその上に次の松が植えられている」
んだそうです。

でもねえ、安産・子さずけの神様ですから
枯れるのはちょっと、
という人もいるかもしれません。

でもねえこれには
ビックリの裏技がありまして、
その女性はさらに
「実はここの和合の松は
DNAを採取して、
同じ松を科学的に植え替えたものなんだ」
そうだと説明してくれました。
驚きですねえ。
だから今も小さな二世の松が
上の方に育っていました。



さすが子育ての神様の神社、
おなじDNAの松を育てているとは驚きです。

枯れた松で「和合の松」の
安産お守りとかできそうですねえ。

この辺の岩は、
とても複雑な形をしております。
そんな岩屋をくりぬくようにして作られた、
見た目とっても味のある
神社でしたねえ。



そんな鹽竈神社を出て
和歌浦の方に向かうと
すぐに「玉津島神社」に到着です。

ここは和歌の神様
「衣通姫」がまつられ、
たくさんの和歌が奉納された
古い神社です。

中に入っていきますと右側に
「鏡山」への登山口がありましたので、
登っていってみましょう。



続く