ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

鶴鳴き渡る和歌の浦1

2019年02月19日 21時21分01秒 | ウォーキング

駐車場とした片男波はというと、
スイム駅伝の時もここに止めましたねえ。
たしか1日当たりいくらの
料金設定がありましたねえ。
ネットで見てみると、
夏場は一日1000円ですが、
7、8月以外は一日400円
と書いてあります。



なのでここに車を止めて
歩けるだけ歩いて
バスで帰ってこようと思います。

阪和自動車道を降りて、
国体道路を進み紀三井寺のところで右折。

海沿いに進んであしべ橋のところから
なおも海沿いに進んでいきます。

あれ?今回立ち寄り所として
計画していた妹背山にうつる石の橋が
壊れて渡れなくなっているぞ。
事前の調査で楽しみにしていたのになあ。
あとで再度チェックしよう。

そして車は片男波の駐車場に停車です。



こんな感じにパラパラでした。
きれいな枝ぶりの松なんかが
植わっているところから、



海の向こうに紀三井寺と
この前登った名草山を見ながら



歩いていきます。



そうそうあの名草山から見えていた
和歌浦方面は、なんかとっても
気持ちよさそうに見えてましたねえ。



左手の方にあるおおきな建物は

「和歌山県立医大病院」

ですねえ。
義理の父親が御坊に住んでいたころに
何度か入院した病院です。

一度、目の手術をしたときに
下向いたまま体を動かせず、
患者も見舞いもつらい思いを
した病院ですねえ。

対面の海沿いの道は
ジャズマラソンで走ったコースですねえ。
3回出走したかなあ。
ランニングコースの途中で、
何か所かでジャズ演奏をしていました。
道で倒れている高齢者を
助け起こしたことがありましたねえ。

この大会は今もあると思います。

そんなことを思い出しながら
海沿いを歩いていきます。
コースの前方に橋が見えてきましたよ。



「あしべ橋」といいます。



和歌の浦と言えば、
その名前の由来となった有名な歌がありますね。
山部赤人がうたった

「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み
 葦辺をさして 鶴鳴き渡る(たづなきわたる)」。



昔はここに鶴も飛んできていたんですねえ。

先ほど車を止めた「片男波」も
この和歌からきてますし、
このはしの名前の「あしべ」
というのもこの歌の葦辺から
きているんでしょう。

もう1000年以上も前の
万葉集に詠まれた歌が
橋の名前になるなんて
すごいものがありますね。

そんなすごい橋の横に
さらにもっとすごい橋が架かっています。



「不老橋」といいます。



徳川家康を祀る紀州東照宮の
和歌祭の際に、紀州徳川家や
東照宮関係者の人々が、
御旅所に向かうために通行した
「御成道」に架橋したもので、
徳川家の命で作られた橋である。

この橋は和泉砂岩で作られているそうで、
この石は泉州地方の多くの
道標などにも使われている。
加工はしやすいのだが、
ちょっと耐久性に問題があり
多くの道標が壊れつつあります。

アーチ形の石橋で見た目はきれいだ。



欄干の渦型の彫り物も
きれいに残っています。



わたることによって
不老長寿を手にいれるといわれ、
この名前になっています。

その橋のたもとに、
説明版が立っていますが、



もう一つ「不老橋の修復について」



という看板も立っています。
築後160年以上が過ぎた時点で
親柱を軽いものに変えて
負担を小さくしたなどの
修復をしたそうです。

「不老橋」という名前でも
やはり老朽化はするのですねえ。

でもこの橋は地元の人たちに
愛されているようで、
足の不自由そうな高齢者でも
バスを降りたら、平坦な葦辺橋ではなく
アップダウンのあるこの橋を
よっこらしょと渡ってはりましたねえ。

海を背景にしたなかなか感じの
いい橋でしたねえ。

こんな橋を殿さまの命でかけられたのも、
この辺りには多くの島があったそうです。
それらがのちに全部陸続きになっていって、
今はこの妹背山のある島が残るのみです。



この島に渡るようにつけられていた橋が
三段橋で、今は急遽崩れてしまっていて
渡れない状況だそうです。



う~ん、それは残念。

続く