ここは「苦を抜く」から
釘抜き地蔵といわれるように
なったところで、
本堂の壁には釘抜きとくぎを付けた
絵馬が、びっしりと貼り付けられています。
なんでも病気の人が
手に刺さっていたくぎを
夢の中で地蔵が抜いたら
病気が治ったというところから
こんな釘抜地蔵と
いわれるようになったそうです。
それがねえ不思議なことがあってねえ。
この地蔵さんに参った翌日に、
ずっと延びていた屋根の修理の
大工から連絡があり、
工事がすぐに始まることになってねえ。
こちらは「釘抜」ではなくて
入れ替えた屋根の瓦に
ビス打ちでしたけどね。
おかげで9月の台風以来
ずっと止まっていた大工仕事が、
あっという間に終わってしまいました。
地蔵さんのおかげかなあ。
なんて思ってしまうほどの
絶妙なタイミングでした。
ではここを出て千本通を
南向いて戻っていきましょう。
あ、千本通のことは昨年
10月16日のブログに
書いていますねえ。
1000本ノックで体を壊した・・・
ではなく1000本の卒塔婆を
立てた道路で、
平安京の朱雀大路と
ほぼかぶっているんですねえ。
千本通を五辻通りで
右折してしばらく行くと
「千本釈迦堂」に到着します。
ここの本堂は「応仁の乱」を
まぬかれた京都最古の建物です。
そしてここでは「おかめ像」が有名です。
鎌倉時代に大報恩寺の
本堂(釈迦堂)を作った大工の棟梁は、
柱の寸法を間違い短く切ってしまいました。
そのことを知った妻のおかめ(阿亀)が
枡組を使うように
アドバイスし無事に本堂建築の
大任を果たすことができました。
しかし、おかめは女のアドバイスで
棟梁が仕事を完成させたことを
知られてはいけないと
本堂の上棟式を待たずに
自害してしまいました。
上棟の日、妻おかめの冥福と
お堂の無事を祈って
おかめの面を御幣につけて
飾ったと言われています。
こんなことから将来大報恩寺の
境内に宝篋印塔(おかめ塚)を
建てたというのがこの人形です。
そういう経緯で、大工の信仰を集め
今日でも上棟式には
おかめの面を着けた御幣が
飾られるようになったということです。
自害したというのは
何となく解せませんが、
まあそんな話から
おかめのことがのこっている
ということのようです。
我が家の建前の時もかなり
古い様式にのっとって
儀式をしたからなあ。
おかめの絵の入った餅を
配ったような記憶があります。
もしかしたら屋根のしたに
おかめの絵の入った
お札があるかもしれません。
さあ、ここまで来て約9キロを歩きました。
今日の予定は約10キロですから、
終わりに近いですね。
ここから行く北野天満宮が、
本日訪れる最後の名所となりますねえ。
こんな小学校や大きな矢の付いた
昔の住宅なんかを見ながら
進んでいきますと、
その天満宮に到着します。
もう何かの試験を受けて合格を祈願、
なんてことも当分ないような
年頃ですから、切羽詰まった
ところはないのですが、
この時期はやはり受験生を
連れた家族なんかが多いかなあ。
裏手の方から入っていったので、
お参りして神社を出ようとしたら
牛なんかがたくさん寝ている
参道を歩き、鳥居の方へと
進んでいくわけですねえ。
ああ、これで歩きも終わりです。
通りに沿って見渡すと、
バス停があり、数人の人が
待っているようでした。
ここかなあと思って近づいたころに、
京都行のバスが到着しましたねえ。
歩いたのはこんな感じの10キロでした。
バスに乗ると、二条城なんかの
横を通り京都駅を目指します。
今回は、京都御所について
結構学びましたねえ。
次回はどこに行こうかなあ。
嵐山の竹林もいいなあ。
鞍馬の木の根道もいいなあ。
サクラの頃にまたぶらっと
出かけてきましょうかねえ。
とりあえず2018年の歩き旅は、
この京都行きが最終となりました。
2019年も頑張って歩きますので
また読んでくださいねえ。
これにておしまい。