ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

京都御苑から西へ2

2019年01月13日 22時53分47秒 | ウォーキング

ここまで書いていて、
ふと気が付いた方もいると思いますが、
「御苑」というのと「御所」というのを
使い分けて書いているのはご存知でしょうか。

やはり意味があるんですよ。

ではこの二つはどういう関係なんでしょうか。
その関係について書いてみます。

実は御苑というのは、
この御所部分を含んだ
公園全体のことを表します。

その公園は詳しく言うと
「国民公園」と位置付けられています。
そしてこの国民公園というのは
日本には三カ所しかありません。

この京都御所の周りを囲んでいる
京都御苑と新宿御苑と皇居外苑
だけなんだそうです。

なので公園全体のことを書くときは
「京都御苑」で、
その中の塀で囲まれた
皇居部分のことは「京都御所」と表しています。

そしてなんとさらに調べてみたら、
この御所は宮内庁の管轄なんですが、
その外の部分は環境省が
管理しているんだそうです。
だから御苑の御所以外の部分の
管理は宮内庁じゃなくて
環境省だったわけですね。

予算のことを書くときに
間違っていたようです。

でもいずれにしても
より狭い範囲を管理するのだから、
宮内庁予算の重要性は
さらに益すというわけですね。

いま、doironが歩いているのは
御苑の部分です。
閑院宮邸跡を出て、



さらに北上していきますと
左に小川が流れています。



「出水の小川」という名前が
ついています。



かつては琵琶湖疏水の水を
流していたそうですが、
いまは疏水部分は閉鎖されて
地下水が流されているようです。

でもまあ過去の様子から
この水路には琵琶湖の岩石が
使われているんですけどね。

さらに北向いて歩いていき、
途中から右折していきます。
そして御所の建礼門院から
つながる南北の道に出ていきます。



これが北側の建礼門院に
つながる道です。

あの建礼門院の内側のエリアが
御所になるわけですねえ。

近づいていきますと、



立派な門構えです。



この門の前から東の方を見ると、
あの向こうの方が仙洞御所です。



皇位を退いた天皇は別宮に写ります。
この仙洞御所は後水尾上皇の
仙院として建てられたもので、
のち五上皇の仙洞となったところです。

御苑の中には様々な施設が
残っていますねえ。

この建礼門院から左折して
蛤御門方向へと進んでいきます。

禁門の変で長州藩と争った場所で、
今もこの門にはその時の
弾痕の跡が残っています。



この蛤御門は正式名は
「新在家御門」なんですが、
御所の火災の際、
滅多に開くことのなかった
この門がこの時だけは開いたため、
固く閉じていたものが
火にあぶられて開いたことを
ハマグリになぞらえて
「蛤御門」という俗称が
付けられたとされています。

で、そこからまた御所の横に戻り
北向いて歩いていきますと、
閉ざされた宣秋門があり、



その先の清所門のところが
御所の入り口になっています。

でもねえdoironが歩くのに
読んできた、古本屋の10年前の本だと、
御所内は春秋の公開時以外は
事前申し込みの申請が必要なんだそうです。
ところが、前から歩いてきた
おばちゃんたちが、
入り口の警備員の横を
何の制約もなしに
御所内へと通り過ぎて
いくではありませんか。

え~、今は年末の特別公開期間
なのかなあ。
doironも警備員に
「今日は中に入れるんですかあ」
と聞いてみると
「どうぞ、どうぞ」と案内してくれました。

「ん?もしかして皇族の
高貴なお方だと勘違いしている」
のではと一瞬思いましたが、
まあそんなことは絶対ありませんな。

そのまま荷物点検テントの方に
案内されていきます。

まえのおばちゃんたちも
カバンを開けて
変なアメちゃんもっていないか
などと点検されています。

「え~、今日はガスコンロを
持ってるけど」と焦るdoiron。



続きは果たして。