ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

もっともっと田原本 4

2018年03月09日 21時25分51秒 | ウォーキング

太子道を歩いています。



この田んぼの横にあるのが、
忍性上人ご誕生の地です。



そこの案内によると
民衆救済に生涯をささげ、
社会福祉活動に多大な
業績を残された人のようです。
この上人の名は初めて聞きましたねえ。

そしてその少し先にはこんな
「木抱かれ地蔵」というのがありました。



5年前までこの地蔵は、
胸から下が榎木の中に埋まっていたそうです。



こんな写真が飾られてありました。

こんな姿をしたのは
国内でもないだろうといわれていた地蔵で、
21日間人に見られないように
願い事をすれば叶う
というありがたい地蔵なんだそうです。



この辺りは田んぼの中に
集落がぽつりぽつりと
続いていくところですが、
一歩村の中に入ると
様々な遺構が残っているのは、
やはり奈良の村々といった感じですねえ。



意外に見どころがありますねえ。

村の中には「杵築神社」があります。



その境内には道標が建っていました。



「左、たつた、法里うじ、
なら、こほり山、道」



そして
「すぐ、田原本、三輪、
多武峯、初瀬、道」



そして南面は
「とうひとのあらば、こたへよみちしるべ」。

おお道しるべの案内の歌が
刻まれています。

この道しるべを立てた人の
優しい気持ちが漂っていますねえ。

そして神社の前には、
なんと三宅村の道路元標が立っています。



doironが収集した
11個目の道路元標ですねえ。

ここは聖徳太子が法隆寺建立のために
飛鳥の里から三宅の原を経て
斑鳩の里を往復した道路です。



道の経路は車のすれ違えないような
微妙に細い道なんですよねえ。
そしてさらなる特徴は、
L型、T型、卍型と直進するには
不利なんですが、
外敵との交戦から難を逃れるのに
有利な迷路となっているんだそうです。





なぜか集落を斜めに横切るように
街道が通っているんですが、
そんな道に元標が立っている
ということは、きっと今の
道路が後付けについている
ということなんでしょう。

またこの道沿いに、
各地域ごとに「郷神さん」という
風習があります。



7月の16日に大神宮碑にお供えをし、
子どもたち喜ばせているそうです。

ああまるで地蔵盆のようですねえ。
いやあ、なんともまあいにしえの
風情が残っている街ですねえ。

アザサが町の花になっているように、
この辺りは万葉集にも表れる地域です。



物語の痕跡からこんなところも
作られているんですねえ。
近寄りがたいところですが・・・



ここにも大きな水槽があって、
アザサが植えられています。



絶滅危惧種だそうですよ。

あ、このお寺の前には
西国33箇所の石仏が
並べられています。





doironもほとんどこれらのお寺には
これまで行ったのですが、
朱印は半分も集まっていません。
これもぼちぼち進めていかなくてはねえ。

問題はちょっと日帰りじゃ
難しそうなところですねえ。
ぼちぼちと集めていきましょう
なんて考えながら進んでいきますと、
うわーもういつの間にか
田原本町に入っているではないですか。

マンふたがこうなっています。



デザインは「唐子・鍵遺跡の楼閣」ですねえ。

doiron近所の弥生公園の
ライバル公園ですなあ。

今度はここを目指して
歩いていきましょう。

こんな大きな地蔵さんを超え、



三宅の村々を離れていきますと、



田んぼが一気に広がっていきます。
そこにかかっているのが
京奈和道です。



これをくぐり、道は石見駅を
めざしていきます。
近鉄橿原線の駅ですねえ。

歩き始めた結崎と田原本の間の駅です。



この辺りは、昔は湿地が
多かったそうで、
集落は環濠集落となっていました。

でもねえ、「石見鏡作神社」もあり、



あの天岩戸で使った「八尺鏡」を
つくった「石凝姥命」を
祭神としている古い村です。

日本神話の歴史上とても
大切な神社だそうです。

そんな神社を眺めながら
唐子・鍵遺跡を目指しましょう。

ちょっとお腹すいたなと思いつつ、

続く。