ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

再び五條へ 2

2018年03月21日 21時41分25秒 | ウォーキング

駅を遠めに見ると電車が止まっています。



しかも目的の方向行の電車です。
とりあえず駅まで急ぎましょう。

駅で時刻表を見ると・・大丈夫
ラッキーです。
まだ15分くらいは止まっているはずです。

駅前の観光案内所に
ちょっと行ってみましょう。

女性が二人いてはりました。

doironが入っていきますと、
親切そうに話しかけてきはります。

「おはようございます。
何か資料とかをお探しでしょうか?」
と気軽に話しかけてきはります。

そういえば、前回五條に来た時に、
新町通りの展示館なんかで
とても親切にしてくれはりましたねえ。
この辺りはそんな風習というか、
そういう雰囲気を大切に
してはるんでしょうねえ。

「え~っと、五新線なんですけど」
というと
「はい。こちらの地図に載ってますよ」
と案内を出してきはるのですが、
「あの、新町通りの線路跡は
この前見に行ったのですが、
吉野川の向こうの道というのは
歩けるのでしょうか」と聞くと

「旧跡は残っていたりするのですが、
歩くのはだめなんですよ」
と申し訳なさそうに
説明してくれはりました。

電車の時間があるので

「このあと北宇智駅から
古墳をめぐって歩いてきますので、
帰りにまた寄ります」と
いったんおさらばです。

これだけ言っておいたら、
何か資料でも用意してくれるかなあという、
甘いプレッシャーをかけておきました。



さあ、では電車に乗っていきましょう。

一駅だけ移動するのですが、
やはりこの辺は駅間が長いですねえ。
ガタンゴトンと揺られていきます。

到着した北宇智駅は無人駅でした。



電車の運転手に切符を渡して
降りていきます。

2両編成のこんな電車でしたよ。


あ、柱に「住川街道」と
書かれてありますね。

線路の東側は住川という土地ですから、
ここから山の方に上がっていく道を
こう呼んでいるんでしょうねえ。

最初に目指すのは、

「西山古墳」です。



線路の東側に出て、
五條方向へと戻っていく感じで
歩いていきます。

ああこの辺りは古い家が
多いですねえ。
巨木の名残が突き出た塀とか、



虫籠窓のある家なんかを



見ながら村中を進んでいきます。

こんな狭い道もウロウロと歩き、
家なのかお寺なのか
わからんような家を超えたら、



道は田んぼの中の
田舎道へと入ってきます。



すると右前方の方に四角い森が
見えてきました。



そうあれが西山古墳のようです。
田んぼの端っこで、
くわを持ちながら煙草を吸ってる
百姓のおっちゃんがいたので

「すみません。古墳てあれですよねえ」
ときくと、
「おおそうやあ。最近草刈りをして
登りやすくなってるで」と
教えてくれはりました。

「フーン、登れるんやあ。ありがとさん」

あぜ道をてくてく歩いていくと、
あれ?コンクリート会社の
進入路になっていて
「進入禁止」になっていますよ。

どうしましょうかと悩みましたが、
え~い、百姓のおっちゃんも
行ってきなはれみたいに行ってたし、
あぜ道を歩いていったれと、
泥水やヘビなんかに注意しながら
田畑の中を一直線で向かいました。

手前に見えている土のところに
石段がついています。



ここから上がるんですねえ。
どれどれと入っていきますと、
古墳の案内板が立っていました。



ああ、この辺りの古墳群は
「近内古墳群」というんですねえ。

この辺りの地名「近内」の
名前がついているんですねえ。

この古墳がその古墳群の
一番東側だそうです。

案内書きには被葬者は誰
というのは書かれていません。

それよりも、墓の状況から
複数の首長が埋葬されている
のではないかと書かれてありました。

その案内からさらに奥に
進んでいきますと、
奥の方にはこんなお堂があります。



鳥居には「春日大明神」と
書かれてありましたねえ。

地元の人たちで守られているんでしょう。

続く


再び五條へ 1

2018年03月20日 21時19分09秒 | ウォーキング

歩いている旅行者に
過去の人々の祈りの形を
考えさせる施設は色々とある。

例えば、お寺や神社などがそうだろう。



祈りの込められたものというのは、
やはり何かを語ってくる。
そういう意味では地蔵や石垣、
道標などもそういうものだろう。



またそういうものとして
巨大なものも各地にある。
それが、古墳だ。



なぜここに作られているのか、
誰が埋葬されているのか、
何を一緒に埋葬しているのか、
なぜこんな形をしているのか、
いつ作られたのか。

この地域にまつわる様々な思いも、
実は古墳にも埋葬されているわけだ。

これまで古墳がたくさんあるところは
色々と歩いてきた。

ひとつは堺市の百舌鳥地方、
世界最大の古墳もある。

また奈良の明日香地方では、
神話の世界と人々の暮らしを
むすぶ古墳も各地に作られている。

そうそう大阪の豊中にも、
昔の人々の暮らしを
連想させるような
古墳群もありました。

そして今回、ふーんここにも
古墳があるんやあと思って
出かけたのが、奈良県の
五條市でした。

少し前に五條の新町通りを歩いたり、



五新線の痕跡を見たりしに



行ったところです。

訪ねてみて面白い施設もあったり、
これは行かなかったけど
五新線の山手の方には
専用の線路道も残っている
というので、いつかその道も
見に行ってみようという
気にもなりましたねえ。

もしかしたらここも
旧街道や昔並木など、
街角に陰謀が潜んでいそうな
ところもいっぱい
あるかもしれないという
気にさせてくれましたね。

ジダンもきっとそんな
雰囲気を感じたんでしょう。

鉄道博物館なども興味があったので、
これはドジ旅の舞台になればなあ
と思ったようです。

じゃ今回もうすこし、
この五條を探ってみようと
少し眺めていたら、

ん?なんか山手の方に
古墳がいろいろあるではないですか。

これはドジ旅で歩くコースに
入れてもいいかもしれないし、
ちょっと調査しておく必要があるぞ、
と思って天気のいい日に
さっそく出かけていくことにしたのです。

五條といえば電車で行くのは
かなり大変です。
下手すると2時間近くかかりそうです。



ここではまだドジ旅候補
というだけですから、
今回は電車の難儀さはとりあえず無視して、
車で出かけることにしました。

駐車場は、五條市役所です。



五條のことを歩いて紹介して
回るのですから、車一台くらいは
駐めていただけるでしょう。

まずは五條市役所で
地図とかないか見ていきましたが、
市役所にはあまりそういう資料は
ありませなんだな。
見つけられなかったのかもしれません。

では、今日の歩きの
スタート地点である北宇智駅に行くために
五條駅を目指していきましょう。

市役所を出て線路沿いに
歩いていきますと、
途中で大きなお墓の横を通ります。

「極楽寺霊苑」と書かれてありました。

昔からの墓地なんでしょう。

ここには過去の有名人たちの
墓が置かれています。



そこに貼られてある案内を
見てみますと、一番に
やはり天誅組に襲撃された
五條代官所で殺害された
人々の墓が書かれています。

その人々は全部で6人。

四人の墓石と二人が合祀された
1基の墓石があるそうです。

ほかにも、絵師や俳人、医者などの
墓石もここにあり、
五條の過去の歴史が
ギュギュっと詰まったような霊苑でした。

さらに五條の駅の方に
向かって行くと、
なんかにぎやかなお堂がありますよ。



そこには、まことちゃんが
立っていますよ。



このまことちゃんを拝むと
おねしょがなおるのだ~
と書かれています。

なんかユニークですねえ。
そうかあ、まことちゃんの
作者の好きな色合いに
合わせたお堂で、
赤白に塗り分けられているんですね。

お堂の作者はどんな人なんでしょうね。
興味がわきますが、
先を急ぎましょう。

続く


あのねえ日根野 3

2018年03月19日 21時20分03秒 | ウォーキング

りんくうゲートタワービルの
海側に出てきます。



そういえば、このビルには
食べ放題の焼肉なんかがあったなあ。
今もあるのかなあ。
できたときは西日本一の
高層ビルだったんですねえ。

いまはあべのハルカスがありますけどね。

むかしロングのランの練習を
よくしていたころは
この辺りの海岸線をよく走りました。
コース内からこのビルがよく見え、
りんくうが近づいてきた、
遠ざかっていったとラン練習の
いい目標物になっていましたねえ。

高さ256mで、昔知り合いが
遠方から来た時には止まったこともありました。

今は外人の宿泊施設なんでしょうねえ、多分。

そんなビルを過ぎると、
もうりんくうタウン駅ですねえ。



南海とJRの共同駅ですねえ。
職員はどうなっているのかなあ。

その駅前から歩道橋で
りんくう公園へと入っていきます。



あ、この並んでいるベンチに腰かけて、
近くのコンビニで買ってきた
昼ご飯を食べましょう。

久しぶりにお湯を沸かして
ラーメンを作ります。

飼ってきたのが、これ。



う~ん、正月もだいぶ過ぎましたけど
こんなタイトルのラーメンです。

とりアジじゃなくて犬アジですか。

え~犬アジ?と思ったら、
カライヌードルでした。

そりゃそうでしょうねえ。

残念ながらビールは無しですよ。

さあ、もう歩きも終点に
近づいていますが、
ようやくお腹にものを入れました。
都会を歩くときはあまり
こういう公園が少ないので、
野生のランチタイムには困りますねえ。

ていうことでその辺を歩く
アベックに変な目で見られながら
食事を終えました。

外国から来ている人なんかなあ
と思われているかなあ。
もしかしたらアメリカの
セントラルパークに住む
屋外生活者のプロとか
思われてないでしょうかあ。

え?万里の長城下にすむ野生人?
ふむ、そうかもしれません。

さて、この公園の大きな
特徴の一つが「マーブルビーチ」。
大理石の玉石が敷き詰められています。

できたときは、この公園の石が
よく持ちさられたみたいですねえ。
昔はここまでバイクで着て、
公園のベンチに座って
関空から飛行機が飛び立つのを
見に来てましたねえ。

今回行くりんくう公園は
そんな中でも、関空へ続く
橋の下にある陸地部分の海のすぐ横です。

歩いていきましょう。

まずは歩道橋を歩いていきましょう。



あ、地面にフルマラソンの
表が張られていますよ。
そうかあ、この辺りは
泉州マラソンのゴール地点やからなあ
それに合わせたものでしょう。

一分間で走る距離とフルマラソンタイムの
関係が書かれています。
これは1分間でこれだけ走ったら
3時間半が切れる速さ、



これが6時間ペース。



ふむふむなるほどねえ。

そしてこれがサブスリーペース
と書いてありますが、



いやいや待てよこれはおかしいぞ。

僕が今までずっと描いてきたのでは、
1分間で235mのはずやで。
実際計算してもそうなる筈。

いや、そんな細かいことを
言わなくてもいいはずだろうって?
そんなことはありません。
一キロ4.26分で走れば
サブスリーなんですが
4.27分台で走って
三時間を切れなかった
doironが言うのですから
間違いないはずです。

そんなことを考えていたんですから
再計算をしてみてくださいよ。

で、そんなゲートを突き当たると、
こういう無料休憩所があり、
その横に木製の太鼓橋がかかっています。



その奥がこんな公園になっていますねえ。



ここは始めてきました。
なかなかいいところですねえ。



この公園をウロウロしながら、
海もしっかり眺めつつ
りんくうタウン駅へと戻ったdoiron。

歩いた距離は約10キロでした。

さほど見どころといっても
ありませんでしたが、
まあ泉州マラソンなんかでも
ウロウロする地域を
日根野からあのねえと言いながら、
堪能した旅、これにておしまい


あのねえ日根野 2

2018年03月18日 21時18分30秒 | ウォーキング

市役所を出るとすぐに



国道26号線に出てきます。

この辺りから一部熊野古道を
通っていくことになりますね。

歩道橋で国道を渡り、



次に目指すのが「佐野王子」です。



これは熊野古道歩きの時は
かなり探しましたねえ。
田んぼの中のあぜ道を歩いたりしながら、
何んとか見つけたものでした。

今思えばこれだけ立派な王子跡だから、



もうちょっと地図をしっかり見てたら
簡単にたどり着くはずやのになあ。

あの頃はまだ、地図を片手に
街道を歩くのも、
まだあまりなれていない頃でしたねえ。

佐野王子を出ると道は
村中を通って旧26号の旭町に出てきます。



泉州マラソンでいえば、
大体26キロくらいの地点ですかねえ。

もうこの辺から疲れが
出てくるんだよねえ。

その交差点を横切って、コースは
佐野の旧村の中に入っていく。

だいぶ海も近づいてきましたねえ。
そしてこんなガッチョの唐揚げや
泉ダコとか売ってる店なんかもあります。



ああ、泉南ぽいですねえ。

南向いて歩いていくと、
右前方に大きな木が見えてきましたねえ。



ここが春日神社です。



明治の時代に旧佐野町内の
29のお寺がすべてこの春日神社に合祀され、
佐野の総社となった神社です。
お参りしておきましょう。

この先に商店街があります。



まあ平日昼間のこんな時期には
さみしいもんですねえ。
泉佐野の南海の駅が見えるところを
右折して村中へ入っていきましょう。



このちかくに
「泉佐野ふるさと町屋館」があるのですが、
残念ながら土日オープンなので
この時は開いていません。

残念ですねえ。

ここから海の方を向いて歩いていきます。



臨海道路を隔てて
そこにあるのが泉佐野漁協青空市場です。



昔はねえ、倉庫みたいなところで
市場をやってたのに、
今は立派な建物の中で
たくさんの店舗が並ぶ状態です。

うちの母親が生前時このシャコが好きで、
よくここに連れてきましたねえ。
でもdoironはこの年頃になって、
嫌いだったウナギなんかも
食べれるようになりましたが、
このシャコはあまり好きくないのです。

そんなことを考えながら
しばらく歩いていくと、
右にヨットハーバーが見えてきます。



以前の職場でもここに
ヨットを置いている同僚がいましたねえ。



こっちはスイムだバイクだランだ
という日々を送っている中で、
とても優雅な人生を送ってはりましたなあ。

まあいろんな人生があるんですねえ。

そしてその先には、
昔ここから淡路までのフェリーが
出ていましたねえ。

意外に近くて安くて淡路行きには
便利でしたねえ。

トライアスロンの自転車の練習で、
トラ友達と使ったことがあります。

朝からフェリーで淡路へ行き、
プチ一周して夕方帰ってくる
という練習でした。

お昼ごはんで食べたカレー屋さんで
ビールを断られたことがありましたねえ。

そうそう明石海峡大橋の
道の駅で女子高生たちと
写真を撮ったりしましたねえ。



そしてゴール後、津名のフェリー乗り場で
くぎ煮とかで宴会しました。
楽しかったなあ。



そんな風に淡イチや琵琶イチの
練習をよくしました。
トライアスロンバイクの力は
この練習がよかったですねえ。

朝一で釣りの道具をもって
フェリーに乗り込んでたおっちゃんが、
帰りのフェリーにも乗ってはりました。
結構釣れたようで、
このひとも今日はいい一日だった
というような顔をしてはりましたな。

しかしこのフェリーも今は
運航されていません。
なんかこんな便利ないいシステムは
どんどんなくなっていきますねえ。

そのまま道を進んでいき、
道をくねくね曲がっていったら、
おお~ここに泉佐野の
マンホール蓋を見つけました。



泉佐野の木「イチョウ」を
あしらっていますが、
面白いのは葉っぱと葉っぱの間に
銀杏の実が描かれています。

むかし、この辺りの銀杏の実を
拾い集めたこともあったなあ
と思い出しますねえ。

あの匂いはたまらんかったなあ
とか思い出しつつ、続く。


ドジ旅日記実行しました

2018年03月17日 22時46分07秒 | ウォーキング

本日、大阪の巨木を訪ねて第2弾の
ドジ旅日記の撮影を終えてきました。

場所は四条畷、門真、大阪などの
広域に及びしっかりと撮影してきましたよ。

そしてもう酔っぱらってます~

とりあえず
出演はドジ旅の二人と
ドジ旅最多出演のセイゾー君と
超スーパーな女性。

doironによる3回の下見は役に立ったのか
はたしてそこにはどんな陰謀が待っていたのか
そして我々はどう戦ったのか
旅の詳細はもう少し後でね~

ドジ旅第9弾、お楽しみに


あのねえ日根野 1

2018年03月16日 20時58分26秒 | ウォーキング

泉州マラソンを応援しに行ったときに、
りんくうのあたりを
ウロウロと歩いてみた。

ゴールの近くの海沿いには、
意外に大きな公園があり、
こういうときでなくても
波の音を聞きながら
のんびりするのも良さそうな
感じがしたなあ。

で、ちょっと前から気楽に歩ける
コースはないかなあと
考えていたんですが、
泉州マラソンをヒントに
日根野あたりからぶらぶら歩いて
泉佐野をうろつき、
りんくうでのんびりして帰る
というのもいいなあと考え、
今回はそれを実行してみたのでした。

そんな大阪近場の歩き旅を
ブログで報告しましょう。

まずは、日根野へと向かいます。

日根野というとこの辺りでは有名な駅です。
何で有名かというと、
大阪府南部と和歌山県を中心に
運用されている列車の車両基地である
という重要な駅であったのだ。

地名を表す
「ヒネ」なんていう記号を
JRのあちこちで見かけたもんね。
電車区というのがあったんですねえ。

それが2012年にはなんと廃止となり、
今は吹田総合車両所の
日根野支所になっているのだが、
電車の車両所なんかは
形が残っていますねえ。
そんな駅をスタートしていきます。

ここが日根野の駅です。



この駅の近くから府道30号線を
北上していきましょう。



この道は昔からなぜか
13号線と呼ばれていた道ですねえ。
26号線の半分だからなのかなあ、
よくわからないんだそうです。

大阪市内ではチン電とともに
つながってきた道路ですねえ。
熊野古道、小栗街道とゆかりの多い
道ですねえ。

なので、道の形そのものは
古い形式の道です。

歩道というには少し狭い段差が
道路の横についていたり、
いなかったりとあまり
歩くことは意識されていないような
そんな道が続いていきます。



ああ、この辺の道は
犬鳴の方に道が抜けていくときに
よく通ったところですねえ。

やがて左側に大きな公園が見えてきます。

この公園が「檀波羅公園」です。



熊野古道を歩いているときも
この公園の名前について
話題にしましたねえ。

「檀波羅蜜寺」という大きなお寺があって、
そこで市場がひらかれたことにより、
泉佐野に「市場」という名前の
場所が残ったんだそうです。

そしてこのお寺の名前は
地名には残っていないけど、
この公園の名前として
残っているんだとのことでしたねえ。

この公園には大細利池
というのがありますねえ。



この池の改修碑が立っています。



水利関係の人たちはこういう
改修碑がすきですねえ。
なんか水利関係の権利を
こんな形で主張しているんですかねえ。

よくこんな碑を見かけます。

この池も眺めは良さそうで
「大細利の池に築きし
堤防に朝の光りはやわらかくさす」
という歌の碑も
堤防に打たれていました。



こんな池の堤防も気持ちよさそう
なんですが、残念ながら



立ち入り禁止になっていましたねえ。

こんな学校を過ぎて



公園の別の部分に行くと、
宝くじによる松の植樹が行われています。



ウヒャー、関係者は
松くい虫との闘いが大変でしょうねえ。

そしてその先には大きな図書館が
ありましたねえ。



なかなか立派な図書館です。

こういう施設の立派さは
行政への評価が上がりますねえ。

泉佐野市の若い市長さん。
しっかりやってくださいね。

あ、そうそうそういえば、
この前の泉州マラソンで
泉佐野、泉大津、和泉の
三市長が走りましたねえ。

泉大津が3:36:58、
泉佐野が4:02:19、
和泉が4:48:51で
それぞれ完走してはりました。

大したもんです。

特に泉大津はこれはもう
練習してないと出ないタイムですね~。
三時間走で「頑張るよ」と
表明してた市長さんの
思惑通りの結果でした。

それにしてもみなさん忙しい中、
本当によくぞ完走されました
これでまたマラソンに挑戦しよう
と思った人が世の中に5人くらいは
増えたでしょうねえ。
とほめておきましょう。

この檀波羅公園の周りも
結構整備されていて、



地元の皆さんの練習コースにも
なりそうですね。

図書館やホールの周りには
桜もたくさん植わっていて、
これからの季節はいい感じに
なるでしょう。







そうですねえ、ぼちぼち花見の計画や
予定を立て始めないと
いけない時期ですねえ。

そんな桜の公園を抜けていくと
市役所がありました。



続く


二月堂の修二会3

2018年03月15日 21時29分10秒 | ウォーキング

え~doironの誕生日も終わり、
二月堂の修二会も無事に
終わったようです。



いやあ、めでたいめでたい。

先日から書いているように、
12日にここへ歩き旅を
しましたねえ。もうすこし
その続きを書いていきましょう。

いろんなところを見ながら
doironはやがて二月堂へと
入っていきました。

いろんな人たちが
記念撮影されている横を通って、



ここ2月堂の修二会、
つまりお水取りのメインの
籠松明が行われる
須弥壇の方へと回っていきます。



ここの眺めはいいですねえ。



木々の間に大仏殿の
立派な屋根が見えています。



絵を描き始めたころ、
ここから見た景色を描いたりしましたねえ。
景色はむつかしかったけど、
四国八十八箇所を書いたから、
いまならもう少し立派な
絵が描けるかもしれません。

また機会があれば挑戦してみましょう。

ここでしっかりお祈りをして、
先に進んでいきますと、
おお~ここにお松明の
燃え残りの杉が置かれて
配られています。



杉の燃え残りということで、
火災除けになるそうです。

ああ、家用と公民館用と
だんじり用と友達用に
30本ほどもらって行きましょうか
と思いましたが、
観音様に恥ずかしくない行動
お持ち帰りくださいと書かれています。

うう~、では家用に
一本もらっていきましょう。

それがこれ。



これを半紙で多い、水引をかけたのがこれ。



火災除けになるかなあ、
火の車除けにもなればいいなあ。

その奥には、講の人たちの
休憩場所のようなところも
ありましたねえ。

立ち入り禁止なので、
外から一枚撮影しておきました。



リュックの人も入っているようですけどね。

長い石の階段を下りてゆきますと、



途中にこんな広場があり、



その奥に松明が置かれているようでしたあ。

いいなあ、あんな写真を撮りたいなあ、
と思っていたら、
その先に何本も置かれていました。



この場所で下に回り込んで

写真を撮ろうとしたら
怒られてしまいましたわい。



「罰当たりめ~」とは言われませんけどね。

「私、日本語わかりません」
といって入ろうかと思いましたが、
やめておきました。

残念。

重し代わりに根もついています。



今夜これらの松明に火がつけられて
須弥壇を駆けまわるんでしょうねえ。

そしてそんなときに、
坊さんがさっきの石の階段を下り、
榊が巻き付けられた
この閼伽井屋に降りてきて



若狭井から水を組むんですね。
なので、ここの修二会が
「お水取り」といわれるんですねえ。

ほかの神社でも修二会は行われていて、
それぞれの特徴に合わせた
名前がついていたりします。

薬師寺のそれは「花会式」で
3月30日から4月5日、

新薬師寺が「おたいまつ」という名で
4月8日に、

また長谷寺のは「だだおし」という名で
2月8日から14日の間で
行われています。

このだだおしというのが、
「お水取り」で行われる松明を
振り回して本堂に突きつけるという
「達陀(だったん)」から
来ているんだそうです。

ほかにも法隆寺などでも行われているし、
宗教心の強い田舎でも
何らかの作法が行われて
いるのかもしれませんね。

坊さんが長い期間、眠ることも
こらえるような状態でお経を唱え、
様々な儀式をやり通していく
「お水取り」。

本当にこれが社会に
どういう効果があるのか
よくわかりません、
ただ1200年以上もの間
変わらずそこに行けば
やっているということが、
まるで海か山に人が行くような
ものじゃないかと、
司馬遼太郎は言ったそうです。

12日というお水取りの
クライマックス直前に
二月堂に行き、観光客の
人々の期待感を少し感じるとともに、
お寺関係者のただならぬ
熱い想いを感じた歩きとなりました。



このあと「来てよかったなあ」と
シカにつぶやきながら、

こんなのも眺めてから









車で帰ったdoironなのでした。

おしまい。


62歳をどうすごそうか

2018年03月14日 21時09分46秒 | 生活

二月堂歩きのブログ中なんですが
ひとつ報告しないといけないことがあります。

そう、本日はな、なんと
doironの誕生日なのでありました。
ということでちょっとブログを中断して
書いておかねばなるまいて。

まあ、こういう珍しい日は
暦的にも休日にして、
人々は飲めや歌えやの
大騒ぎの一日としても
いいくらいなのだが、
さらにもっと貴重でありがたいことに、
な、なんと今年の誕生日はdoironの
年金暮らしがここから始まるという、
盆と正月とゴールデンウィークと
シルバーウィークとだんじりまつりが
いっぺんに来たような
超ありがたい日なのである。

もうこれで、金ぴかの服を着て、
毎日左うちわで「ガハハハー」とか
言って笑いながら暮らせるのである。

人生思えば今日まで長かったなあ。

アインシュタインのような
明晰な頭で務めてきた家庭教師や
ガウディかと間違えるほどの
建設関係のアルバイト、
民間会社の超絶エリート社員から
高潔無比な公務員、
そして心まで温める介護の仕事から
世界をうならす新聞記者まで勤めて
頑張ってきたのである。
まあ、行ってみれば今日までの暮らしに
与えられる表彰みたいなものである。

まあ挙句の果てには心臓、脳まで壊しても
スーパーマンのように
復活してきたのであるから
ありがたいもんである。

これらの復活劇もすべてはこの日が来るのを
待っていたから起こったといっても
過言ではない。

さあ、ではこういう超立派な
誕生祝はどこかでご飯でも
食べに行くかなあ、と考えてみた。

聘珍楼貸し切りで満願全席でもいいかなあ。
それかミシュランの三ツ星寿司屋で
極上握りの寿司でもいいかなあ。

ん~、あんまりよくわからん場所の
ことを言ってると話が変になりそうだ。

まあ、今日のところは
家で赤飯のお茶漬けでも
食べておこう。

年金の手続きも、いろいろとあったけど
知り合いの金融屋さんが
ああ書けばいいとか、
こんな書類が必要だよとか、
手とり足取り教えてくれたましたなあ。

ほんとは、ゴルゴ13のように
スイスの銀行に年金を
振り込んでもらおうと
思ったんやけどなあ。

それは無理のようですねえ。

あまり世界の金融界を
乱しちゃいけないもんなあ。
Tランプさんが会見を
申し込んできても困るしなあ。

キムさんが会いたいといってきても
まあこれも困るわなあ。

結局、お世話になったその金融屋さんの
莫大な口座に入れてもらうことにしましたよ。
なので日本の金融界くらいは
ちょっと攪乱させるかもねえ。

あべさんには頑張ってもらうかなあ。

そうそう、なのでこの日を境に
株がちょっと下がったりするかもよ。
doiron恐慌といわれたりしてねえ。

ま、そんな風に自分的には
待ってましたの誕生日を迎えたのである。

しかしねえ、もう62歳ですよ。

昔だったら命を静かにともしながら、
縁側で猫を抱いてるような歳ですよ。

最近なんかねえ、テレビを見てても
「こんなに知識を持ってるベテランさんが・・・」
とか
「こうして熟練した技術を持った人が・・・」
とかいうのが出てきても、
多くが年下だったりするんだよねえ。

う~ん、もう社会から卒業したんやあ
という実感があちこちから
湧いてくるのですなあ。

最初にふざけて書いたけど、
今年からいただける
なけなしの年金を大切にしながら、
とりあえずはこの夏に生まれる初孫を
楽しみにしつつ62歳を送ろうと
思っているdoironなのでした。


二月堂の修二会2

2018年03月13日 21時41分16秒 | ウォーキング

奈良公園は時々思い出しては
ぷらっとやってくる。

2年くらい前にもこの公園に来て、
お弁当を食べたときもあったなあ。
なにせ公園のシカよりも
doironは自由なのである。



前から歩いてくる観光客は
すべてアジアの言葉をしゃべる異国人。
鹿せんべいをシカに
ワイワイ言いながらやっているか
と思えば、意味の分からん言葉で
「近寄るな」とでも鹿に言いつつ
逃げている外国人もいます。

いやあ、僕でもわからん言葉を
しゃべっていたら鹿でも
わからんぞーとか思いながら
聞いていたりするのです。

いや、待てよ、この辺のシカは
doironよりも多く多国語に
接しているからもしかしたら
「STOP」ぐらいの言葉は
知っているかもしれないね。

それにしてもエサをあげている
観光客が大勢いるけど、
こんな風にイノシシとかが現れても、



「よしよし」とかいって
エサをあげようとする
観光客もいるかもしれませんね。

こういう案内書きを



しっかり立てといてやらないと、
不幸な悲劇が起こりそうな気がしますねえ。

鹿にはこんな看板や



こんな注意書きもありますもんね。



さて案内を見ておりますと、
東大寺といっても
「二月堂」のほかにも
いろいろとあります。

まずは三月堂、四月堂
というのもありますねえ。

一月堂はありませんよ。
もちろん五月堂も十二月堂もありません。

この三月堂は法華堂と呼ばれています。



その本尊は不空羂索観音という国宝。



一時は東大寺ミュージアムに
移されていたが、いまは
この三月堂に戻っている。

むかし、二月堂が火事で
燃えたときにはこの三月堂で
お水取りが行われたそうだ。

また四月堂は三昧堂という名で、



ここの本尊であるのは
木造千手観音立像で、
これがなかなかの仏像のようです。



いまは東大寺ミュージアムに移されています。

この辺りの地図を見てると
いろんな建物がありますねえ。

あれ?この案内の立っている場所の
横にあるのが「手向山八幡宮」です。

え~記憶のいい方は思い出してください。
2015年9月6日のブログに
ここが登場してますねえ。

この八幡宮の摂社には
佐保山に住む春を誘う心霊である
「佐保姫」が祀らわれていましたねえ。

今年の春の桜の花見が
いいものでありますようにと
お祈りしておきましょう。

さて、二月堂周辺が近づいてきました。



やはり、今回は観光客が多いですねえ。
途中奈良公園では多国語が
氾濫しておりました。
なにせ奈良公園には
年間1500万人の
観光客が来るそうですからね。
多分大半が外国人でしょうて。

doironも目立つ格好を
しておりましたが、
まあここではそんな服装の
目立たないこと。

それにしてもこの人たちは、
この日の夜が二月堂の修二会が
最終の盛り上がりを迎える日だ
ということを知って
来ているのですかねえ。

それから、ここには御髪塔という
石が立っています。



ここの説明は現地には
書かれていないのですが、
実は由緒ある石塔なんです。

聖武天皇が大仏殿で御受戒を
すまされたとき、
その剃髪された御髪や
冠及び衣服をこの下に
収められたという伝説を持っています。

13重の塔から一石足りないのですが、
まあ深い歴史を持つ石塔なんだそうです。

まあ、名前からして惹かれますよねえ。
さあ、では二月堂へと入っていきましょう。

この辺りは竹でいっぱい
コースづくりがされていますねえ。
この修二会に関する竹や杉は
日本各地から運ばれてきているんですねえ。

例えば、竹はどこからかというと、
おおこれも過去のブログに
乗せていますねえ。

去年の10月22日のブログで、
京田辺の歩きコースの中で
「二月堂竹送り復活の地」
という石をみましたねえ。



松明の竹やこういうしきりにも
使われているんでしょうねえ。

そして杉は伊賀一宮とかからも
届けられるそうです。



まあ、毎年こういう動きを
されている各地の人々も
大変なんでしょう。

くねくねと通り抜けていきます。

続く


二月堂の修二会1

2018年03月12日 21時14分03秒 | ウォーキング

毎年この時期になると、
報道などでよく伝えられてくるのが
「修二会」である。

様々なお寺で行われているが、
一番有名なのが
東大寺2月堂で行われる
「お水取り」といわれる行事だ。

ニュースなどでは、
大きな火の塊を持った僧が、
二月堂の須弥壇を駆けまわる
のがよく報じられる。



練行衆と呼ばれる精進潔斎した
行者11名がみずからの過去の
罪障を懺悔し、その功徳により
興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、
五穀豊穣などを祈る法要行事なのだ。

この二月堂の修二会は
3月1日から14日の間に行われる。
いつもdoironの誕生日の日に、
クライマックスを迎える行事なのだ。

これが始まったのは西暦752年で、
なんと1200年以上もの間、
一回も休まずに毎年行われているそうだ。

この二月堂が火事で燃えたときも、
戦争中の年も人を集めるのにも苦労して、
それでも一回も欠かさずに
続けられているのだそうだ。

この修二会の間、様々な行事が
行われるのだが、
それをひとつひとつ書いてても
きりがなく、また話もややこしい。

なぜこういうことが?
と解らんようなことばかりなのだ。
そもそも一回も休まずに
これが行われていることが
誠にすごいことだ。

こんなにあやふやで
どうでもいいようなことばかり
起こる現代でも、粛々と
毎年続けられている。

人々はそんなにも様々な
本尊に救いを求めているのかと、
もうこんなええ加減な
毎日を送っているような
のんきなおっさんの想像を
はるかに超えているような、
苦行なのだそうだ。

じゃ、一体その現場は
どうなっているのか、
ええ加減な知識のまま
そこをとりあえず訪れてみようと、
籠松明がたかれ、
お水取りといわれる行事が行われる
本日3月12日に奈良まで
行ってみることにした。

実際に籠松明がたかれる
夜間ではなく昼間なので、
まだ二月堂に近寄れないほどの
人はいないだろうと判断して、
車で行くことにしたのです。

で、出発したときに
ふと気が付いたのだが、
この時の服装だ。

まだら模様のズボンに、
3Lサイズの上着。
靴はマーモットの都市型
ゆるゆるシューズと
お寺を静かに訪ねていくのに
これはないだろうというスタイル。



もうお水取りが何なのか知らずに、
ノホホンとやってきた
アジアの国々の人のような姿だ。

かろうじて、少ない髪の毛が
お坊さんのようなのと、
愁いを込めた顔が
苦労している坊さんのようだ
というくらいかなあ。

これは静かに目立たんように
参らないといけませんね。

奈良に車で行ったときには
県庁の駐車場をよく利用します。
東大寺と興福寺に挟まれた
交差点のすぐ横にあるから
移動が便利なのだ。

近畿道から西名阪に乗り、
郡山で降りて国道24号を北上していく。
奈良公園の標識をたよりに
近鉄奈良駅を目指してゆく。
そしてそこを過ぎると
左端が駐車場に入っていく
コースとなるのだが、
な、なんとこれがもう
バス、タクシー、マイカー
であふれかえる大渋滞である。

これはいかん。

急遽、駐車場をさらに奥の
春日大社の駐車場に変更し、
向かって行ったら
ここはまだ空いていたので
ホッとしました。

ではここに車を止めて
歩いていきましょう。

それにしても、あちこち訪ねて
車で行くのも、経費が掛かりますねえ。
年金暮らしになったら、
もう少し安上がりな
お出かけ方法を考えないといけませんね。
とりあえず駐車場で
一回料金1000円を払い、
地図で二月堂の位置を確認し、



奈良公園を歩いて
抜けていくことにしましょう。

あ、駐車場にはこんな
春日大社の宝物殿もありますねえ。



興味ありますが、今日は
お水取り取材ですから
次の機会に譲りましょう。

それにしてもこの辺りは古い森です。
春日山の原始林の
端っこに当たりますねえ。



こんなでかいイチイガシや
巨木が立っているなか、





二月堂を目指していくdoironなのでした。



続く