さて、大津は湖上交通の要所でもあり、
北国街道と東海道の
合流地点でもあります。
なのでこの辺りには、
旅籠がいっぱいあり、昔は
長距離移動の使れをいやす地域でした。
また昔の絵なんかによると
この辺りに本陣があって、
結構にぎわったそうです。
しかし、その旧跡はもう
ほとんどなくなっており、
いまは明治天皇が休憩した
この聖跡碑が建つのみだそうです。
いやあ、昔の人の長距離移動の
かなめの地域だったのですねえ。
などと写真を撮りに行ってる間に、
二人はどんどんと進んでいきます。
広い道を曲がり、
上栄町の踏切を渡ったら、
道は三橋節子の美術館に
三井の晩鐘
向かって坂道を上がっていきます。
ヒーハーヒーハー、
待ってくれ~。
坂の途中から大津の町と
琵琶湖を見下ろして
進んでいきます。
こういう分岐を越えて
現れてくるのが「近松寺」です。
近松寺は「ごんしょうじ」と読みますが、
ここで20歳ころを迎えた
武家の次男は、何を目指そうと
この辺りで過ごし、
結局この寺の名前を撮って
「近松門左衛門」
という浄瑠璃および歌舞伎の作者
となったとのことです。
彼のゆかりの地である
お初天神や彼の墓
(大阪市内と尼崎の二カ所)を
まわったことがありますから
感慨深いですねえ。
そこから大津大神宮、
長等神社を経て
ウサギの狛犬がいたり、
手洗い場があったりする
神社にやってきました。
「三尾神社」です。
おお~なんと今回旅の
道ずれとなったN尾さんに
名前が似ています。
これはもう陰謀に潜む何かを
表しているのかもしれません。
ここには卯年生まれの人の
守護神がいるようです。
さあて、我々は今回のコースの
一番北のはずれ、西国第十四番札所
「園城寺」(通称:三井寺)
に到着です。
この通称は天智・天武・持統天皇の
三帝の誕生の際に
御産湯に用いられたという
霊泉があり「御井の寺」と
呼ばれていたものから
ついたもので、
いまはもうこの名前の方が
よく言われています。
この寺の有名な物のひとつに
「三井の晩鐘」があります。
琵琶湖の竜神が人に産ませた子供が
元気に過ごしているしるしに
晩鐘を鳴らしてくれといった鐘を
「三井の晩鐘」といいます。
ほかにも龍神にまつわる
話が伝わっています。
琵琶湖と龍、何となく
結びつきやすい伝説が
いくつかあるんですねえ。
この鐘を見たかったのですが、
入山料もかかるので、
今回の目的とは違うので
中に入るのはパスにしました。
こんど納経しにやってきたときに
入山することにしましょう。
さあ、ではここから琵琶湖の方に
向かって降りていきましょう。
三井寺の手前で流れていた
琵琶湖疎水のところに
向かって戻っていき、
流れをさかのぼっていきます。
この疎水は、もう今から
100年以上前に建設された
琵琶湖から京都への水の
長距離導入路であります。
この水は、京都の人達の
飲み物としても使われるとともに、
ものの運搬の他発電なども行われ、
その電気を用いた市電の発達は
京都の町に発展をもたらしましたそうです。
とまあ、普通の歩き旅の
話をしていてはいけません。
長距離の琵琶湖疎水に
陰謀を感じなければなりません。
立ちションをさせようとするのは、
この疎水の陰謀でしょうな。
京都市民をそんな目に
合わせるわけにはいきませんからね。
琵琶湖マラソンのコース添いに出たところで
コンビニがありましたので
そこのトイレに突入しました。
え~っと、ここではお昼御飯も
買わないといけませんね。
おにぎりはっと、
この際ですから豪華な
イクラセットを買っておきましょう。
そしてビールは、
糖質ゼロで体のことを考えて
おきましょうって、
だったらイクラおにぎり
やめとけってなもんですな。
続く