ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

芦屋上品ウォーク 1

2017年03月22日 21時05分03秒 | ウォーキング

え~昨日のお腹の嵐は
ようやくピークを過ぎたようです。
医者で確認したら風邪ひきのようで
まだ少し余波は残っていますが
机に座ってパソコンを打つ分には
問題なさそうですので
いつものようにブログを続けていきます。

ーーーーーーー

さてブログの日付は先に進んだり、
後ろに戻ったりと、ここんとこ
ややこしくなっていますねえ。

整理をしておきましょう。

ネタをたぐってみたら、
今回は2月末日に歩いた日のことを
書かねばなりません。

それは、上品なdoironにふさわしい街、
芦屋を歩いた日のことです。

さあてどこを歩こうかなあと、
地図を見ていたらこの町のことが
書いてありました。

ああ、ここはdoironにお似合いの
静かな町と海沿いのきれいな道が
続くコースなんだ。

これは行って見なくてはと思い、
ぶらぶら出かけたのでありました。

電車で行くのもいいですけど、
まあここなら駐車場もあるだろうと、
車でJR芦屋の駅を目指しました。



やすそうな駐車場に車をとめ、
ナビをセットして歩き始めました。

まずは「在原業平」の歌碑を目指します。

駅から東向いてしばらく進むと、
川に出ます。

「芦屋川」ですね。



この川にかかる大正橋のところに
「松ノ内緑地」という
かつての幼稚園の跡地の一画に
業平の歌碑が置かれています。



ここに刻まれているのは



「世の中に 絶えて桜の なかりせば 
春の心は のどけからまし」という歌。

業平は実際この辺りに住んでいて、
芦屋川の桜を見ながら
歌った歌であろうといわれています。

その公園に植えられているのが
「業平桜」で、この近くには



業平橋、



業平公園なんかもあり、
彼は地元の人々に長く
愛されていることがわかりますねえ。

なんと線路の南側には
「業平町」という町名まであるそうです。

その歌碑から少し上流に行きますと、
月若橋という橋がかかっており
その東詰めに「月若公園」
というのがあります。



そこには、ホトトギスの
親子三代(虚子、年尾、汀子)の
歌碑も置かれています。



これもみんな芦屋川の春を呼んだ句碑ですねえ。

この辺の地元の人は
こういう文学が好きなんでしょうねえ。

芦屋川の桜がいっぱい咲いている頃に
来てみるのもいいかもねえ。

さあ、こっから芦屋川を
海に向かって下っていきましょう。

月若橋、大正橋、平成橋を越え
業平橋で橋を渡って
川の右岸の中を歩きます。

あっ、これは徳川が
大阪城築城のために
砕石した石ですねえ。



共同住宅地の建設現場から
出てきたそうです。

割とこんな近いところで
砕石していたんですねえ。

六甲山の花崗岩がよかったのかなあ。



きょうもいい天気で、
この芦屋川沿いは犬の散歩や



BBQ禁止も厳しくしているようで



きれいな川沿いの道が続いています。



あ、そうそう、芦屋のマンふたは
二種類ありました、
一つがこれ。



海と市の木である松を配置しています。
そしてこれは何かなあ。



市の花は「コバノミツバツツジ」ですが
どうもそんな風には見えないかなあ。
でも調べたらその通りでした。
ちょっと開きの悪いつつじですねえ。

さらに進んでいき、
公光橋から上に上がりますと、



そこに市役所がありました。



意外に芦屋って人口は
10万人もなく少ないのですねえ。
市役所も何となくさっぱりしていましたね。

その先にあるのが芦屋公園です。



350本の松並木が
芦屋川の景色と一つになって
きれいですねえ。
昭和10年に一斉に植樹された
松並木だそうです。



公園の中には、あの阪神大震災の石碑や



ぬえ塚というのがあります。

この「ぬえ」というのは
京都でやっつけられた
「ぬえ」(頭はサル、体はタヌキ、
手足はトラ、尾はヘビという化鳥)
が桂川に流され大阪湾に流れ、
ここ芦屋に漂着し、
芦屋川をさかのぼって流れてきたそうです。

それを見た芦屋市民は
恐れおののいて墓を作ったそうです。

公園内にはぬえ塚、
そしてその横の芦屋川には
ぬえ塚橋が架かっています。



続く