四国ツアーももうこれで
9回目となっている。
お遍路も、今回を入れて残すは
あと4回で、合計36寺
というところまできているのだ。
八十八寺もずいぶん先やろなあ
と思っていたのに、
もう半分も残っていない。
これだけ四国に来ていたら
このあたりにもかなり詳しくなったなあ。
だいたい年間にこれだけ頻繁に
旅行に行くところというのも
少ないからね。詳しくなるはずだ。
高速道路もかなり走った。
徳島自動車道、高松自動車道、
松山自動車道、高知自動車道は
もうたぶん全区間走っているだろう。
今回も淡路島から徳島自動車道を通り、
高知自動車道も走って行くことになっていた。
これまで四国といえば
4回くらいしか行ってなかったのにね。
これで少しは空海さんに
近づけただろうか。
このツアーに先立って、
これまで空海の勉強を
いくつかしてきたよ。
本も6冊読み、そのどれらを読んでも
彼が如何に傑僧であったかがよくわかった。
たぶん日本が生んだ
これまでのどの僧よりも、
彼は秀でていたんだと感じている。
彼は20年かけて学ぶつもりで
中国に船で渡ったのに、
2年で真言をきわめて
帰ってきたという。
しかも向こうの「青龍寺」
というお寺では一番のえらいさんにまで
なったということだ。
その青龍寺に似せて作られた
お寺が四国にもある。
それが今回回るお寺の
一番最初が同じ名前の
四国36番「青龍寺」である。
中国から日本に帰るときに、
霊地に飛ぶようにと
空海は東向いて「独鈷杵(とこしょ)」
という法具を投げたところ、
一番上が独鈷杵
日本海を越え、日本の上を飛んで
この地の松の枝に届いていたのを
後に発見してここに寺を作り
「青龍寺」という名前にしたのだという。
まあ、これはいわば
後付けの伝説ではあり、
先日行った能登の見付島でも
そういう伝説があったもんだ。
そこではその投げた法具を見つけたから、
島の名前が「見付島」なんだと行ってたね。
まあほかにも各地にそういう伝説が
残っているのでしょう。
杖で穴を掘ったら水がわいてきた
という伝説も各地にありますが、
全部後世に作られていったんでしょうねえ。
でもまあここは行ってみれば、
そういうゆかりの深い
名前のお寺ということになるので、
最初からじっくりと見てこよう
と思っているのだ。
今回の巡礼はまだまだ遠いところの寺群なので、
全部で6寺回るというコース設定である。
1泊2日でこれだから、
やはり遠いよなあ。
まあ前回ほど(4寺)ではないので、
時間に少し余裕があって、
昼食は弁当ではなく
食堂に入って食べることになった。
場所は、これまで何度も行った
「吉野川SA」での昼飯である。
前回は雪をかぶっていたSAでしたね。
で、中身はこれ。
豚しゃぶ付きの定食。
なかなか良くて、
一緒に行ってる首Dさんも
しっかり食べて
「食べ過ぎたあ」と騒いではりましたな。
この食事の時に一緒に
話をした人の高齢者の中に、
どのお寺に行くときも
写経したお経を持ってきて、
おさめてはる人が
話をしてはりました。
周りの女性が
「いつもそんなに書きはるのん大変でしょう」
と言い張ると
「ああ時間かかりますけどね。
でも時間はいっぱいあるからいいんです」
とにこっと笑ってはりましたね。
そうそうその人のことを思い出して、
実はdoironも今回は
一番目の「青龍寺」に
写経をおさめようと
書いて持ってきていたんです。
写経用の髪は百均に売ってます。
用紙が7枚と、下に敷いて
書き写す見本もはいって100円。
いやあ、百均てありがたいですね。
写経はこれまで高野山の
金剛峯寺と奈良の薬師寺で
したことがありますね。
あのころに比べて筆の扱いには
ちょっと慣れたようです。
頑張って書いた般若心経がこれ。
何枚か書こうと思いましたが、
とりあえずは今回は一枚だけにして
持ってきたのです。
これをしっかりと収めていきましょう。
続く