ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

西国三十三所 紀の川の粉河寺1

2017年03月25日 21時58分08秒 | ウォーキング

昨年も今頃はよく
和歌山の紀の川添いの道を歩きました。

世間が何となく春っぽくなってくると、
よりあったかくて春の花が咲き
風のそよぐこの地域に
行きたくなりますねえ。

特に大阪に比べてメチャ温かい
ということもないのですけど、
南国和歌山の入口みたいな
そんな雰囲気で引かれてしまいます。

この日も和歌山から
たどり続けている大和街道を
歩きに行こうと考えたのですが、
まだもうちょっと勉強不足です。

ネットや資料でもう少し
情報を仕入れてから
出かけることにしましょう。

とはいえなんとなく
春の風が気持ちよさそうな
この地域にはちょっと行ってみたいなあ
と考え、この日は西国三十三所のひとつ、
第3番粉河寺に行ってみることにしました。



昨年の大和街道歩きの時や
龍門山の登山の時に
寺の前は何度か通っているのですが、
中に入るのはどうも初めてのようです。

3月18日に京奈和自動車道の
和歌山jctが開通しましたが、
出掛けたのは三月になったばかりの
2日の木曜日でした。

天候はやや薄曇りの日でした。

車で近くまで行くと、
何やら事故っているようです。

車が1台と高齢者が一人で
駐車上の門柱のところで
ごちゃごちゃしています。

え~その前日doironは
高齢者の逆噴射を目の前で見てるから、
またここでもという感じでしたね。

大事なかったらいいのですがねえ。

そんな駐車場を横目に見ながら、
さらに中のほうに入っていきますと、

おお~お寺の駐車場がありました。

駐車料金を横のお土産屋さんで払い、
さあでは大門をくぐって
中に入っていきましょう。



このお寺は昔
猟師が光り輝く土地を発見し、
そこに庵を立ててやってきた人が
千手観音を刻みたてたのが
始まりだといわれています。

そして鎌倉時代に隆盛を極めましたが、
豊臣秀吉により全山焼失しました。

しかし江戸時代には再び堂宇が築かれて
再建され、今は紀州三大霊場の
ひとつとされています。

立派な大門をくぐって中に入りますと、
道は右の方へと曲がっていきます。

ふーん、外から見てただけでは
わからないけど、
中はかなり広いですねえ。

それにあちこちに、
説明用の札が立っていて、
いわれのありそうなところが
数多くありそうです。

これが子育て地蔵だそうです。



そしてこれが「仏足石」。





千手観音を掘った人は

「童男」

といわれる人でそのお堂もあり、
出現した池もそこにあるようです。





そして念仏堂もあり、



その先にあったのが「太子堂」です。



四国で普通「たいしどう」といえば、
弘法大師のお堂ですが、
ここでは聖徳太子のお堂であります。

その先にあるのが中門で、



そこに掲げられている山号

「風猛山」



の扁額は紀州十代藩主徳川治宝の筆
といわれているそうです。

なかなか豪筆な方だったのですねえ。

中門を超えても
まだまだいろんなものがあります。

これは芭蕉句碑で、



ここは身代わり地蔵ですね。



広い境内にあるいろんなところを
一つずつ細かく取り上げて
いくだけでもきりがありませんね。

この、ビャクシン、ソテツなどを
使って作った桃山時代の石庭は
面白かったですねえ。



和歌山のお寺には
こういう植物を使われることが多いようです。

ここは「国指定の名勝」とされていました。

さあいよいよ本殿に
近づいてきましたよ。

そこには、こんな大きな
クスノキがありました。



この神社が作られたころから
ここにあったことが
文書に残されており、
かなりの老木であることがわかります。

樹木にくっついて
耳をくっつけてみましょう。



なんか木の声が聞こえてきそうな気がします。

さて、では西国三十三所で
一番大きいといわれる
本殿に上がっていきましょう。

続く