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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

連れもて歩こら、紀州街道5

2013年05月03日 21時26分13秒 | ウォーキング

だんじり祭りで有名なのは、
9月の敬老の日の前の
土日に行われる岸和田祭りです。
この日には春木地区でも
だんじり曳行が行われます。

でも、堺、高石、泉大津、忠岡、貝塚など
紀州街道沿いの町のみならず、
泉州のほとんどの祭りは、
そのあと10月の体育の日あたりに行われます。

出てくるだんじりの数では
この後半の方が断然多いはずです。

とまあそんな具合に
秋にはだんじり一色になる泉州地方なんですが、
紀州街道を歩いていますと、
そんなだんじり関連の事物に
多く出会います。

街道について書かれたホームページなんかを見ていても、
だんじり格納庫というのが
よく書かれていますが、
泉州では

「だんじり小屋(ごや)」

といいます。
確かに、あちこちで見かけます。
今回歩いた区間でも数多くのだんじり小屋を見つけました。












他にもいちいち写真に撮るのも面倒なほど
たくさんありました。

この小屋の中には、
だんじり曳行に関する様々なものも一緒に格納されています。

doironの村のだんじり小屋にも、
太鼓、提灯、まとい、町旗、
緞子(ロープ)、ジャッキ、大工道具なども
一緒に入っています。

だんじりは、
今や一台一億円はするケヤキの塊ですから、
小屋には保険はもちろん
警備システムなんかも
施されているところもあるでしょう。

今回歩いた道もだんじりの曳行コースに
なっているところがたくさんありました。

それは、道に書かれてあるこれをみればわかります。



曲がり角を猛スピードで駆け抜けるのを
“やり回し”といいます。

通常の手順はこうです。
交差点の手前の停止線で、
場所と向きを整え
前梃子を入れ、ブレーキを踏んで、
一旦だんじりを停止します。

そして曳きてが体を低く落とし
力を入れたまま、
交差点に沿って曲がって並び、
合図を待ちます。

この時点で前梃子が抜かれていますから、
だんじりはブレーキのみで
止まっていることになります。

じりじりと進んでいこうとするだんじりを停めるために、
前に乗っている人間が
二人がかりでブレーキを踏みつけたりすることもあります。

そして曳きての青年団の気持ちが一つになり、
前方が開けていることが確認されれば、
それまでだんじりに向けて赤い面を見せていたうちわを返して、
白い面が見えるようにし、
団長が強く笛を吹くと、
曳きてたちが駆け足を始めます。

ブレーキはその一瞬前に解除されます。
加速度をつけて交差点に進入し、
ここぞというところで
屋根にいる大工方(だいくかた)が
うちわを持った両手を広げて合図を送ると、
小屋根の大工方が
それを受けて後ろ梃子の連中に
うちわで小屋根をはたいて合図を送ると、
主にだんじりを停める方向に
梃子についた緞子を引っ張ります。
もちろん梃子の内側には肩が入ります。
一連の動作にはタイムラグが生じますが
大工方の合図はもちろんそれも
考慮してのタイミングで放たれます。

前の引っ張る力と後ろの引っ張る力が、
一直線になるように
だんじりは曲がっていきます。

それでも曳きての力が弱かったり、
後ろ梃子のタイミングがずれていたりすれば、
だんじりの向っていく方向を調整するのが
前梃子の役目です。
前梃子を入れると、だんじりは一瞬、
入れた方向にくいっと曲がります。

前梃子入れると入れた側の駒
(だんじりの木のタイヤを「こま」といいます)の動きが
一瞬止まるからです。

前梃子は、入れるとだんじりが自分の方に向かってくるわけですから、
命がけ、それこそ必死のパッチで操作します。

そんな時のブレーキは禁物です。
両輪の回転をとめようとするのは、
前梃子の本来の作用を消してしまう行為に他ならないからです。

曳きて、前梃子、後梃子、大工方、ブレーキが数秒間の間に
完璧にそれぞれの役割を果たし、
ひとつになってこそ見事なやり回しができるわけですから、
やり回しがだんじりにとって
最大の見せ場であるというのは
こういう理由によるものなのです。
村の者が若者から熟年者まで一体となる瞬間です。

だから、道に書かれた停止線も
ただ漫然と引かれてあるわけではなく、
交差点への侵入速度、
やり回しの力量などを勘案して
経験に基づく位置に引かれてある
ということなんですね。

ああ、今頭の中でやり回しを一回やったような気がして、
少々疲れました。

doironは年齢的に前に乗る役割なので、
それら全体の動きを慎重に見極めつつ、
やり回しが決まったら

「いっけ~」

とうちわで曳きてをあおるような役目なんですが、
それだけでも交差点の手前では
口の中が乾きます。

弥栄神社にはこんな停止線もありました。



やり回しの場所でもなさそうなので、
これはもしかしたら、
氏神様へのお詣りのために、
一旦ここで止まるべし
というものかもしれません。

この弥栄神社をはじめ、
岸城神社、忠岡神社、大津神社など
主な神社はたいてい祭りの舞台となります。

街道沿いには、祭りグッズを売っている店も
いくつかありました。





祭りの装束は、パッチといわれる股引、
地下足袋、シャツの上に腹巻と法被
というのが標準的です。

これらのグッズも年々進化しており、
パッチにポケットが付いたり、
腹巻に携帯入れが付いたりしています。

とくに地下足袋の進化は著しく、
最近はナイキばりに
エアークッションのついた地下足袋もあったりします。

グッズ屋さんも品ぞろえが大変でしょうね。

だんじりを曳行するのには
道路交通法による許可が必要です。
ですから、曳くのは年に祭りの二日間と
試験曳と称してひくときだけです。

ただし、例外もあります。

新しくだんじりを新調するときには、
古いだんじりの昇魂式と
あたらしいだんじりの入魂式のときには
曳行の許可がおります。

今回も通過中に
入魂式のため駐車禁止の張り紙が
電柱に貼られてあるのを見ました。



そのために寄付をした人の
名前の一覧も各所に掲げられており、



これでは最もたくさん寄付をした人で
300万円の寄付をしていました。

doironの村でもかつて新調した時には
そんなものでした。

だんじりについて語りだすときりがありません。
まだ、法被のこと、毎年の寄付のこと、
だんじりの駒まわりのハイテク進化のことなど、
書きたいことはいくらでもあるのですが
機会があればまた書こうと思います。

とりあえず、紀州街道で触れた
だんじり魂のお話はこれくらいにしておきます。

あと次回に、この紀州街道の
話をもうちょびっとだけ
書きます