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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野街道、佐野よいよい3

2013年05月28日 21時32分35秒 | ウォーキング

街道は泉南市から阪南市へと進んでいきますが、
タイトルは今回の始点が泉佐野だった
ということで、そのまま佐野よいよいと続けます。

新家川を渡るとそこには
泉南市の古代史博物館・埋蔵文化センターがあります。



それは、その向かいにある
一岡神社横の海会寺跡と



その出土品の保存のために
建てられた施設のようです。

国の重文級の出土品が
わんさか展示されているそうですが、
今回は時間がないため立ち寄りませんでした。

その先の交差点にも
熊野街道の道しるべが建てられてあります。



しかし、この道しるべも
立てた時は目立ったのでしょうが、
次第に風化して
早晩文字も読めなくなりそうです。

熊野は木の文化のため
遺物が少ないのですが、
せめて現代の道標は
石で残してほしいですね。

その道しるべを左に行くのが街道ですが、
右に曲がってゴルフ場のネットを目指します。

すると300mくらいで
厩戸王子跡に到着します。



普通、厩戸の王子と言えば
聖徳太子を指しますよねえ。

先ほどの海会寺にある伽藍配置が
法隆寺のそれと同じで、
西暦600年ころに
聖徳太子によって建立されたもの
であることがわかっています。

それにちなんで、
この地にある王子を

「厩戸王子」

としたということなのかと
doironも最初は思ったのですが、
どうやら馬戸や馬留の表記が
昔の資料に見られることから、
ここは単純に熊野詣に伴った
馬の厩舎なんかがあったということなのかもしれません。

樫井川を苦労して渡った馬を、
ここでねぎらってあげたということなんでしょうか。

後鳥羽上皇の熊野御幸記では、
籾井王子で芸能を奉納し、
厩戸王子で宿した
と書かれてあります。

馬を休めるところがあっても
不思議ではありません。

「厩戸王子」でいろいろ思いを巡らせてから、
もう一度元の道に戻って、
道はいかにも街道然とした
古い道を進んでいきます。

泉佐野には独自の道標は見られませんでしたが、
泉南市はこんな道標や案内板を作っているようです。



一丘団地をすぎていくと・・・あれ?待てよ。
先ほどの神社は確か
「一岡神社」そしてこのあたりは
「一丘」地区。

微妙に字が違うぞ。

と思ってもう一度神社での写真を見返してみると、
入り口の石碑は「一“丘”神社」で
境内の掲示は「一“岡”神社」になっております。



地図やホームページでは“岡”になっており、
どうやら最近は
後者で表記されているようです。

ま、どちらでもどうぞみたいな、
好きな方を選択してください的な感じですかね。

疑問が解決したところで
(何にも解決してないけど・・・いつまでもかまってられないので・・・)
またテクテク進んでまいります。

そして、厩戸王子から歩いて
15分強で信達宿本陣に到着しました。







本陣というのはたしか前にもありましたねえ。
そう、「おおっ!?、紀州街道」
で登場した泉大津助松にある

「田中本陣」。

江戸時代参勤交代の休憩所や
宿泊所として用いられた場所です。

熊野街道もここでは
紀州街道と同じ道となっています。

紀州の殿様が
参勤交代で立ち寄ったのが本陣で、
ここは「信達宿本陣(したちしゅくほんじん)」
と言われてます。

江戸時代のことですから、
熊野詣の振興にともない
発生したものではありません。

ここで、スタートしてから約3時間経過しています。

ところで、泉南砂川ということで
連想されるのはなんでしょう?

ゴルフ場。そうですねえ、
泉南パブリックなんか行ってみたいですねえ。

たしか砂川国際とかいうところもありましたっけ。

花でいいますと、藤の花が有名ですね。

一本の木に3万五千以上もの花をつけるという

「のだ藤」。

それが、この街道沿いにありましたのだ。



その時はもう花のシーズンも終わってましたが、
咲いている時期だと
大勢の人々でごったがえすそうですのだ。

とまあダジャレなんかを言ってるうちに
お腹もすいてきたところで、
砂川駅前にさしかかりました。

今回は弁当はいれてなかったため、
ちょっとよさそうなカフェに入りました。

どんな食事をしたのか、
ビールは飲んだのか。


次回に続きます。


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