ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ヤマトの古代進む3

2013年05月21日 21時50分00秒 | ウォーキング

テレビ出演のおかげで
話が横道にそれてしまいましたので
山の辺の道に戻しましょう。



天理市のトレイルセンターは
なかなかナイスな施設です。
今回のように大勢で押しかけても
余裕でのみこんでくれます。
雨が降ったりしたら、
室内の無料休憩所なんかは
とてもありがたい施設でしょう。
税金を費やして建ててもこの施設なら、
街道のアピールにもつながるし、
市民も納得の施設でしょうね。

この日は天気も最高によかったので、
わてらのグループは
外で昼食をとりました。
適度に汗もかいたので、
ビールを飲もうと
近くのお店に行ったら、なんと
扉に鍵がかかったままお休み。

こんな看板も上げてるのに~。



あきらめかけたその時、
別の人がこの先に
たこ焼き屋があるのを発見。

無事、お買い求めできました。

こんな休憩のときに役に立つ優れものがこれ。



コンパクトサイズで広げると


あ~ら、不思議・・・なことはないけど

百均で売ってた

折り畳み式の「おざぶ」

それに座って、弁当を広げます。
今回の弁当のテーマはやはり

「山の辺の道」やね、やっぱり。



いいお天気と、一本の道沿いに
点在する村々を表現してみました。

名付けて「山の辺の弁当」。

まんまですな。

そしてビールのわて、
じゃなかったアテには
缶詰の「肉じゃが」です。



なかなかこのパターンはお気に入りです。
しばらくはまりそうですわい。

食べたり飲んだりしゃべったりしながら、
ここで小一時間休憩をし、
重い腰を上げて
またぞろぞろと12時30分に再スタートしました。

ここからはしばらく櫛山古墳や
崇神天皇陵、景行天皇陵などの横を
歩いていきます。





そして道は少し高台を巡り歩きますので、
きれいな青空を背景に、
遠くには二上山から葛城山、



近くには奈良三山を望みながら歩きます。



のどかさただよう
これぞ山の辺の道というパノラミックな景色です。



桧原神社が近づいてくると、
前方に本日の目的地「大神神社」の
御神体である三輪山が見えてきます。



以前から、
みそぎを受けて
入山料を払ってでも、
いつかは登ってみたいと思っている山です。

桧原神社は、その山の北に位置します。



大神神社の摂社(本社に付属する神社)で
元伊勢と称される、
三ッ鳥居が珍しい神社です。



また境内で注連柱の方を振り返ると、
ちょうど正面に柿畑を挟んで二上山が見え、
そこに夕日が沈む景色は絶景だそうです。



それもそのはず、ここは太陽の道の真下にあたります。

doironたちがここに到着したのは、
午後1時30分。
夕陽にはまだまだ早い時間なので、
絶景はあきらめました。

それにしても地形や方位、
太陽の動きを計算して、
ここに神社を造営した
昔の人の感性はなかなかのものですねえ。

ここからしばらく大神神社の境内ともいうべき
山すその狭い道を歩くと、
次に現れるのが病気を鎮める神様を主祭神とする

「狭井神社」

の入り口に到着です。

この神社の横には「薬井戸」という井戸があり、
御神水がわき出ています。
また、この神社へのお詣り道は

「くすり道」ともいわれ、

多くの人々の信仰を集めています。

また、今回は全く近寄ることもなかったけど、
以前この神社の脇から山の方に入っていき、
小さな滝を訪ねたことがあります。

そこが、あの三島由紀夫の遺作となった
「豊饒の海」第2巻に登場する滝なのです。

だから、この参道近くには
三島由紀夫の碑も設置されていたのを記憶しています。

そしていよいよ最後のクライマックス、
大神神社に到着します。



これまで、そうやなあ5回くらいは来たでしょうか。

初詣に来たときはびっくりするような人で
ごった返していたっけなあ。

この神社は先にも書いたように
背後の三輪山を御神体としており、
本殿はありませんので、
拝殿で二礼、二拍、一礼を済ませます。
ここはさすがに大和「一の宮」だけあって、
拝殿とはいえ立派なものです。

最も念入りにお詣りをし、
記帳もさせてもらって
ここからバスに乗るのですが、
少し時間があったため急ぎ足で、
平等寺



おわ~、これがうわさの三輪猫か

ちゃうちゃうただの三毛猫です。

猫も平等に鎮座しています・・・

そして、そこから5分で
鎌倉時代に彫られたたという金屋の石仏



までちょいと足を延ばして、
再び大神神社まで引き返してきました。

これで本日の目標はすべて終了です。
大鳥居脇の駐車場目指して歩きます。



さてさて、

「やまとは 国のまほろば たたなづく
 青垣 山ごもれる やまとし うるわし」
と古事記には書かれてあります。

この山の辺の道とこの詩は
切っても切れない関係があります。

そして、唐突なんですが
ふと思いついたのが
宇宙戦艦ヤマトの主人公の名前が
「古代進」という若者だったということです。

ヤマトと古代進

作者もきっとこの道が念頭にあって
主人公の名前を決めたのではないかと思っています。
彼の作品の中にはほかにも

「超時空戦艦まほろば」

なるものもあるので
彼はきっとこの道を歩いたことがあると
見ているのですがどうじゃろね。

というわけで、今回のシリーズのタイトルの意味が
わかりましたね。

街道の風情をおさらいしつつ
人気アニメの深層にも迫りながら
「ヤマトの古代進む」シリーズ

これにて終わりです。

お疲れ様でした。