ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ヤマトの古代進む3

2013年05月21日 21時50分00秒 | ウォーキング

テレビ出演のおかげで
話が横道にそれてしまいましたので
山の辺の道に戻しましょう。



天理市のトレイルセンターは
なかなかナイスな施設です。
今回のように大勢で押しかけても
余裕でのみこんでくれます。
雨が降ったりしたら、
室内の無料休憩所なんかは
とてもありがたい施設でしょう。
税金を費やして建ててもこの施設なら、
街道のアピールにもつながるし、
市民も納得の施設でしょうね。

この日は天気も最高によかったので、
わてらのグループは
外で昼食をとりました。
適度に汗もかいたので、
ビールを飲もうと
近くのお店に行ったら、なんと
扉に鍵がかかったままお休み。

こんな看板も上げてるのに~。



あきらめかけたその時、
別の人がこの先に
たこ焼き屋があるのを発見。

無事、お買い求めできました。

こんな休憩のときに役に立つ優れものがこれ。



コンパクトサイズで広げると


あ~ら、不思議・・・なことはないけど

百均で売ってた

折り畳み式の「おざぶ」

それに座って、弁当を広げます。
今回の弁当のテーマはやはり

「山の辺の道」やね、やっぱり。



いいお天気と、一本の道沿いに
点在する村々を表現してみました。

名付けて「山の辺の弁当」。

まんまですな。

そしてビールのわて、
じゃなかったアテには
缶詰の「肉じゃが」です。



なかなかこのパターンはお気に入りです。
しばらくはまりそうですわい。

食べたり飲んだりしゃべったりしながら、
ここで小一時間休憩をし、
重い腰を上げて
またぞろぞろと12時30分に再スタートしました。

ここからはしばらく櫛山古墳や
崇神天皇陵、景行天皇陵などの横を
歩いていきます。





そして道は少し高台を巡り歩きますので、
きれいな青空を背景に、
遠くには二上山から葛城山、



近くには奈良三山を望みながら歩きます。



のどかさただよう
これぞ山の辺の道というパノラミックな景色です。



桧原神社が近づいてくると、
前方に本日の目的地「大神神社」の
御神体である三輪山が見えてきます。



以前から、
みそぎを受けて
入山料を払ってでも、
いつかは登ってみたいと思っている山です。

桧原神社は、その山の北に位置します。



大神神社の摂社(本社に付属する神社)で
元伊勢と称される、
三ッ鳥居が珍しい神社です。



また境内で注連柱の方を振り返ると、
ちょうど正面に柿畑を挟んで二上山が見え、
そこに夕日が沈む景色は絶景だそうです。



それもそのはず、ここは太陽の道の真下にあたります。

doironたちがここに到着したのは、
午後1時30分。
夕陽にはまだまだ早い時間なので、
絶景はあきらめました。

それにしても地形や方位、
太陽の動きを計算して、
ここに神社を造営した
昔の人の感性はなかなかのものですねえ。

ここからしばらく大神神社の境内ともいうべき
山すその狭い道を歩くと、
次に現れるのが病気を鎮める神様を主祭神とする

「狭井神社」

の入り口に到着です。

この神社の横には「薬井戸」という井戸があり、
御神水がわき出ています。
また、この神社へのお詣り道は

「くすり道」ともいわれ、

多くの人々の信仰を集めています。

また、今回は全く近寄ることもなかったけど、
以前この神社の脇から山の方に入っていき、
小さな滝を訪ねたことがあります。

そこが、あの三島由紀夫の遺作となった
「豊饒の海」第2巻に登場する滝なのです。

だから、この参道近くには
三島由紀夫の碑も設置されていたのを記憶しています。

そしていよいよ最後のクライマックス、
大神神社に到着します。



これまで、そうやなあ5回くらいは来たでしょうか。

初詣に来たときはびっくりするような人で
ごった返していたっけなあ。

この神社は先にも書いたように
背後の三輪山を御神体としており、
本殿はありませんので、
拝殿で二礼、二拍、一礼を済ませます。
ここはさすがに大和「一の宮」だけあって、
拝殿とはいえ立派なものです。

最も念入りにお詣りをし、
記帳もさせてもらって
ここからバスに乗るのですが、
少し時間があったため急ぎ足で、
平等寺



おわ~、これがうわさの三輪猫か

ちゃうちゃうただの三毛猫です。

猫も平等に鎮座しています・・・

そして、そこから5分で
鎌倉時代に彫られたたという金屋の石仏



までちょいと足を延ばして、
再び大神神社まで引き返してきました。

これで本日の目標はすべて終了です。
大鳥居脇の駐車場目指して歩きます。



さてさて、

「やまとは 国のまほろば たたなづく
 青垣 山ごもれる やまとし うるわし」
と古事記には書かれてあります。

この山の辺の道とこの詩は
切っても切れない関係があります。

そして、唐突なんですが
ふと思いついたのが
宇宙戦艦ヤマトの主人公の名前が
「古代進」という若者だったということです。

ヤマトと古代進

作者もきっとこの道が念頭にあって
主人公の名前を決めたのではないかと思っています。
彼の作品の中にはほかにも

「超時空戦艦まほろば」

なるものもあるので
彼はきっとこの道を歩いたことがあると
見ているのですがどうじゃろね。

というわけで、今回のシリーズのタイトルの意味が
わかりましたね。

街道の風情をおさらいしつつ
人気アニメの深層にも迫りながら
「ヤマトの古代進む」シリーズ

これにて終わりです。

お疲れ様でした。


テレビ出演の余波

2013年05月20日 21時35分19秒 | 最近の出来事

テレビの力は大きい。
今日もまた知り合いからメールが届いた。
土日が明けて、
会社で同遼と顔を合わせて聞いたんだそうだ。

そんな人もいるかと思えば、
ブログに前もって書いてたおかげで、
録画を含めて見てくれた人がたくさんいたようです。

反響は思ったよりも大きかったです。

そして今日は、村の人からも何人かに言われました。
昨日の山で使ったテントや寝袋を干していたら、
道行くご近所さんが庭を覗き込んで、

「あんた、テレビに出てたなあ」

だって。

村の人にブログは公開していないので、
その人たちは純粋に
ナニコレを見ていてびっくりしたんだろう。

同じ苗字の人に至っては、
身内でテレビに出た人がいてるやろと
連絡もあったみたいだ。
変わった名字やから余計に目立つしね。

しかし、こんな気候のいい時期の、
土曜日の昼、しかも晴天にも関わらず、
けっこう視聴率が高いんやね。

朝から顔を合わすごとに言われたので、
もうまったく有名人になってしまった
(もとから村じゃ有名人やけど・・・)
気がしてしまいます。

それからは車に乗っている人も
こちらを見て笑ったように見えたし、
イズミヤに行っても、知らない人にじっと
顔を見られているような気がしてしまいました。

ま、これを自意識過剰っていうんでしょうがね。

これに出演する前は、
おはよう朝日に社長と出ました。

広報担当の頃はラジオにも出演しました。

どれもその時は緊張したけど
いい思い出です。

なのに、今回全く緊張も
何もしなかったのはなぜ?

それだけ感受性が乏しくなったんでしょうか。
それとも、もう何も怖いものはないという、
現在の立場がそうさせるのでしょうか。

緊張しないどころか、
次は何を投稿してやろう。
鉄は熱いうちに打てというし、
「わて」も熱いうちに売った方がいいのでは
などと考えている自分がいるのには驚きですわ~。

今に至るまでは、
いろんな人に迷惑もかけてきたし、
わて自身犠牲にしてきたことは少なくないし、
今も迷惑かけ続けているかもしれないけど、
とにかく、毎日毎日を、
わてなりに精一杯過ごさなければと
テレビ出演をきっかけに
改めて思っている今日この頃なんですわ~。

その割に
なんか目指すところが間違っているような気が
しないでもありませんが・・・


テレビに出演しました

2013年05月19日 20時26分51秒 | 最近の出来事

無事?ナニコレ珍百景の放映が終わりました。

阪神戦が雨で中止になってたら
15日に放映されていたかもしれませんが、
予定通り試合がありましたので、
山に行ってて本人が見ることのできない
18日昼の放映となりました。

それを見て、メールをくれた10数人のみなさん、
ハゲ増しの言葉や称賛の言葉を
いろいろとありがとうございました。

doironも今日、山から帰ってきて
さっそく録画を見てみました。

そうかあ、あのパターンを採用したのか。

撮影時には、いくらかのパターンを想定して
演じさせていただきました。
番組内で他にどんなお題がくるかわからないし、
全体の流れもあるだろうから
テレビ局としては当然の措置でしょう。

今回のパターン以外にどんなパターンがあったかというと・・・
「探偵ナイトスクープ意識パターン」
「doiron、落語家に間違えられるパターン」
「他の登山者もびっくり仰天パターン」
「doiron反省パターン」
「役場の取り組み称賛パターン」
などがあったんですよ。

でもまあ、一番素直に演じれた

「恒例の役場の人に聞こう」パターンが
採用されたのは何よりでした。

惜しむらくは、
小生意気な泰造さえ押していれば、
登録されたのにその点は残念です。

しばらくは泰造とは
口もきいてあげないことにします。
その代り、押してくれた優香ちゃんは
頭をナデナデしてあげてもいいと思っています。

ともかく、約1000倍の競争率を勝ち抜いて
採用されたわけで、
採用料の3万円は
いつどんなふうに入ってくるのだろうか
というのが目下の関心事です。

そしてそれはすでに前倒しで
ずっと欲しくて、
ようやく買ったカメラの
支払いの足しにされているので、
早くいただきたいものです。

それと副賞の特性ボールペンも楽しみです。

届いたらまたここに掲載いたしまあす。

今回、出演料でゲットしたカメラのことも
また別の日に書くつもりですが、
このカメラで次のお題を探してまた投稿し、
再び「わて」で出演してやるから
と企んでいるdoironなのでした。

「わて」カムバアア~ック!ですわ。

そしてその時は、あなたにまた、
doironから共演依頼があるかもですので、
そのときはぜひともご協力くださいね~。


ヤマトの古代進む2

2013年05月18日 20時49分42秒 | ウォーキング

今回の山の辺の道歩きの総勢は
100人を軽く超えているでしょう。
時にはすれ違いの難しいような道を、
先頭の黄色い旗の世話役の人の後を
ぞろぞろテクテクと歩いていきます。

反対向きに歩いている人には
迷惑この上ない団体です。

主宰者側では地図も準備してくれていて、
当日朝に配られましたが、
doironは近鉄さんが出しているこのマップの
該当ページをコピーして
あらかじめ予習をしておきました。



このマップでは桜井市から天理方面へ
北上する設定になっていますが、
今回のような逆コースの方が、
全体的に下りになっていて
歩きやすいとのことです。

そんな資料は百均で買った
ジップロック風の袋に入れて持ち歩き、
所要時間や歩数、簡単な様子を書き込んでくのが、
doironスタイルです。

まず最初のお目当てが

「内山永久寺跡」



永久年間に建立された寺ですが、
明治に神道と仏教の分離を目的に行われた
廃仏毀釈で廃寺となって、
今はこの池を残すのみとなっているそうです。



伽藍は全て亡くなったけど、
平安時代の遺物が
形になって残っているんですねえ。

ここには芭蕉の句碑もありました。



「うち山や とざましらずの 花ざかり」

外様の身にはわからないけど、
この地の花ざかりは
さぞやきれいなんだろう、
というような句ですね。

晩年、奥の細道を歩き、
秀作を残した芭蕉ですが、
この句碑の句を書いた伊賀上野に住んでいた若いころから、
スタンダードなわかりやすい句を
書いていたんやなあと思いましたね。

このあたりは、柿、ミカンのほか
サクランボの実る樹も
多く植えられていました。



これらは、コース途中にある
無人販売所や農小屋に作られたお店で
売られています。

人気の街道ですから、
歩く人を目当てにコース沿いには
この後もいろんなお店がありました。







多分、建築制限などがあって
誰でも店を開店できるわけではないのでしょうが、
なかなか長閑ないいお商売のような気がします。

道は、柿畑だったり、山道だったり、



石畳だったり、



長閑な野道だったり、



車の行き交う車道だったりと



変化に富んだ姿を見せながら続きます。



夜都伎(やとぎ)神社も過ぎて、



イチゴのビニールハウスを横目に行くと、
竹ノ内環濠集落で
コースをそれてちょっと寄り道です。

外敵から守るために作られた環濠が
一部残っているというので見に行きました。

これがその環濠で、
よく写真で紹介されているアングルです。





そしてこの街道には、
このあたりから古墳が多く見られるようになってきます。

どうやらこの道を歩くときには何に注目するか
テーマを決めた方がよさそうですねえ。

神社仏閣だったり、
古墳だったり、
あるいは歌碑や句碑だったり、
人々の暮らしだったり、
道端の小さな野仏だったり
また自然だったりみたいにね。


道端の菜の花畑には蝶々がいっぱい飛んでました。

ま、今回はこの街道は初心者のdoironですので
気持ちの向くままにだらだら歩きました。

途中、「え~、これが道?」というような
墓地の中を集団墓参りよろしく抜けたりしながら
ぞろぞろ、歩きます。

おっ、これも珍百景かも

やがて、到着したのが

「大和神社御旅所」



その名にふさわしく、
ここで中休止です。

トイレもちゃんと作られてあります。
そのトイレに行って、ちらっと見たらすぐ横に、
こんなにたくさんの野仏が
ゴージャスに並んでいました。





道行く人を入れてパチリ。

ここを出るとすぐに、
万葉集に出てくる柿本人麻呂の歌碑があります。



「衾道を 引手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし」

奥さんを埋葬し、生きた心地がしないほど悲しんだ
彼の心境をうたった句だそうです。

この句碑も、この街道の案内によく使われています。

そして間もなく今回の街道の中間点、
天理市のトレイルセンターで昼食となります。




え~、本日doironは大峰の山に
首DさんやT本さん、遠Dさん達と入っております。
和佐又キャンプ場をベースに
大普賢もしくは無双洞あたりのトレッキングをした後は
お待ちかねのBBQです。
この話は、もう少し山の辺の道を書いた後、
お菊山トレイル、熊野街道泉佐野~山中渓に続いて
出てくる予定でえーす。

あ、そうそう、本日ナニコレの放映があったんですねえ
山に居るので見れなかったけど
どうやったかなあ。
多分、みっともなく写ってるんやろけど
ま、もとよりみっともない生き方の
doironですから構いませんけど・・・

明日、帰って録画を見るのが
わてはちょっと不安ですわあ~


ヤマトの古代進む1

2013年05月17日 20時44分32秒 | ウォーキング

関西各地のウォーキング愛好家に
好きなコースを上げてくださいといえば、
ベスト10に必ず入るのが

「山辺の道(やまのべのみち)-『山の辺の道』とも表記する」

古事記にもうたわれたこの道は、
奈良盆地東南から
ずっと山沿いに南北に通る
全長約35kmの道で、
特に天理市の石上(いそのかみ)神宮から
大神神社を経て桜井市に至る
約16キロ部分の山麓をめぐる道が、
古代~中世にかけての遺跡が
数多く点在する道として高い人気を誇っています。



この「山辺の道」を歩くイベントが
O泉市主催で5月12日に開催されましたので、
申し込んで参加してきました。

出発はO泉市役所からで、
集合場所の駐車場に行ってみると
大勢の人でごった返していました。
参加者が多く、
なんと3台の大型バスに分乗して
出発という大盛況ぶりです。

出発式でO泉市の☆長さんが挨拶をしていたので、
隙を見てちゃっかりと
一緒に写真をパチリ。
ミーハーなdoironです。



しかしそれにしても固いよ、☆長!

電車で行けば時間も費用もかさむところ、
わずかな参加費で、
ウォーキングの出発地点まで
バスで送ってくれて、
到着地点までまた迎えに来てくれるとはありがたいことです。

こういうイベントの開催は、
ぜひとも広報を見落とさないように
しなければなるまいて。


さて、今回のスタート地点は
天理市の石上神宮。



電車なら近鉄天理駅を降りてから、
町なかをてくてく歩かねばならないところ、
出発地点の神社に直結でした。

休憩も入れて約1時間半で到着しました。

神宮で簡単に説明があって、
さっそくスタートです。

8時集合で、あいさつと説明があり、
バスに揺られて歩き始めたのが9時40分でした。



ここが、山の辺の道(以後「街道」と記します)の入り口です。
道標に沿ってスタートし
何となく神秘的な雰囲気の森の中を
大勢の参加者がぞろぞろと歩き始めます。



するとすぐに、歌碑や道標が次々現れてきますが、
集団行動のためじっくり見ているヒマはなく、
詳細は後で調べようと、
とりあえず精力的に写真撮影をしました。





神宮の森の終わる頃、
この花の鉢植えがたくさん置かれてました。



有機物を菌経由で得て生活する、
腐生植物の「ギンリョウソウ」です。
これまで、ブナ立て尾根や
八ヶ岳のふもとで多く見かけましたが
一般の人はあまり目にすることのない植物です。

その姿や生態から、
この街道のシンボル的な植物として栽培もされ、
「幽霊草」の名がつけられて、
多くの人に印象付けられています。

神宮の森を抜けると、のどかな柿畑の中を
口縄のように縫って歩きます。



きれいに整えられた柿の葉は、
あの柿の葉寿司に使われたりするんでしょうか。



さすがに人気の高いこの道には
親切丁寧に道標が設置されています。



おや?よく見ると道標に

「東海自然歩道」

の文字がありますね。

それは、東京都八王子市の「明治の森高尾国定公園」から
大阪府箕面市の「明治の森箕面国定公園」までの
11都府県約90市町村にまたがる
長さ1,697 kmの長距離自然歩道のことですね。

この歩道は1本道ではなく、
恵那コースなどいくらか分岐もしています。

この街道も、実はその多くが
「山の辺コース」と名付けられた分岐道と
重なっています。

東海自然歩道もいつかゆっくりと歩いてみたい
とも思っていたので、一石二鳥ですがな、と
思いつつ、写真撮影などで頻繁に立ち止まるため
置いて行かれないように、歩くときは早足となります。

なので、道標は東海自然歩道として設置されたものと、
このあと登場する街道沿いの自治体が設置したもの
及び趣味の団体などが設置した私的なものの3種類があるようです。

いずれにしても、
これらの道標を見ながら
街道をてくてくと南下していきます。

空は晴天、気温も適度に暖かく、
風も爽やかと絶好の季節。
鳥の声も青空の中を響き渡っていました。

ただこの時期は紫外線が強いことだけが、
女性陣には不満だったようですが・・・。

早春の大和路、記憶と記録を頼りに
今日から何回かに分けて紹介いたします。

次回に続きます。


浪速ともあれ、熊野街道最終

2013年05月16日 21時13分39秒 | ウォーキング

今回のタイトル「浪速ともあれ」の部分は
とっても気に入ってます。
ブログの名前にしてもいいかなと思うくらいです。

で、誰か使ってないかなと思って
ネットでこちょこちょやってみたら、
あるんですねえ。

漫画で「ナニワトモアレ」というのがありました。
二部では「なにわ友あれ」と表記を変えているようです。

「浪速ともあれ」はなかったので、
まねしごんぼのそしりは免れそうです。

大阪の街道シリーズを一つにまとめて

「浪速友あれ、連れもて行こら」

と題してみてもいいかもしれんね。

ところで、唐突ですがなぜ「なにわ」というのでしょうか。
ちょっと押さえておこうと調べてみました。
そこで参考にしたのが、
この4月に近刊行された

「大阪府謎解き散歩」です。



5月刊行予定の「滋賀県謎解き散歩」で
全都道府県完全制覇になる人気本です。

それによりますと「なにわ」には
浪速、難波、浪庭など
諸説があるものの、
神話の時代まで遡る古名だ
と書かれてありました。

無難でもっともな答えやね。

今回歩いて、いろんな場面でも諸説が出てきました。

王子にしても、第一王子が
坐摩神社だったり、堀越神社だったりしました。

地名のいわれもそうでした。

街が都会化し、多くの人が住むにつれ、
いろんなことを言う人も増えてくるんでしょうね。

踏み込んでいけば、
それだけ選択肢も増えるし、
謎が謎を呼ぶということですねえ。

今回の街道歩きも、
八軒家浜から歩きだしたものの、
水の流れが分岐で分かれていくように、
街道に沿って次々と新たな謎に迷い込み、
興味が分岐して増えていきました。

例を上げると、先ほどの大阪市内の王子のことを筆頭に、
八軒家浜で発着していた三十石船とくらわんか船の関係は?
桂文枝の高津の高座は?
天王寺七坂の様子は?
織田作之助のほかの著作は?
阿倍晴明に関する逸話は?
経塚をとりまく調査は?
とちょっと考えても次々と
次のテーマになりそうなことが出てきます。

そうして、じわ~っと、世界が広がっていく
そんな感覚を覚えたというのは、
それほど大げさな表現ではないかもしれません。

世の中、まだまだ楽しいことは
山ほどあるということですねえ。

生きてることをもっともっと満喫してみたいですね。

さて、次は熊野街道北畠以南信太以北と
岸和田以南ですかね。

大津川遡行の歩き旅もしないとなあ。

ご近所のまだ行ってない場所もたくさんあります。

なにはともあれ、
なにはなんでも、
なにしてみたいと
思っている今日この頃です。


浪速ともあれ、熊野街道6

2013年05月15日 21時41分20秒 | ウォーキング

天王寺から南は、阪堺電車
すなわちチンチン電車(略して「チン電」)沿いに歩きます。



そうそうここから道標の形も文字も変わります。
これが6.0kmの道標。



阿倍野の交差点付近です。
字がちょっとポップな感じになりました。

あべののこの界隈は、
昔ながらのお店もあり、
頑張っておしゃれにしようとしている気持はわかるのですが、
どうしてもレトロな感じは払拭しきれませんね。

6.8kmの道標のある



「松虫」の交差点には、





こんな歴史の道の案内板もありました。

これで気になるのは、
その交差点の名前にもなってる
「松虫塚」と「佐藤魚丸」ですねえ。

「松虫塚」はといいますと、その由来は
諸説があって確定はしていないそうです。

一説が、後鳥羽上皇には身の回りのお世話をする官女がいて
その名前を松虫、鈴虫といったそうです。
あれ?たいていは三人官女といいますよねえ。
もう一人はというと、
これが「あぶら虫」。

「松虫、鈴虫、あぶら虫」

というのはウソです。
(でもこの頃にはゴキブリもいたんでしょうねえ
中世史とかであまり出てこないのは何故でしょう)

とにかくその官女の松虫が、
晩年にここに居を構えたからだという説があります。

また別の説では、ある旅人が
松虫の鳴き声に魅かれて迷い込んだところ、
なぜか亡くなってしまったという話もあります。

松虫は童謡でもおなじみで
「チンチロ、チンチロ、チンチロリン」と鳴く虫です。

しかし、実際は
多分そんな風情のある話ではなく、
きっと、どんぶりにサイコロを放り込むサイコロばくちの音に引き込まれ、
身ぐるみはがされて死んだと
そんな話の方がふさわしいように思うのですが・・・。
松虫の人にしかられますね。

いずれにしても「松虫」の由来は確定しておりませんが
熊野街道とは直接の関係はなさそうです。

そして、もう一つの「佐藤魚丸」ですが、
これも、江戸時代の狂歌師、浄瑠璃作者の名前ですから
やはり熊野街道とは関係ないでしょう。

ということで、この二点はチラ見だけにしておきましょう。

松虫からは、昔ながらの面影をとどめた
街道らしい道になります。



これはそこにあった7.0kmの道標と道しるべです。





ここまで昼食、寄り道含めて
5時間弱が経過しております。
予定では3時間くらいでの通過のはずだったのですが、
寄り道と迷ったのが長かったので
かなり遅れてきております。

そして7.1kmのところで



到着するのが、「阿倍晴明神社」です。



阿倍晴明、陰陽師で有名なこの人は、
以前このブログでも書いたし、
ジダンのブログでも紹介されている
聖神社で出会った白狐と結婚した
阿倍保名の子どもだといわれています。

当時の天文学なども学び、
自然の動きを予測したことから
不思議な力を持っているとされていました。
占いの能力にも長けていたといわれています。

まあ、当時のゲームなんかがあれば
きっと

「晴明もらえる!」

みたいなキャラクターだったんでしょう。

この神社が彼の生誕地伝承地です。



本殿は大正14年に復建されたものなので、



doironの親父よりは新しいものです。

そしてこれが彼の産湯に使った井戸。



その横には彼のお姿も母親とともに建てられてありました。



そしてこの神社のすぐ横にあるのが、
大阪市内で唯一現存している王子社跡である

「阿倍王子神社」。



しかしこの「阿倍」をパソコンで打つ時は混乱するねえ。
今の総理大臣は「安倍」だし、
俳優は「阿部寛」だったり
「阿部サダヲ」だったりとややこしい。
やはりこの場合「阿倍野」の「阿倍」
と憶えるのが一番いいかもね。

その阿倍王子神社には
「第二王子社」の碑があります。



多分「窪津王子」の次という意味でしょう。
この際「坂口」、「郡戸」、「上野」の各王子は無視されています。
なんかこのあたり、それぞれの言い分がありそうですが、
ま、その辺は気にしないでおきましょう。



境内のクスノキがおごそかな雰囲気をかもしておりました。

この神社を出てしばらく行くと左手に

「晴明丘公園」があり、


そこに「経塚」が建てられてありました。



摂津名所図会にも描かれてあり、
聖徳太子が一字一石経を埋めたとか、
空海が写経を埋めたとかいわれています。

通常、経塚とはそういうものなのですが、
このあたりには、他にも
「大名塚」や「小町塚」「播磨塚」など、
古墳の存在をうかがわせる塚が残っているそうです。

この熊野街道沿いには
堺市でも多くの古墳が見られるように、
今は手塚山古墳しか残っていない大阪市内にも
もしかしたら地方の豪族の他の古墳とかがあって、
経塚もそこに設けられたひとつかもしれない
とも言われていますが、
真相は定かではないようです。


さて、ここまで5時間強をかけて
八軒家浜から歩いてきました。

直線距離にすれば8キロ足らず、
寄り道を入れれば、活動量計から推測して
約16キロくらいでしょうか。

今回はせめて大和川までと思っていたのですが、
ここで終了です。

レトロな駅の表示のあったチン電は



北畠の駅から、どこまで乗っても200円の運賃で
浜寺公園経由で帰宅したdoironなのでした。

「浪速ともあれ、熊野街道」歩いた部分はこれだけですが
最後に少しだけまとめを次回書いてみます。


テレビに出演します

2013年05月14日 20時57分14秒 | 最近の出来事

え~、まず先の4月20日のブログをお読みください。

早春の一日、
熊取の永楽ダム周辺の
プチトレイルを楽しんだことを書いてありますが、
その中で、消火栓に書かれた
「駐車禁止」の文字が
「ナニコレ珍百景」に値するのではないか
と紹介をしております。

これがなんと「値した」のです。
お酒を飲みながら
番組のホームページを見ていて、
何を血迷うたか、
魔が差したか、
そのことを書いて
「投稿」ボタンをポチッとな、
としたのが始まりでした。

ある日、ジムから出ると
携帯に「03」で始まる電話番号で着信が入っておりました。

「東京の知り合い」というと
心当たりは3人くらい。
でも電話をかけてくるなら、
携帯でかけてくるだろうと思いつつ、
気になるのでかけなおしてみたら、
出たのがなんと「テレビ朝日」の人でした。

電話代がかかるので
折り返しすぐにかけなおす
ということで待っていたら、
かかってきました。

話の内容は、
先日いただいた投稿メールで、
ぜひ取材をしてみたいので
協力してもらえないかとのことでありました。

ふ~ん、あの程度で取材対象となるんだったら
よっぽど投稿する人が少ないのかな
と思っていたら、
なんと一日2~3000通近く投稿があるそうで、
その中から毎日20~30を選んで
取材しているとのこと。

ということは、この時点で
一次予選ともいうべきほぼ100倍の
競争率を勝ち抜いたってことなんですね。

取材はもちろん、
投稿した責任もあって
二つ返事でオッケイし、
後日熊取町の役場で
待ち合わせをすることになりました。

でも一人で写るのは
ちょっぴり恥ずかしいなと思い
友達何人かに
一緒に行ってくれへん?と
声をかけたのですが
みんな尻込みされて
結局一人で行くことになりました。
スタッフからの電話では
「誰も歩いていたりしませんかねえ」と
聴いてきたので
「平日にはほとんど人が来ない所ですよ」と
いうと、とても残念そうにしていたのが
誰か連れてきてくださいよという
合図だったのかもしれません。

当日、いつもの山歩きの姿で
熊取町に行き、
役場の人も同行して
現場近くまで車で送っていただきました。

そして車を降りてしばらく山道を歩き、
息を整えてからいよいよ撮影です。

まず投稿の内容について
説明してくださいとカメラを向けられました。

ち、近い!

カメラのレンズが顔から30cmくらいのところあります。
う~ん、ひげの剃り残しはないかな?
鼻毛出てないかな?
と気にしつつ

「それは僕が、山道を歩いていた時のことです・・・」
と話し始めたら「カア~ット」と中断が入りました。

「えーっと、全国放送なので、
関西の大阪の人とわかるようにしゃべってください。
『僕』は『わて』でいきましょう。そして語尾に
『~ですわー』というのもつけましょう。
普段しゃべってるように。」といわれました。

ふ、普段そんなしゃべり方はせーへんけど
と思いながらも、
投稿した責任上演じてあげることにしました。

東京から出張取材にきてるのやし、
手ぶらで帰すわけにはいかないぞ、
みたいな妙な使命感を
わては働かせたわけですわ~。

途中、知らないハイカーたちの協力もあって
無事撮影終了。
役場の人も目的を果たせたようで、
撮影は滞りなく2時間強で終了しました。

では、実際に放映が決まったら
また連絡しますということでその場は別れました。

そうですねえ、
毎日20~30を撮影し、
そして撮りためた中から
今度は週に20くらいを選ぶんでしょう。

単純に平均して
合計20000通の中から20ということは、
放送に至るまで
約1000倍の競争率を
生き残らなければならないわけで、
まあ今回程度のお題だったら無理だろうと、
半ばあきらめ気味に考えていました。

そしてパソコンにメールがあったのが
取材を終えてから約1週間後でした。

とりあえず「編集作業に入った」とのこと。

おおそうか、
二次予選通過か。
とは思ったものの、
それでもやはり無理だろうと思っていました。

それにどちらかといえば、
普段あまり使わない大阪弁で
応じてあげた部分も少々不本意ではあるし、
採用されなくても
それはそれでちょっとほっとするなあ。
などと考えていたら、
昨日、当日撮影に来た担当者から電話があり、
放映が決まったのでお知らせしますとのこと。

うひゃ~、放映されるんや

雑誌と言い、テレビと言い
近頃はマスメディアづいています。
それに先日、芦屋浜アスリート倶楽部の方から
携帯にメールがあって
そのチームのホームページに
このブログの転載をさせてほしい
というご依頼もありました。
それもOKしているので
近々掲載されるでしょう。
やたら露出度が高い今日この頃です。

テレビの「ナニコレ珍百景」の放映は、
全国的には5月15日(水)の
午後7時から2時間の特別番組だそうです。
さすがにゴールデンタイムですね。

しかし、関西は野球のタイガース戦があるので、
18日土曜日の午後1時55分から
2時間の番組に延期になるのだそうです。
15日は甲子園戦なので
野球が中止になったら
その日になるのか、
その辺のところはよくわからないので
新聞で要チェックやなあ、と思っています。

ほんでもって18日は
首Dさんたちと山に行くことになっているので、
残念ながら本番を見ることができないから、
失敗のないよう
録画をしないといけないと思っています。

どんな風に編集され、
どんなふうに映っているのか
楽しみでもあり、不安でもありますが、
まあもう何も怖いもののない身です。

まな板の上のドイということで
放映当日を迎えようと
開き直っている今日この頃のわてですわ~。


夕暮れのコウモリ

2013年05月13日 21時39分15秒 | 自然

街道話はひとやすみ。
遠い昔に思いを馳せているだけでは
あきません。
わてらは現実の中で生きておます。
今日は身の回りの軽い話題で
お口直しです。


ジムが休みだったり、
昼間に歩いたり走ったり、
バイクに乗ったりの運動をしたときなんかには、
あまり無理をしないでおこうと、
たまに夕暮れにぶらっと散歩に出たりする。

コースはというと、
たいていは近所の遺跡公園から
気の向くままに歩くことが多い。
最近はちょうどツバメが飛び回っているように、
ユスリカが羽化して大量に飛び回っているせいか、
そうして夕方に歩いていると、
このあたりでもコウモリの姿を多く見かける。

普段はほとんど見かけないこの動物も、
今の時期は人目もはばからず
夕方くらいから飛び回り始める。

コウモリの種類は意外と多く、
街で見かける哺乳動物の中では
もっとも多彩な生き物なのかもしれない。

住宅地を飛び回るのは、
家の天井裏なんかに営巣する

「アブラコウモリ」

という種類が多いそうだ。


暗いからはっきり映ってないけど矢印がコウモリ

山の中の洞窟なんかに住んでいるのとは
違う種類だそうだ。
子供の頃から、
夕暮れに飛んでいるコウモリを
たくさん見てきたので、
多分、今見かけるのは
その子孫たちなんだろう。

街の中とはいえ、
やはり餌の加減で
田畑の上や大きな溝の上を
飛んでいることが多い。
あ、緑の多い公園でもよく見かける。

散歩の途中、細かい砂を
彼らの近くに向かって投げてやると、
飛行経路の航跡が一瞬ずれる。
よけているのか、
それとも虫かと思っているのかはわからない。

コウモリは3万から10万ヘルツといった
人間には聞こえない音波を出している。
その反射から物体の種類や動きを
瞬時に判断する能力は、
驚くほど高いそうだ。
これを、超音波を用いたエコーロケーションという。

しかし、音で描く景色ってどんなんやろ。

種によっては、水面のわずかな水の動きさえキャッチして、
水中の魚の動きをとらえて捕捉する
ほどの能力があるという。
魚群探知機も真っ青である。
時に自然は驚くべき姿を我々に見せるのである。

コウモリは地表はかなり暗いが
空はまだ明るいといった
薄暮の時間帯が好きなようだ。
といっても見えているわけではないから
虫が活発に飛び回る時間帯を
察知する体内時計も持っているんだろうね。

もっとも、それ以上暗くなると、
こちらの目でも見れなくなるということもあるので、
夜が更けても
頻繁に飛び回っているのかもしれないが
それはよくわからない。

ネットで調べてみると、
大阪でもコウモリの研究家はいるらしく、
結構な研究を展開されているようだ。

山の中に分け入って
洞窟を探してはにじり入っていき
生態を確認するなどという調査も
しているんだと書かれてあった。
まさかそこまでやろうなどという気は毛頭ないが
散歩の途中でじっと動きを見ていると
なかなか面白いものもある。

ただそんな風に夕暮れに空ばかり
見上げて歩いていると、
溝にでもはまってしまいそうで注意しないといけない。

とはいえ夕暮れの空はなぜか心にしみるので、
ついつい見とれてしまう。

こんな写真も撮った。



これは、雲が空半分を覆う日に、
弥生遺跡の復元建物と、
遠方に泉O津の駅のツインビルを撮影したものだ。
そしてこれも別の散歩の日に撮影した。



街路樹のシルエットと近代的なビル。

市内の風景の写真コンテストがあれば、
ぴったりかもしれない。
弥生遺跡公園がもっと明らかに
泉O津市内にあればなあと思う。
次はもう少し望遠で建物を
クローズアップしてみようかな。

ところで、コウモリは中国では福を呼ぶ生き物
として歓迎されているそうだ。
日本ではまだ何となく嫌われ者のイメージが強い。
doiron周辺の田舎じゃ
姿はいくらでも見れるけど、
一度じっくり顔も見てみたいものだ。


浪速ともあれ、熊野街道5

2013年05月12日 21時44分54秒 | ウォーキング

口縄坂への寄り道から
街道を離脱した元の位置に
戻って、少し南に歩くと
四天王寺に到着します。



寄り道も全部入れて
ここまで3時間強が経過しました。

街道としては、まだ6キロも
進んでおりません。
この道筋はいろいろとあって
遅々として進みませんな。

四天王寺は今から1400年以上前に
聖徳太子によって創建されたお寺です。
伽藍配置が独特で
よく法隆寺と対比されて教科書に出てました。



熊野御幸が盛んなころには
すでにあったわけで
後白河上皇や後鳥羽上皇
法然上人なども参詣しているそうです。

このお寺は、お寺が多数ある街の中にあって
ひときわ大きお寺で
天王寺の亀などは



漫才のネタになったりするなど
庶民にも「四天王寺さん」と言われて
親しまれています。
境内にはいろんな参拝所が
無数にありますが
中でもやはり今回のテーマで
やっぱりここでしょう。



失礼なハトが止まっておりますが

「熊野権現禮拝石」



伽藍群から真南の位置に
どっかりと置かれてありました。



当時の人が、はるかかなたの熊野に向かって
祈りをささげた石がこれ。



そういえば、昔大峰山に登った時に
熊野まで通じるお亀石があって
そこで

お亀石 踏むな叩くな 杖つくな 避けて通れよ 旅の新客」

と唱えたのを思い出しました。
信仰の思いのたけは違っても
人間てよく似たものに祈りを捧げるんですねえ。

お寺の中をぐるっとひとめぐりして
境内から出ると
そこにこんなお店がありました。



歴史は何も、建物や石碑や
紙に書かれたものばかりで残るのではありません。
じつは、この店で売られている

「釣鐘饅頭」

も歴史の証の一つなのです。

明治33年に勧進を初め、三年後の
明治36年聖徳太子1300年忌の時に
完成した高さ7.8メートル、直径4.8メートル
重さ157.5トンの世界最大の釣鐘が
完成したそうです。
11月24日の撞き始めから
昭和17年の撞き納めの日までに
1度しか撞かれなかったという「鳴らずの鐘」だったそうです。

それが第二次世界大戦の時の
金属回収令によって供出され
その姿を消してしまいました。

戦争は、こんな人々の
心の支え、多くの人の願いのこもった釣鐘を
非情にも、いとも簡単に
弾丸や戦闘機に変えてしまうんですねえ。

そんな運命をたどった釣鐘も
今はその姿はなく
人々の心からも消えつつあるんですが
その釣鐘の形を残しているのが
「釣鐘饅頭」なんだそうです。



まんじゅうの製作には
約4キロの真鍮製の焼き型を
使用しているそうですが
そんな歴史の残り方もあるんですねえ。

熊野御幸の頃には
もちろんありませんでしたが
その後の熊野詣の時には
昼食代わりの茶店の饅頭としても
広く人々のおなかを満たしていたかもしれません。

とまあ、そんなわけで
まんじゅうをお買い上げになったのは
正午も大きく回っており
ここらあたりで昼食タイムとあいなりました。

持参した弁当を食べるべく、
街道に沿って天王寺公園に向かいました。

と、その前に公園直前の
チェックポイントである

「堀越神社」に詣でました。



ここには「熊野第一王子之宮」があります。



ん?待てよ。
熊野第一王子の窪津王子は
天満の坐摩神社だったのでは?
と思い、建てられてあった由来を読みますと

「窪津王子は、その後四天王寺の
西門鳥居近くの熊野神社に鎮座していたと
伝えられていますが、後に堀越神社に合祀され・・」

と書かれてありました。

いろいろ諸説があるもんなんですね。

この神社には樹齢550年の「神木」といわれる
楠があります。



「気力が落ちた」
「疲れた」ときに
力をいただいてくださいという
アリナミンのようなありがたい樹です。
doironもしっかり触れてきました。

そしていよいよJR天王寺駅の向かい側にある

天王寺公園



に到着です。

本日のお弁当はこれ



毎日ヒゲをそることがなくなり
退職者身分を満喫しておりますが
そんな近頃のdoironを弁当にしてみました。
そして、このお弁当のおかずでは
足りないので、今回は特別にこれを用意しました。



知ってますか?懐かしいでしょ。
江戸っ子煮です。
昔、缶切りでガシガシ開けて食べましたが
いまはワンタッチで開けられます。



食べてみると、昔ながらの味はそのままで
とっても懐かしかったです。
ビールにもピッタシでした。

それにしても、
缶詰をアテに昼間っからビールとは
なんて天王寺公園にふさわしい姿でしょう。
退職者気分は最高潮に達しましたわい。

食後は興味深い人間ウォッチングをしながら
これも持参のイチゴをいただきました。

この度開通した
阿倍野の「α」をかたどった歩道橋を見学し



開業間近のあべのハルカスを見上げつつ



次の目的地である
阿倍清明神社へと
向かっていったdoironなのでした。

またまた続く