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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

浪速ともあれ、熊野街道2

2013年05月08日 22時11分25秒 | ウォーキング

いきなりの上り坂で始まる熊野街道。
その道は「御祓い道」と言われていました。

昔、京都の公家の人たちが
四天王寺にお詣りに来たとき、
地元の町民たちがこの道を掃除したから、
あるいは
熊野詣での際に窪津王子で
御祓いをしてもらってから歩き始めたから
とか言われています。

歩道にはこんな「伝い石」が埋められており、



しばらくはこれをたどって歩きます。
歩き始めて10分くらいで、
中大江公園の前あたりに
「八軒家から0.5km」の道標がありました。



最初は、結構細かく道標を建ててるんやなと思いましたが、
実はこの後、言っちゃなんですが、
うんざりするほど道標が出てきます。

道が曲がったり、
ややこしいところだけに建ててくれたらそれでいいのに
と思いますが、
どうやら立てやすい場所には建ててみよう
みたいな感じです。

しかも、街道の方向はこちら
とか一切書いていないのです。

昔の道標の方が「右 どこどこ」みたいで
わかりやすかったかもしれません。

実際に歩いている人の意見を
聞いて設けているわけではないのでしょう。

今歩いているのが
街道とわかるという点では
ないよりはましだと、
思うことにしました。

街道は歴史の散歩道ということもあって、
ところどころに歴史をにおわせるものもあります。
南大江小学校の前には、
こんな施設がありました。



太閤さんが作った下水が
今も使われていることを示す施設で、
ガラス張りでのぞけるようになった窓から、
実際に流れる下水が見えていました。

そしてそのすぐ先の南大江公園の



南西にあるのが

「朝日神明社跡」



これこそが、
窪津王子に続く2番目の王子

「坂口王子」伝承地

でした。
明治40年までそこに鎮座していたのが、
今は此花区に移座していると、
現地の案内板には書かれてありました。

公園を出てすぐのところに、
1.3kmの道標と案内板がありました。


それにしても、この辺りは
ユニークなお店が多いですねえ。



こんなハンバーガー、どうやって食べます?
かぶりついたら服を汚して
かあちゃんに怒られるのが関の山です。



「味は一流、値段は三流」の
黒毛和牛にこだわる焼肉店です。

そんなこんなを横目に見ながら
次に目指すのは、榎大明神です。

少し歩くと、背の高い樹影がもう見えてきます。



この樹は昔からエノキさんと呼ばれていたのですが、
昭和63年に枯死しそうになった時に
樹医に助けてもらったそうです。
その際に、その樹医からこの樹が榎ではなく
「槐(えんじゅ)」であるといわれたそうですが、
昔からのよしみで
今も「エノキさん」と呼んでいると、
置かれてあった「榎木大明神の栞」に書かれてあります。
近くに行くと、地元の人に大切にされているんでしょうね。
こんな貼り紙や



こんな貼り紙が貼られてありました。



何となく癒されますねえ。

この背の高い樹は、
樹齢670年といわれています。
なので熊野御幸が盛んだった西暦1100年前後には
まだなかったわけですが、
江戸時代には熊野街道の
立派なランドマークであったろうと思われます。
今でこそ背の高いビルに囲まれて
目立たなくなっていますが
当時は遠くからでもよく見えたことでしょう。

「榎の手前を左折せよ」と
当時の案内には書かれてあったことでしょうね。

もし左折せずに直進してこの榎を過ぎると、
道はグーンと下がっていきます。
その先はきっと、雨の日とかには
ぬかるみのひどい湿地や沼地だったかもしれません。

後で高津宮で見た古地図でも
大体そんな感じの地勢の配置になっていました。
だからこそ、街道はここで左折し、
湿地を迂回したのでしょうね。

そうそう、この樹が今も残っているのは
道路計画で何度も切り倒されそうになったけど
そのたびに、伐採関係者に
事故があって、今のままの状態になっているそうです。

そして、この地で生まれた直木賞でおなじみの
直木三十五の文学碑がこの樹に隣接しているので
それを見てから街道に戻ることにしました。



直木三十一から始まって、
毎年年齢に合わせて
名前を「三十二、三十三、三十四」と変えてきたけど、
三十五を名乗ってからは
名前を変えず43歳で亡くなったそうです。

そんな直木氏の碑と榎の祠のある大明神手前を左折して、
谷町筋を渡り、1.7kmの道標を過ぎたら



上汐通入り口に到着です。
そこに立つ1.8kmの道標を見ながら



今度は右折し、ここから街道は
こんな古い街並みも時折姿を見せながら



四天王寺近くまで
ほぼ一直線に南下します。

と書くと、ここからずんずん進んでいくようですが、
途中、第三王子や第四王子が
街道から離れていたり、
歴史的に貴重な遺物があったりして、
迷ったり寄り道したりしたので、
この道の区間で思いのほか
時間がかかってしまったのでありました。

続く