四天王寺近くまで一直線に続く上汐通りに入ると、
交差点ごとに右側を確認しながら歩かねばなりません。
道路の真ん中に鎮座しているという、
楠大明神を見つけるためです。
上汐通りに入って約5分。
ありました、ありました。
街道から100mほど離れ、
道路の真ん中を割ったように生えている
ここが「楠大明神です」。
これも、先の榎と同じく
当時のランドマークでしょう。
「楠が見えたら、
その向こうに高津宮がある」みたいなね。
楠は上の方が切られたのか、
わざと切ってあるのか、
根元の太~い幹だけが残っていました。
ここからさらに寄り道を伸ばして、
まずは「近松門左衛門の墓」を探しますと、
ビルの陰にありました。
これ。
現地の案内板には、
この地にあった
妙法寺という寺の境内に墓があったが、
寺が市外に移転したので
この場所に残し、
日本のシェークスピアといわれる近松の
偉業を追慕顕彰するんだと書いてありました。
狭いところ過ぎて全景が撮れませんでした。
でも、近松なんですが
尼崎市の広済寺にも墓があって、
そのあたりには近松の像まであるとのことです。
それはいったいどうなっているんだろうと思い、
調べてみますと、両墓所とも
近松の過去帳があり、
墓石も同時に建てられたとみられることから、
国の文化庁は両所を墓所として
史跡に指定しているんだそうです。
いろんなものを見るにつれ、
謎は膨らみ、疑問が語りかけてくるけれど、
こうして調べてみたら、
なあるほどとわかることもあって、
好奇心を満たしてくれる。
その辺も街道歩きの楽しみの一つなんじゃね。
そこから先にさらに西に行くと、
かなり探して
歩き回りましたがようやく見つけました。
そこにあるのが高津宮。
公園の横に立派な石垣が組んであり、
その上に鎮座しておりました。
湿地を避けて高台に作られてあるんですかね。
ここが、第三の王子である
「郡戸(こうづ)王子」推定地です。
これだけ高いと、
八軒家浜の方が見渡せたでしょうねえ。
あ、だから「高津」なんでしょうか。
織田作之助は「木の都」で
千日前あたりから見た景色を
「北より順に高津の高台、生玉の高台、夕陽丘の高台」と
書いています。
高いビルが乱立している現代でも
こういう景色が見渡せるところが
あるんでしょうかねえ。
ちょっと高いビルを探して
眺めてみたくなりました」。
ところでこの高津宮の境内の参集殿は
「富亭」といわれ、
5代目桂文枝の最後の高座となったところなので、
境内に立派な碑が立っています。
6代目の、今の桂文枝は
以前の桂三枝です。
昔ラジオの深夜番組を聞いていた頃が
懐かしく思い出されます。
その先代の5代目は派手さはないけれど
渋い落語を聞かせてくれた落語家でした。
ここ高津の最後の高座で
彼が演じたお題目は何だったのか
ちょっと気になるお話です。
境内の石碑の文字は
三代目桂春団治によるものだそうです。
二人で左右から上ってきて
ピタッとタイミングが合えば
相性がいいという相合坂(縁結び坂)や
昔、三下り半の坂だったことから
縁切坂と言われている坂を
フムフムと眺めながら高津宮を後にして、
楠大明神まで再び戻るまで約35分の寄り道でした。
再び元の場所から街道を南下し、
2.4km、
2.7km、
2.9km
を越え、
広い道路を渡ってから、その先を
大阪府のパンフレットに従ってまたまた寄り道をします。
次が、第4番目の「上野王子」です。
国際会議場に出て
地図に沿って目指したましが
これがなかなか見つかりませんでした。
結局、地図に書いてある以上に
多くの学校がひしめき合っていて
どの学校がなんて学校なのかすぐにはわからず
右に左にウロウロしながら
探したましたが見つかりません。
それでは、近くにあった図書館で聞いてみようと
入って質問してみました。
何せ図書館法では図書館の役割として
資料の提供があげられていますからね。
しかし、若い女性の事務員さんにはさっぱりわからず、
しばらくしたら、えらいさんのような人が出てきて
地図を広げてくれました。
でも残念ながら「王子」のなんたるかがわかっておらず、
さっぱり要領を得ませんでした。
「しばらくお待ちください」と言われて待っている間に
資料をよ~く見比べているうちに
図書館のすぐ横にある建物の入り口の石碑が
「上野王子」であることがわかりましたので
事務所に向かって、丁寧にお礼を言って
おさらばしました。
そんな苦労の末に見つけたのがこれ。
何でもないハイツの入り口に
ぽつんと置かれてありました。
ハイツの名前は「上之宮台ハイツ」でした。
それにしても郡戸が高津にあり、
上野が上之宮にあるように、
当時の王子名と今の地名が
微妙に符合するところが多々あります。
まさに、地名は歴史のタイムカプセルですねえ。
開けてみたらハッとするような歴史が、
隠されていることもあるんやろね。
そうしかなりの寄り道を余儀なくされ、
もとの街道に復帰するまで
小1時間かかってしまいました。
街道沿いの公園に植えられた「シャガ」を愛で、
街道行く手にそびえる阿倍野ハルカスを
現代の道標になぞらえて歩き続けました。
そして、四天王寺にさしかかる手前で、
今回熊野街道とは直接関係はないのですが
どうしても寄りたかったところがあったので、
六万体の交差点に向かって
西にまたまた寄り道をすることになり、
そこで待望の坂道を訪ねたdoironなのでした。
続く