ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

京都三十三間堂を目指して2

2018年11月22日 21時20分47秒 | ウォーキング

とりあえず東福寺の料金所の
前まで行って中には入らず、



またもとの道に戻ってきました。



さあ、ではここから少し
東向いて進んでいきます。



しばらく住宅地を進んでいきますと、
左手の山の中から仙人のような
高齢者が走り出てきます。



おおもう知らぬ間に我々は
こんな世界に紛れ込んでいたのか
というような感じです。

そこにあった案内板を見ますと、



京都一周トレイルの看板と案内です。
ああ、山を走るおじいさんでったんですねえ。
あんなに髭伸ばさなくても
って感じでした。



その一周トレイルの階段を
上がっていきますと、
そこに宮内庁が管理する
親王及び内親王の墓があります。



「守修親王墓」、
「淑子内親王墓」、
「朝彦親王墓」ですねえ。

そんな墓を通り過ぎていくと、
そこにあったのが泉涌寺です。




ここはねえ拝観料がいるのですよ。

京都をぶらぶらするときは
この手の経費が大きくかかります。
まあここで見たかったというのは、
玄宗がつくらせたという
「楊貴妃の観音像」というのが
ここの観音堂にあります。

え~それを見てみたいのですが、
まあ今回は遠慮しておきましょう。

目的が違いますからね。

京都で行くたびにすべての
お寺に入っていくと、
もうきりがないくらい経費がねえ・・・。

ま、ここはネットで観賞しておきましょう。

これはその観音堂で



その中にいるのが、この楊貴妃さんです。



ここは良縁祈願や縁結び、
美人祈願まで女性の願いを
かなえてくれる
パワースポットらしいです。

あ、doironのブログを見に来ている女性は
美人ですからネットの画像で十分ですねえ、
へへ。

さあて、ここの先には
「今熊野観音寺」がありますが、
まあここも横を素通りしていきましょう。



まあ、あの熊野の字が入っているから
気にはなるので、後でネットで
調べてみたら、大変なことが。

な、なんとここは西国三十三カ所の
15番札所だったんです。

三十三間堂を頭に置いていたので
三十三カ所は全く脳みそのの中から
抜けていました。

脳梗塞部分でかくれてしまっていたのでしょう。

でもなんかうまい具合に
出来ていますねえ。

同じ「三十三」なんて。

でもこれも調べてみたら、
根拠があるんですねえ。
三十三は観音に縁のある数字で、
「法華経」等に観音菩薩が
三十三種の姿に変じて
衆生を救うと説かれる
ことによるらしいです。

そんなことがわかっていたら
ちゃんと準備していったのにねえ。

ざんねんながらこの日は
納経帳も何も持っていなかったので、
パスしました。
いやあ、まだまだ信心が
足りてないってことですな。

また改めて納経セットを持って
ここを訪れましょう。

このお寺は泉涌寺の参道の
途中にあるようです。





どんどん下っていきますと、
ここが参道の入り口です。



車がねえ、結構ここをくぐって
入っていくのです。

そしてその横には即成院
というところがあります。

弘法大師像とかあるらしいので
入っていくと、なんか譜面置き
見たいな案内が並んでいます。



そうお寺で音楽会をするんですねえ。

そこに本日は拝観できません
と書かれてあったので、
弘法大師像だけ写真に撮って
出てきました。



この後はさらに下って
東大路通りの方へと出ていきます。



車やバスがドワーンと走ってますので、
商店街の中を歩いていきますと、
そこにあったのが「新熊野神社」ですねえ。



「新」という字がつきますが、
これは「いま」と読みます。



後白河法皇が創建した神社です。

あの熊野詣でを34回も行った人ですねえ。

源頼朝はこの法皇を日本一の
大天狗と言っていたそうです。
その法皇が植えたとされる
でっかいクスノキが、
今も神社の入り口横にそびえています。



見てみましょうと、続く


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