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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

龍田古道を歩いてきた6

2021年03月15日 22時11分21秒 | ウォーキング

これはまだdoironがうんと若かった頃のお話。

令和3年3月1日。
なんと若干64歳だったころのことです。
テレビや新聞で日本遺産に新しくなった
「龍田古道」のことを知り、
さっそくここに出かけて行くことにしたのです。

1回目は高井田から三郷町の駅まででしたが、
これが山を越える意外にハードなコースでした。

でも途中で出会った人たちが
親しそうに色々話しかけてくれる
あったかいコースでもありました。

で、今回はこの古道歩きの第2弾です。

この道が龍田古道といわれるようになった
根幹の部分を歩くことになるのです。

それでは出かけてゆきましょう。

今日の出発点は、前回のゴールだった
JRの三郷町駅です。
高井田駅から大和川沿いを
さかのぼってゆきます。

車で国道25号とそれと並走する
県道195号のドライブです。
途中、役行者の二十八の地
亀岩の経塚とかの横を車で通り
撮影もしたのですが、まあここは
次の第3弾で通るので、
写真を紹介しないでおきましょう。

大和川を大きな橋で渡り、
三郷町の駅横に到着です。
その手前にあった駐車場に車をとめて、
さあでは歩き始めましょう。

この日はさほど寒くもなく
青空満載の気持ちいい天気でした。



ここが三郷町の駅。
こんな飾り場もあるし、



ボランティアの人が傘を置いていたりします。



「三郷町」とは、
立野(たつの)、勢野(せや)、南畑(みなみはた)
の三つの村を合わせてこの名前になったそうです。



今も自治体は三郷町という自治体なんですが、
ここの三郷を代表するような名前の駅の所には
町役場はありません。
役場はこの先の信貴山下のところです
と張り紙がされていましたよ。



駅を過ぎると、山の方から
1本の川が下ってきています。



その川のところに立っていたのが
龍田古道の道標です。
新しいですね。
こんな活動を通じて、日本遺産に
なっていったんでしょうねえ。

川を越えたら登り道が始まってゆきます。



この近くに「神奈備神社」があるはずだ
と思ったら、左に階段が続いて
その上が神社になっています。



「神奈備」とは昔からある言葉で
「神と並んで」という意味があるそうです。
どんなところかなあと調べてみると、
ネットではこの神社は龍田古道沿いの
三室山の山すそにあったものを
ここに持ってきているそうです。
神がそこに鎮座する、
あるいは隠れ住まうというような
意味があるので、万葉集にも
この「神奈備」を歌った歌が
22首読まれているようです。

「神奈備の 磐瀬の杜の 呼子鳥 
いたくな鳴きそ わが恋まさる」。

とまあこう書けば、
昔からこの辺は重要な地という
意味があるように思いますが、
じつは三室山は斑鳩にもあったり、
龍田川も完全にその場所が
特定されているわけではないので、
謎を含んだままではあります。

では実際のこの神社は
いったいどんなところかなあ
と思って階段を上がろうとしたら
残念、いまは工事中で階段も上がれず
お参りもできないようになっています。



これは残念です。

上では何人かが工事をしている感じでした。
しかたないのであきらめて進んでいきましょう。



電柱にまた道標がありますよ。
この先にあるのが、
この古道の名前の元になった
「龍田大社」があるところです。

坂道を登ってゆきます。



あ、この坂道には名前もついています。
「安村坂」といいます。
安村氏はここの立野地域一帯を
支配していた人です。
安村氏は「魚梁船(やなぶね)」で
大和川の水運を担っていた人でもあり、
龍田大社の管理もしていた人なんです。



大社に向かっての
歩き始めの急な坂道はきついですね。

続く



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