ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

淀川完歩27  下流に突入

2016年05月21日 21時07分53秒 | ウォーキング

淀川を流れる水も、
下流のこんなところまで
いろんな世界を眺めつつ流れてきた。

最初は一気に広い琵琶湖から
瀬田川へだ。
まるで心臓から血管に
絞り出される血のように。
南郷洗堰でさらに力を補充した後は、
今度はゴロゴロと岩をこすりながら、
鹿跳橋前後から山間部を流れ、
宇治川となってから
宇治や伏見といった
名勝地をかすめていく。

平安、戦国、維新など
日本の大きな歴史のさなかを
眺めながら
三川合流後は周辺で
大勢の人が遊ぶ
大きな淀川となって流れてきた。

今、歩いているdoironのそばを
流れる川の水は、
ここまで人々の暮らしを
ずいぶんと飲み込んで、
なおも血のように
とうとうと流れている。

人々を潤し、都市の汚れを
流していくという水を
淡々とたたえたこの淀川を、
天気の良い春の日に
またいつものように歩いてきた。

今回は寝屋川部分から先になる。

もう河口までの距離も、
全長75キロのうち
ハーフマラソンに
ちょっと毛が生えた程度の
残りとなっている。

降りた駅は京阪の「香里園」駅。



さあ続きを歩こう。

駅前の人形に再会のあいさつをして、



コースはまず前回歩いてきた
淀川堤防の位置まで戻ろう。



あ、ナビはセットしてね。

二キロくらいをてくてく歩いて
淀川に出る。

前回と逆の向きを見ながら
歩いているから、
この前は見つけられなかった角度に



人形がいたりするんだよねえ。



あ、これは地図で見ると
鞆呂岐神社じゃないでしょうか。



淀川の流れ、過去の木水に備えた神社です。

二十カ用水の樋門のある村々の氏神ですね。
では入ってみましょう―
と行きたいところですが、
やっぱり前回歩くのをやめた
堤防沿いの道に
やはり一旦戻っていくべきですね。

堤防を上に上がっていくと、
おお~たくさんの人たちが
スポーツに汗を流しています。



背割提くらいから
ほんとに多くの人が
この川の河川敷で遊ぶように
なりましたねえ。

河川敷にはヨーロッパ原産の
アカツメクサがいっぱい咲いています。



そんな草々の合間にある
この距離標によると、
河口まであと22.4キロとのこと。

前方には淀川新橋が見えてきました。



茨木と寝屋川を結んでいます。
泉州の人にわかりやすく
言おうとすれば、
そうあの外環の延長線上
といったところでしょうか。

陸のほうには遠くに
生駒山脈も見えています。



昔からこの河川の水防は
強く叫ばれているからでしょう、
こういう水防倉庫が
各地に立っていますし、



こういう排水機場を設けて、
地域の水防にも備えているようです。



大きな川が一つあると、
いろいろと大変ですねえ。

まあdoironも血液サラサラ飲んだり、
圧力下げたりと大変ですけどねえ~。

堤防に書いてある距離標では
あと22キロになりました。

この川の距離標は、

石、



河川敷記入、



看板、



小さな鉄杭と多彩だね。



さて、このあたりからまた
町中に向かっていけば
さっき見かけた鞆呂岐神社に
出るのでしょうが、
一気に川を見て
すっかり飛んでしまいました。

残念ながらスルーですね。

で、このあたり、
河川敷が2重になっていたりと
ちょっと変な形をしています。



これは堤防を水害に備えて
大きくするという
スーパー堤防の名残かなあ
などと思ったりもしたのですが、
なんか違うようです。

そしたら、おお~こんな石が立っていました。



このあたりに、
日本最古の河川堤の築造工事跡である
「茨田堤」があるとのことです。

作られたのは日本書紀によると、
仁徳天皇11年に

「北の河の澇(こみ)を防がむとして
茨田堤を築く
(天皇は洪水や高潮を防ぐことを
目的として、淀川に茨田堤を築いた)」
と書かれてあります。

ではその堤防とはどんなものなのか、
というところで続きます。


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