ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

淀川完歩26 寝屋川に突入

2016年05月12日 21時03分43秒 | ウォーキング

ここが淀川資料館です。



小さな資料館ですが、
簡単な展示の他、
本などもいっぱいおかれているので
その気になれば
いっぱい勉強できるところです。

以前に来たあの時も、
そこそこ勉強させてもらいましたな。

そんなわけで、
無料であるにもかかわらず
今回は入館なしです。

外にある展示を眺めておきましょう。

これが周辺の案内図。



おっ、琵琶湖の形の池と
小さな淀川模型と
大阪湾まで作られているようです。
なかなか現地からはわかりませんね。



そしてこれは、
もうちょっと何回か先の
淀川歩きの時に到着するであろう
「旧毛馬洗堰と旧毛馬閘門」の
遺構跡(レンガのかけら)の展示です。

そんな意向を眺めながらも
どんどん下っていきます。

おっ、海まで26.5kmです。



石の距離票があったり、



こんな簡単な杭が打たれていたり、



と、いろんな形で川のことが示されています。

資料館を出てしばらく歩いていきますと、
道はまた自動車道の歩道へと入っていきます。



下に降りて、静かな歩道を
歩いてもいいのですが、
この先の自動車道路沿いに
見たいものがあるので、
がまんして歩道を進んでいきましょう。

前方に見えている橋は「枚方大橋」です。

そういえばこの辺りは、
マラソン大会や駅伝なんかでも
走ったことがあるように思います。

あの頃は元気だったなあ。

あ、ここが鍵屋資料館です。



立派な鍵を作っている・・・
というのではなく、
「鍵屋」というのは船の乗船客にとっての
船待ち宿である。

枚方宿の名物は、
船の乗船客相手に
「餅くらわんか、酒くらわんか」と
入り上げ言葉を挙げて商売する
「くらわんか船」が有名だったそうだ。

船が交通の重要な役割を
果たしていたころには
こんな船待ち宿も
たくさんあったんでしょうね。

京都から、大阪八軒家浜まで
船に揺られそこから熊野に
向かった人々も
こんな船運を使っていたんでしょうねえ。

あ、遠くにヒラパーの観覧車も



その先で、道路の左側には
ちょっとした遺構が見えます。

ひとつがこれ。



道標を見ていると、
京街道の道標が
ここに建てられているようです。







それから、郵便屋の渡しあとの
碑が建てられています。



そうこの辺りには、
郵便屋さんの渡しがあったそうです。

「郵便屋さん 走りんか 
もうかれこれ 12時や」
なんか大阪の庶民的な言葉が
書かれていますねえ。

そして、その少し先に立ってた
「巨大石碑」は明治18年に起こった
淀川の洪水碑の石です。



堤防が切れて広範囲に水が
市街地に流れ込んでいったといわれ、
それを機に建てられたものです。
明治18年6月に降り始めた雨は
15日、16日が豪雨で
「枚方切れ」を起こして水があふれだし、
死者・行方不明65名、
浸水戸数約7万個という
大災害となったそうです。

その後も水害は続き、
淀川と人々との暮らしは
様々な戦いを続け、
流れの改善や河川の整備で、
今になってようやく
落ち着いているようですね。

そんな碑を眺めてから、
ようやく枚方大橋をこえていきます。



するとその先で、
河原の道に先日
熊野古道で見つけたような
路面標示に出会いました。



「IL25.0」と書かれています。

そう、これもまた距離表示です。
ちょうど海まで25kmの
ところに書かれてありました。



そうしてその後も24kmの地点まで



てくてくと歩いて、



この日はこのあたりで
終了することにしました。





この日歩いたコースはこんな感じです。



これで淀川はつぎに
寝屋川部分から



歩き始めることになります。





そして淀川歩きも実は
歩く道は下流の方は
淀川の右岸と左岸両方にあります。

いったんゴールしたら
その次は川の向こう側を
歩いてみようかなと思っています。

まあとりあえずGWの淀川、
今回はここまで。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿