ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

和歌山ああやるせない3

2020年04月03日 21時14分19秒 | ウォーキング

ブラクリ丁を歩いていると、
こんな和菓子屋がありました。



総本家駿河屋というお菓子屋さんです。
なんかよく聞く名前ですねえ。
一時破産騒ぎを起こしたところですね。
店の名前から見て
駿河からこちらにうつってきたん
やなあと思ったら違うんですね。

このお菓子屋さんには
長い歴史があります。

徳川家の十男である頼宣公は
京都にある「鶴屋」のお菓子が
大好きでした。
なので、この頼宣公が駿河に
行った時にはその鶴屋も
つれていったそうです。

そしてその後その頼宣公がやってきて
紀州徳川家が興った時にも
和歌山に連れて行ったのですが、
そこに何と店の名前と同じ
鶴姫がお嫁入されてきたのです。

なので同じ名前を使うのは
恐れ多いとして、考えた挙句、
頼宣公と駿河に行った
というところから
総本家駿河屋を名乗るように
なったという話です。

なんか、関東の方の地名を
付けた方がありがたい
という気持ちがあったのかなあ。
それはよくわかりませんが、
そんな長い歴史を持つのが
このお菓子屋でした。

そしてなんとこのお菓子屋の
ある地名は、今も駿河町なわけです。

この駿河町からこの名前になった
という節もあり、その辺はちょっと
不明だそうです。

ではお店をのぞこうかと
思いましたが今日はまだ
歩き回るので、和菓子のお土産は
くちゃくちゃになりそうですね。
遠慮しておきましょう。

そのあたりから、先程歩いた
市堀川の方に向かっていきます。



川沿いに遊歩道があるのですが、
工事中のようで入れませんでした。



このあたりは、昔は納屋川岸と
いわれていたそうです。



紀国名所図会にも描かれています。

紀ノ川からどんどん荷物が
運ばれてきて、川に向けて
いくつも並べられた階段から
荷物がどんどん入ってきたそうで、
和歌山にとっては
重要なところでした。

まあなので河川敷の整備も
しっかり行われているんでしょうね。



そこから道をあるいていくと
「中橋」という橋に出ます。



先ほどの図会にも
描かれていましたね。

その中橋の北側に立派な
地蔵尊がありましたよ。



これは戦争中に大空襲の際に、
ここに逃げた多くの住民が、
波にのまれてたくさん
亡くなったところから、
それを供養するために
建てられた地蔵尊で
「中橋地蔵尊」といわれています。

ちょっと休憩してみている間に
二名の人がお参りしていきましたね。

町の片隅にある地蔵尊なんですが、
地元の人々の心の中には
静かに供養の思いが引き継がれて
いるんですねえ。

ああこんなところに
休憩していたら、
町を用事で歩いているような
おっさんには見えませんね。

コロナをまき散らそうとしている
おっさんにみえないように、
またやるせなく歩き始めましょう。

その先の、城から和歌山駅へと
続く中央通りの城北端から、
市堀川を見ますと川は
この先で曲がっているようですねえ。



そちらの方に歩いていきましょう。

途中ここには和歌山市立の
こども科学館がありますねえ。



ここにはプラネタリウムが
あるはずです。
実はミセスは昔、プラネタリウムの
星のおばさんをしていました。



まあだから今でも夜空の事には
詳しいのですが、
もし一緒に歩いていて、
こういう施設を見ると
入りたがりますねえ。

まあ今日はいませんし、
第一コロナで休館中であります。

曲がった川沿いにさらに
歩いていきますと。
古い橋が架かっていますよ。



それは、石でできた古い
「寄合橋」です。
宮橋とかは公設の橋でしたが、
ここは町方が作った
橋だったそうです。

これも先ほどの図会の中に
ありましたねえ。



その絵では、橋のこちら側に
火の見櫓が置かれ、向こう側には
高札場が設けられていたみたいです。



そして橋の親柱には
灯火が灯されていたそうです。



これが橋から見た市堀川で、
この先でさっき見たように
L字型に曲がっていますが、
昔はまっすぐにも
川が流れていたそうです。

続く