ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

和歌山ああやるせない2

2020年04月02日 21時09分50秒 | ウォーキング

立派な石垣や、



城内の緑を眺めたりしながら、



中門跡を通り、



大手門から城の外へと出ていきましょう。



また帰りに城の中を通るので
天守閣の方へは後程
向かっていくことになります。



けやき大通りを横切って、
本町通の方へと進んでいきます。



ブラクリ丁の方へと向かっていく
にぎやかな道です。
前方に大きな川が見えてきましたよ。

「市堀川」といいます。

そこにかかっている橋が京橋です。



そしてここが京橋門址といって、



昔の和歌山城の表玄関でありました。
この京橋にはいろんな飾りがありますよ。
こんな彫刻があったり、



てまりを埋め込んだような
広場があります。



これは、多分からくり時計なんでしょうねえ。



ネットで見たら殿様と手毬のような
感じだそうです。

そんな京橋なんですが、
実はもう一つ大きな役割があります。
それは、ここ和歌山から奈良の方へと続く
「大和街道」の起点にもなっているのです。

doironもその道をあるいています。
最近少し止まっていますが、
もう橋本のあたりまで行きましたね。

田んぼの中を歩いたり、
川の堤防をあるいたりと、
のどかないい道です。

今回のコースはここから
河原の道をあるくことに
なっているのですが、



敷石の損傷があって今は
降りることができませんので、
街中の道を進んでいきましょう。
ビル街の裏通りを歩き、
くねくねと進んでいきますと、
そこにあったのが

「紀州藩表千家屋敷跡の碑」



です。
表千家は茶道流派のひとつで、
紀州徳川家の茶頭として
格別の待遇を受けていたそうだ。
そんな表千家の家がここに
あったのですねえ。

その近くにかかっているのが、
堀詰橋です。



そこに案内が立っていました。



この川は、少し向こうで
分岐になっているところですねえ。



その分岐の近くに
かかっていた橋だそうです。

いずれにしても重要な
橋だったみたいです。

水鳥が浮かぶ、
あまりきれいとは言えない
水質の都会の水路って感じですねえ。



あ、向こうに東ブラクリ丁の
商店街が見えていますよ。
進んでいきましょう。

しばらく歩くと、何か音楽が
聞こえてきます。

昔きいた音楽ですねえ。
そこにその音楽の歌碑がありました。
ひとが近づくと音楽が
流れるようになっているんですね。

「あいたい みたい すがりたい
・・・
和歌山 泣きたい ああやるせない」


という歌詞の「和歌山ブルース」です。



この歌碑があるのは雑賀橋のところ。



すごい再生回数で話題に
なったような歌碑です。
この歌を歌った「古都清乃」さんは、
73歳になっても現役だそうです。
和歌山ブルースの歌詞の中には
「ぶらくり丁」の言葉があり、
この人の歌のおかげで
全国的に有名な地名になったそうで、
ここにこうして歌碑が
置かれたようですねえ。

そしてなんかこの橋の所には
映画館もあったような
気がするのですが、
勘違いかなあ。

ずっと昔に来た記憶があります。

そんな音楽を聴いて、
「ああ和歌山泣きたい ああやるせない」
とか心の中で歌いながら、
ここからブラクリ丁を
西へと歩いていきましょう。



ちょっと商店街は寂しいですねえ。

シャッターの降りている
店もありましたが、でも

どことなく人々の明るさが
この商店街を
支えているような感じです。



あ、この角っこのお店は
昔入ったような気がするなあ。
もう25年くらい前ですが。

そこから一本南側の筋を
歩いていきましょう。

昔この辺りの商店は、
商品をぶら下げて
販売していたので、
そこから「ぶらくり丁」の
名がついたといわれています。

今はまあそんなぶら下げている
商店はないのですが、
商店街の通路に商品も
はみ出しておかれていたりするのは、
そんなブラクリの名残
なのかもしれません。



あ、ここは場外馬券売り場です。

最近は電話でちょろっと
馬券を買ったりしますので、
なんとなく親しみがわきますねえ。

続く