ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

和歌山ああやるせない4

2020年04月04日 21時17分29秒 | ウォーキング

昔の寄合橋から、次は南海本線の
駅の方に向かっていくことにしましょう。



住宅街をウロウロしていると、
向こうに銅像が見えてきました。

あの稀代の天才学者「南方熊楠」
の生誕地の碑です。

植物、宗教、環境など様々な部門で
活躍した人です。
白浜で、彼の勉強などを展示した
記念館もありましたねえ。
今でも深い山に行ったら、
彼が研究した粘菌の事なんかを
思い出して、木や石を眺めて
しまいますねえ。

それに年金でやるせなく生活していますし・・・

それは関係ないか。

彼のお墓も行きましたねえ。

 


田辺にあった高山寺。
熊野古道沿いのお寺でした。


そしてここ橋丁は
彼の生まれた生家のあったところ。
寄合町なども含めて、
このあたりで少年時代を過ごしています。

そうかあ、彼の生まれは
こんな和歌山市内だったのかあ。
思わぬ人の銅像と出合いました。
銅像は彼の晩年の姿でした。
若いころに血気にはやって
勉強した時代とは違って、
静かな表情で立っていましたねえ。



さあ、この辺りからは
駅も近づいてきて、



にぎやかな感じになっていますねえ。
北向いて駅の方に向かっていきますと、
今度はあの勝海舟の寓居地
という記念碑が出てきます。



軍艦奉行だった彼が幕府に派遣されて
和歌山港防衛の工事監督として
やってきてここ(ほんとは50mほど南)
に住んだそうです。
あの和歌浦の砲台建設にも
かかわっていたそうです。

先ほどの熊楠といい、
この勝海舟といい、
これまで歩いてきた土地と
しっかり関連しているんですねえ。

いやあ、なかなかdoironの歩きも
しっかりしているもんですなあ、へへ。

そんな石碑を眺めながら
ここは颯爽と歩いていくと、
南海本線和歌山市駅の前に
出ていきます。



南海本線が「和歌山市駅」で
JRが「和歌山駅」なんですねえ。

ちなみに堺は南海が「堺駅」で
JRが「堺市駅」に
なっているから反対ですねえ。

この南海の和歌山市駅は
最近工事が終わったところです。
市の図書館なんかも
隣接する近代的な建物になっていますねえ。



これが4代目の和歌山市駅
ということになっています。
ちょうど一年前に和歌浦に
行った時以来で、
工事用の囲いもなくなり
様子がかなり変わった感じでした。

さて今回の歩くコースは
ここから南の方へと
歩いてゆきます。



県道15号線の歩道を進んでいきましょう。

ここへとくにゃっと曲がってきている
市堀川にかかる雄橋を渡ると、
右手に市民会館が見えてきます。



そしてその先には、
あれ市民図書館と案内がありますよ。



和歌山市駅にもありましたねえ。
きっと移転したんでしょうねえ。
その先を左折すると、
こんなビルが出てきます。



旧西本組の本社ビルです。
西本組(現・三井住友建設)は
江戸時代末の慶応年間創業の
名門であり、かつては三井財閥とも
関係を結び、多くの鉄道建設を
手がけるなど日本でも屈指の
大手土木建設業者であった会社です。



戦争の大空襲などで多くが
破損した和歌山市内に残る
貴重なビルだということです。

そしてその先にあったのが、
水門吹上神社(みなとふきあげじんじゃ)です。



なんとここは
紀州10日戎発祥の社だそうです。
多くの信者でにぎわう戎が
開催されるようですねえ。
お参りしていきましょう。



そこからしばらく広い道の
歩道を進んでいきます。

ここは水門筋といわれる道です。



海善寺を越え、和歌山の
気象台のある交差点に出ていきます。



その気象台の横にあるのが吹上寺です。



ここには、本居宣長の養子で
家督を継いで紀州徳川家に仕えた
「本居大平」の墓があります。

これですねえ。

それともう一つ、水島春水という
画家の墓もあるようですが、



残念ながらあまり承知していません。
ぐるりと墓地を回って出てきました。

続く