ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

市内四社巡り 2

2018年01月06日 21時35分05秒 | ウォーキング

この神社では、東天紅と
小国鶏という鶏を飼っています。

それもただ飼っているだけではなく、
なんと放し飼いなのです。
神社からひょこひょこ
出ていくことはないのかねえ。
猫に襲われたりもしないのでしょうか。
ちょうどdoironが境内に
入っていったときも、
目の前を一羽がひょこひょこと
歩いていきはりましたね。



これが小国鶏。
小屋もあるんですがねえ。



そしてこうして東天紅も
放し飼いにしているようです。



昨年の正月に来てたら
酉年だったから、
もっと派手にしてたのかなあ。

お参りをして出社しましょう。



ここの神社の氏子総代も
知り合いなんですが、
探したけど見つかりませんでしたねえ。

ではこの神社を退出して、
次は大津神社の方へ
向かって行くために、
紀州街道の方へと歩いていきましょう。

そして紀州街道に出たところには、
泉大津市内でも珍しい
道標が建っていますねえ。
これ。



中和泉街道と書いてありますが、
これが今歩いてきた道で、
別名「ぬのびき道」といいます。

南海中央線の交差点に、
こんな案内板が立っていましたからね。



さあ、ではこの交差点から
しばらくは紀州街道を
南下していきましょう。

助松の村中には知り合いが結構います。

なぜかdoironのことを
「兄貴!」と呼ぶおっさんも
いてるんやでと、
ミセスに話しつつ、昨年末に
この道を車で走っていたら
なんとそのおっさんが道を歩いていて、
「兄貴!」といって近づいてきました。

今日は寒いねえと話を交わしてすれ違い、
その後ミセスが
「やっぱりそんな人がいたねえ」と
感心してはりましたな。

さすがに正月の今日は
誰とも会わずに、
村の中心部にある
田中邸の前を通ります。



ここは和歌山の殿様が
参勤交代するときの休憩所に
なった場所だそうです。

敷地の中はよくわかりませんが、
外から見てても広い家で、
当時のこの家の繁栄ぶりが
よくわかりますねえ。

一度中に入って見学してみたい
ものですが、居住してはるので
むつかしいですねえ。

その田中邸の案内板が、
紀州街道の門のところに
建てられているので、
読んでいきましょう。



さらに歩いていきますと、
やがて助松の村はずれに到着します。



ここには、地蔵堂と



旧石像がありますよ。



旧石像物群として
泉大津ふるさと文化遺産
に登録されています。



ああ、懐かしい徳本さんの
名号碑もありますねえ。

この辺りの地域は、
わりと村はずれのところに
作られる地蔵さんなんか
結構よく残っています。

doironが住んでいる村なんかにも
ちゃんとありますしねえ。

ここでちょっと立ち止まって、
持参しているお茶なんかを
飲みながら小休憩です。

では、さらに南下していきましょう。

このまま南下していけば、
紀州街道はやがて府道に
出て行ってしまいます。

でもdoironは追加で書いた
年賀状を郵便局本局で
投函する予定だったので、
松ノ浜駅下がりを右折して
松ノ浜町内の方へと
入っていくことにしました。

150m位を歩いていきますと、
一方通行に出ますので
その道を左折します。

ああ、この道は昔よく走ったなあ。



しばらく行きますと、
おお~ジダンのお家前です。
さすがに正月二日は家にいるでしょう。

ピンポンダッシュ!
なんかしませんがね。

やがて小学校の前に出て、



我が家の墓のある墓地の
横にさしかかります。

この墓地には、うちの村の人が
中心になっていろんな絵を描いています。



まずはこれがロシア兵墓地です。
日露戦争時に捕虜中に
なくなった89名の墓地が
ここに作られています。



そしてこれが勅使道の案内です。

ちょうどこの辺りから、
穴師神社へつながる道を
勅使道と読んでいました。

この後4社巡りで、
その穴師神社へと通っていく道です。



そしてまた後藤又兵衛が
この地域にいたという話にもとずいて、
この絵も描かれています。

続く