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全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大和田街道歩き1

2017年08月14日 21時02分06秒 | ウォーキング

久しぶりのウォーキングの話です

・・・・・・・

前回、淀川を歩きに行ったときに
「大和田街道」の道標を見つけた。

淀川右岸で
阪神高速神戸線の下だったなあ。



その「大和田街道」という名には
見覚えがあったので
過去のブログをさかのぼると、
JR環状線の福島の駅前のところに、
その街道の道標があったようだ。



で、さらにいろいろ調べてみると、
この街道というのは、
天満あたりくらいから出て
福島を通り、海老江で淀川を渡って
西淀川区の大きな海に面したところ
という意味を持つ「大和田」に至り、
兵庫の尼崎へとつながっていく
道だということが分かった。

海から大阪市内へ物資を運ぶ
街道であると同時に、
兵庫から西国へとつながる
街道筋であることがわかる。

ああ~天神さんにお神酒を
運んだりした道かなあ

それでいくと全長15キロ
くらいの道だろう。

なら一度その街道を歩いてみよう
と思い、出かけてみることにしたのだ。

そこまでの足はというと、
ずっと移動していく経路を
考えるとこれはもう電車で
行くのがいいだろう。

ということで阪和線で出発することにした。

最初の駅は、天満の天神さんから
行くのでJRの天満駅を
スタートすることに。



駅を降りると、その先には
日本一長いといわれる
商店街が続いている。



過去に何回か報告しているねえ。



こんな色の鳥居がかかっていたり、



こんな赤い鳥居も。



ところどころの商店街の隙間には、
こんな施設なんかもある。





区分けされているということだ。

そしてやがて有名なお店を通り



こんな大きな提灯が飾られた
ところくらいから、



天満の天神さんへの参道が続いていく。

ここが落語の「繁昌亭」やね。



この横から天神さんへと入っていく。



かつて大阪の商売なんかも支えた天神山。

さあ、ここから大和田街道が
始まっていくのだ。

お参りをしてまずは大阪駅の
方向へと進んでいこう。

このとき、大和田街道の案内の
地図として持ってきていたのは、

「大阪の街道と道標」といわれる名著だ。

わが市の図書館にあったので、
出版先なんかを調べてみても
廃版になっていたので、
仕方なく必要な部分を
コピーして使っている。

でもこれがねえ、地図がかなり
おおざっぱだし、出版も古いので
道の感じも変わっていることが
よくあるというもの。

どうも方向性がよくわからず、
現場で少しおろおろしたなあ。

あっちかな?こっちかな?
といって歩いているうちに、
高速道路の高架下に



「たるやはし」

と書かれた橋柱が立っているのを見つけた。

そもそも天満周辺は水がよく
酒造や種油の製造が盛んで、
そこから周辺では樽を作る街なんかもでき、
樽屋町という町もあったそうです。
その樽屋町も東と西に分かれており、
東樽屋町と西樽屋町を結んでいたのが
この「樽屋橋」だったそうだ。

もう今はその時に流れていた
天満堀川は埋められてありませんが、
その樽屋町を舞台にした
井原西鶴の物語に
「樽屋おせん」というのがあるそうです。

そういう昔からの名残を
ここでは高架下に静かに
置いてあるのやねえ。

もしかしたら天満堀川に
昔かかっていた古文書にも描かれてある
「大平橋」や「菅原橋」も
橋柱が残されているかもしれないけど、
このときはわざわざ回ってまでして
確認できなかったです。

また別の機会に探ってみよう。

こういう橋の名前で、
昔の繁栄の様子がよくわかる
といううようなのも
各地でいっぱい残っているようやね。

さてここは今も現役である「難波橋」。





橋の名前とかがはっきりしてきたら、
地図がよくわかってくる。

なるほど、今ここにいるんなら、
いまさがそうと思っている
道標に行くにはこういけばいいんやな
と判断し、その通りに行ったらあったよう。

大きな道標だ。



doironより大きいですね。
身長193cmだそうだ。

「天満宮 是ヨリ東七丁」
と書かれているのです。



続く