ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大和田街道歩き2

2017年08月15日 21時08分07秒 | ウォーキング

この辺りにはもう一つ道標があると
地図に書かれてあったが、
どうにも見つからない。

もう今はないのかなあ。

あきらめて進んでいこう。

街道は大阪駅近くを超え
少し堂島の方へと曲がっているようですが
これはどうも地図からでは定かではない。
でもここまで来たのですから、
田蓑橋の「蛸の松」を見ていこう。



昆布の会社である「神宗」が
持っている昔の絵図に
書かれてある有名な松です。

堂島川田蓑橋の南詰にあったものが、
今は北詰めに植えられて
史跡となっています。



もともとの蛸の松は
福島正則が植えたとされており、
枯れましたがその木は今も
大阪教育大学天王寺キャンパスに
残っているそうです。



進物用の神宗の昆布を見ますと
この蛸の松が印刷されていますねえ。



蛸が踊っているような姿の松で
確かにそんな姿をしています。

そこから橋を渡って下流の方へと
移動していくと、



ここにこんな石が立っている。

「大阪府師範学校跡」



と書かれてある。
昔の教員養成の学校ですね。
東京で生まれた師範学校が、
その後全国6か所に
建てられたという学校の跡地だ。

そしてさらにその近くには



「大阪大倉商業学校跡地」

というのもある。

蛸の松もこのあたりに
もともとあったので、
それを見ながらみんな
勉強していたんですねえ。

この大倉氏が築いた
「関西大倉・・・」は後に
末代の大倉さんが
ホテル経営をし、
ホテルニューオークラを
作ったんだって。

なるほどねえ。

そんな昔の勉学地を、
こんなタラの芽があったり、



ブンブンが飛び交っていたりする



花の散歩道を歩いて



「玉江橋」にやってきた。



この橋も歴史のある橋です。



昔のこの橋の絵では
南の方に大きな五重塔が
描かれていますねえ。

実はこれは四天王寺の五重塔で、
昔はここから遥拝したとのこと。

もう今となってはビルなどで
見えることはないですが、
代わりに近くのあべのハルカスが
見えるかもしれないね。

確認しませんでしたが・・・。

で、ちょっとあべのハルカスで横道だ。
あべのハルカスは
どこから見えるかというのが、
一時ちょっと話題だった。

遠いところでは、比良山の金糞岳から
撮影したという記憶もあるそうだ。

距離的には150キロ近くありますねえ。
まだまだ遠方からの写真も
あるんじゃないかという触れ込みで、
果たして遠方からだと
一体どこから見えるか。
これはまたあべのハルカスに
天気のいい時に登って
景色のいい時に眺めて
確認品といけないねえ。

僕の一番遠いハルカスはどこかなあ、
淡路島あたりから
見えてたような気がするけどなあ。

で、話を戻してそんな玉江橋を渡って、
朝日放送の横を通り過ぎたら
福島天満宮にさしかかる。



天満宮ですから祭神は
菅原道真やね。

彼が九州へ送られるようになったときに、
この地域の人が
嘆き悲しんだという昔話があったそうだ。

それを知った道真は当時
「飢餓島」といわれていた
この地域を「福島」という名前に
変えたという説があるそうだ。

いやあ、福々しい話やね。

さあ、では地域はそんな
福島に入ってきました。

道路交通はこんなににぎやかだあ。
今も交通の要衝やね。



環状線の高架下をくぐったら
すぐに左折。
駅のすぐ横にあるのが
「大和田街道・梅田街道」
の石碑だ。



そうこの道は梅田を通ることからも
「梅田街道」とも言われていたんですね。

大阪街道といわれていた道とも
部分的に重なっていたようだ。

ではここから次の道標があるという
「了徳院」を目指そう。

この辺の商店街は面白いよ。



ところどころに占いのお店があって
「売れても占い商店街」を
キャッチフレーズにしている。



もうこの一角なんか最高やねえ。



大阪に来て横の福島で降りて、
こんな商店街を見かけたら、
旅人はひっくり返って喜びそうやねえ。

でもさほど評判じゃないのは、
占いにも出ているんかもしれません。

続く