ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大和田街道歩き3

2017年08月16日 21時14分35秒 | ウォーキング

小学校の横にこんな大きな案内石があった。



ああ行政も結構力入れてたんやね。
大田知事のころかあ。

こうして商店街を展示物とか
お店をのぞきながら歩いていくと、
二車線の道路と交わり、
その角にまた道標が立っている。



地図と合わせてみると
どうやらここを右折の様だ。
ああ、そういえば左手の奥に
たくさんの木がたっているので、
あそこが了徳院のようだ。





入り口にはこんな大きな石が、
そしてすぐ近くに歓喜天常夜灯の
道標があった。



「すぐ あまがさき にしのみや」

と彫ってあるから、
まさに大和田街道そのもの。

逆に西から来た人には



「すぐ 大坂みち」と
案内になっている。

もう一つ道標がここには
あるはずだから探したんですが、
結局は見つからなかったねえ。

境内で片隅ずつ眺めながら
ウロウロしたのになあ。

で境内の中にはこんなのもあったよ。

おもかる石。



う~ん、願い事を祈念して
石を持ち上げてみよう。

「もう一つの道標が見つかりますように」
よいしょ!うう~重いようですな。

結局道標は見つからないままやなあ。
境内にはこんな野田ふじの棚も





あるのですが、
道標はあきらめて
先に進んでいくことにしよう。

地図を見ながら東海道本線の下を
左折していくと、



お、なんか石がある。



あれ~資料にはこんなところに
道標はないけどなあ。

どうもそこには「大池橋」と
刻まれているようですが、

もしかして平野の大池橋?

むむ~これはちょっと
おかしい表記だ。
意味の分からない情報やねえ。

ここで公園の横に来たので、
ぼちぼち昼ごはんにしよう。



近頃はお弁当が定番になっています。

暑いので、火の気は無しで
お茶でもぐもぐと
お弁当を食べることにしよう。

周りでは幼稚園帰りの子供たちが
はしゃぎまわっています。

お母さんたちも集まって
ワイワイと楽しそうやねえ。

子どもが世間と付き合い始めるのが
この公園遊び。
おっさんが世間から離れて
遊びまわるのは、
公園弁当というようにしようかねえ。

でもねえ、こういう風に
元気に遊びまわる子供たちを
おっさんが写真にとるというのは
やはりあきませんねえ。

変態おじさんに見られてしまうよなあ。

あちこちと歩き回る
ある意味変態おじさんかも
しれませんがねえ。

まあ許される変態でしょう。

さあ、腹もいっぱいになったし、
また歩き始めよう。



次の目標値となるのは
「海老江」という土地になる。
ちょっと変わった地名やねえ。



もともとは海老洲といわれるような
島の地域だったそうですが、
昔の古文書で見ても
この地域には人がいたようだとのこと。

以後は「ひげ長き海老江」と
不老長寿のようないい意味で
用いられる目出度い地名
といわれている。

そんな場所を目指して歩いていきましょう。
doironにとってはたぶん
生まれて初めて足を入れる地域でしょうねえ。



こんな看板には笑いましたね。

え~こんな乱発ブログで
インカ帝国。

おっ、海老江では猫も
幸せそうです。



結構静かな町中には、



こんな提灯も上がっている。



よく見るとこれから行こうとする
八坂神社のお祭り提灯のようだ。

こんな道を歩きつつ探っていくと、
まず最初の目的地
「南桂寺」がありました。



ここにも確か道標があったはずです。

すると、道路に面した壁のところに
ありましたねえ。



「左 大坂道」と刻まれ
「右 あま みへじま道」
と刻まれています。

これは「あまがさき」と
「ひめじま」をさしているのかなあ。

たぶんそうなんだろう。

まあ、この辺り狭い道の地域では
ありますが、かつてはここに
街道が通っていたのが
やはり道標でよくわかる。

そしてこの先の八坂神社内で、



道標ではないのですが、
ここでかつて淀川と深い関係に
あったことがよくわかる石と
遭遇するのです。

続く