ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

淀川完歩13 左岸から右岸へ

2015年08月29日 22時09分45秒 | ウォーキング

やっぱり河川敷は、
堤防上の道より
目線が川面に近づいて、
川の水と一緒に流れて行くようで楽しい。

そして何より、車に神経を遣わなくていいので快適だ。



川の中洲に群がる鳥たちなどを眺めながら



いそいそと歩いていこう。



あ、河川敷の道が途切れるところで、
土手の草むらの中に
距離標が建っているのが見えた。



しかし生い茂る雑草で
どうにも近寄れないので
上から確認することにした。



ふむふむ、ここで「河口から50km」なんやね。

まだまだ先は長い。
といっても、元気な頃なら
走れば4時間くらいの距離だけどね。

そこからまたまた歩道のない車道を歩き、



河川敷に道が見えたところで、再び下へ。

しかしそれもやがて、
大量の「クサネム」に阻まれて





上へ下へと登ったり下りたりしているうちに、
京滋バイパスと国道1号が通る橋に出た。



見てみると、この橋の上へと
らせん状に歩道がつながっている。



ここらで、上へ下への左岸に見切りをつけ
右岸に渡ることにした。

登って行くと、
高速と車道に並行していい具合に
歩道がついていたぞ。



上から見ると川は相変わらず滔々と流れ、
いろんな生き物が息づいている。



これは湖面を飛ぶ黒い鳥(見えるかな?)



岸辺には白い鳥がエサの魚を狙っている。

ん?対岸に何か変わった畑が見えているぞ。



近づいてみたら「茶畑」でした。



宇治は茶の本場なのに、
あまり見かけなかったなと思ったら、
宇治市全域で全部合わせても
80ヘクタールほどの畑しかないそうだ。

100ヘクタール以上の茶畑を持つ自治体が参加する、
全国お茶サミットにも特別枠で
参加しているくらいなんだそうだ。

意外やねえ。

対岸の河川敷には道が続いていた。



植生も左岸と違って、
ヒルガオ、



オオニシキソウ、



センニンソウ



などが咲いていた。
草が多いせいか、
キリギリスもたくさん鳴いていたし、
バッタの姿も多くて、
歩いていると、
普段あまり人のこないところなので、
たまに人を見かけると焦って
腕や体にぶつかってくる個体もいた。



あわてんぼうはどこにでもいるのだ。

これはイナゴかな。



これはコオロギ。



そしてショウリョウバッタ。



おお~、これは見事に絵に描いたような
オンブバッタだ。



う~ん、秋ですねえ~。
赤とんぼも急に乱舞しはじめたもんね。



左岸のここの距離標は
雑草に埋もれることもなく、
きちんと整備されていた。



あれ~河口まで「49km」だと。

なんやあ、まだ1キロしか進んでいないんやあ。

これが還暦おじいさんの距離標とのツーショット。



と、ボチボチ歳をかんがえなきゃね。

川はというと、
このあたりは中洲が大きく広がっており、
水路が狭められかなりのスピードで流れている。



一方岸辺に入り組んだ流れにもなっていて、
いよいよ淀川独特の「ワンド」の景色を
彷彿させ始めた。



下流に行くほど土砂ってたまりやすいんやろな。

あ、対岸に緑の塔がある。



クズが何かに巻きついたもののようだが、
よく見れば電線もないから電柱ではないし、
建物から出ているのではないから
煙突でもなさそうだし、
元は一体何だったんでしょうね。

謎です。

とまあ落ち着きなく
キョロキョロしながら
距離標で48キロのところに来た。



このあたりからは、前方に橋が見えてく~る~。



「隠元橋」である。



あのインゲンマメの「隠元」?

そう、そのインゲンだ。

その昔、この橋の辺りは
「岡屋の津」といわれる川の港だったそうです。



そこへ今で言う「インゲンマメ」を携えて
上陸してきたのが中国の「隠元禅師」。

あの普茶料理で有名な



黄檗山萬福寺



を開創した禅宗の僧である。

彼の上陸地がここということで、
「隠元橋」のたもとには、
こんな上陸の碑が立っている。



「隠元禅師登岸の地」。

doironもここで登岸し、
しばし川を離れて陸地へと続く。