23日は地蔵盆でした。
早いもので、doironが頭屋をつとめてから
もう3人目の頭屋を迎えました。
doironの父親も含めて
お亡くなりになる人がいて、
減っていくメンバーもおられますが、
着実に地蔵講は若い人に引き継がれています。
現在会員は40人。
最高齢者は89歳で
最も若い者は57歳です。
地蔵盆にはこの40人が一丸となって、
丸一日時に賑やかに
そして時に厳かに一日を過ごします。
午前5時からそれは始まります。
朝、いちばんで続々と
地蔵の周りにしつらえられた献灯台に
それぞれが提灯を吊るしに来ます。
提灯には名前が書かれてあるのですが
同級生の孫の世代になると、
あまり名前がわかりません。
ていうか、最近の子どもの名前は
昔に比べて、バラエティに富んでいて、
漢字だけでは全く読めない名前もあります。
これは誰々の孫だ、
これは今年生まれたひ孫だと
その提灯を見ながら、
村の人間模様をみんなで共有するのです。
午前中は、テントの設営、
届いた樽入りのタクワンの洗浄とカット、
そして村の女性ほぼ総出で
おにぎりを握るための
公民館の準備があります。
そして昼前にはおにぎりのためのご飯を、
注文してあった業者のところへ
引き取りに行きます。
これも見習いや、昨年の頭屋、
大きな車の持ち主と役割が決まっています。
なにせひと箱10kg入りのご飯を
19箱を運ぶわけですから、
最低ワンボックスの車が必要ですからね。
そうして運んできたご飯をセットして
午後イチで集まってきた女性達が
一斉に握りはじめます。
1パックに3個のおにぎりと
たくわん5切れくらいがワンセットです。
なのでおにぎりを握る人をはじめ、
ご飯とできたおにぎりを運ぶ人、
たくわんを入れるアルミカップを
ひとつひとつパックに入れる人、
そこにたくわんを入れる人
胡麻をふる人、
おにぎりをパックに詰める人、
パックをホッチキスで止めて行く人、
それらをひとまとめにして
大きな箱に入れて行く人、
そして号令をかける人
など多彩な役割が振り分けられています。
そうして1時間半余りで、
できたおにぎりが約2000個。
完了後は集まってくれた人にふるまう
スイカやジュースやお菓子の準備も
頭屋はしておかねばなりません。
ようやくおにぎりの作成が完了したら、
今度は地蔵さんの設営です。
お飾りとお供えを決められた通りに置き、
坊さんと頭屋、見習いが座る座布団を並べ、
一緒にお参りをする村の人用の
いすを25個セットします。
お供えがあるので、
猫にやられないように女性に見張り番をお願いします。
この見張りの間に
女性たちはいろんな情報交換をするようです。
まあ、ほとんどが男どものグチなんだそうですが・・・。
当の男どもは、
その間に何も知らず無邪気に
公民館で宴会をはじめます。
これがまあ、ほとんどの準備を終えた安心感からか、
ほんに賑やかな事!
女性陣の嘆きもわからないではありません。
頭屋が準備した立派な弁当をつつき、
ビール、お酒は飲み放題。
昔、農仕事で大変だった頃、
こうして集まる宴会が
唯一の娯楽だったのでしょうね。
で、宴の終盤でdoiron達若手は
地蔵さんに行き、見張りを女性たちと交代します。
女性たちは宴会の後始末をし、
それで役割を終えます。
あ、そこで女性にも頭屋から
弁当がふるまわれます。
あとは地蔵盆本番。
薄暗くなったころにやってきた
お坊さんの読経が終わったら、
用意してあったおにぎり約700パックを
集まってきた村の人たちに配った後、
御供えを仕分けしてお下がりを作り、
配り終えたらテントを片付けて午後8時。
長かった地蔵盆がようやく終わります。
いまだにこんな風に村人総出で
おにぎりを握っている村は珍しいと思います。
doironの知る限りでは50年は続いているでしょう。
動画でドキュメンタリーでも作って
NHKにでも提供してみようかね。
そしたら、あともう少し頑張って続けたら、
もしかしたらこれが世界文化遺産に
登録される日が来るかもしれませんぜ。
夏の終わりの村の大イベント、
地蔵盆が終わったら、
虫の音がいっそう大きくなって、
少しずつ秋が深まっていくのです。