ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

天下分け目の天王山 4

2015年05月09日 21時25分48秒 | ウォーキング

山崎合戦の地の石碑の横にこんな遺構を見つけた。



「旗立松」。

ん?どこかで聞いた名前だと思ったら、
歩き始めた桜井の駅跡にもあった。

あちらは楠木正成が旗を立てた松だったが、
こちらは天王山制覇のしるしに、
秀吉が千成びょうたんの旗を立てた松とのこと。

その軍旗を見て秀吉軍は一気に勢いづいたそうだ。

そりゃそうだ、戦いの行方を左右する
天王山を支配したのだから、
麓の秀吉軍はただ前に進めばいいわけやからね。

見晴らしのいい場所だからこその



旗立場だったのだろう。

頃は天正10年と言うから、
西暦で1582年。
その松は明治時代まで残っていたそうだから、
少なくとも300年以上は生きていたんやね。

現在の松は5代目だそうだ。

少し水分補給をして、
鳥居から続く階段を登って行く。



その鳥居は、この山の中腹にある
「酒解神社」のもので、
そこが牛頭天王を祀る神社であることから
この山の名前がついた。

天下分け目の山だから
「天王山」と後でついたわけではなくて、
元々この山は「天王山」だったわけだ。

その「酒解神社」がここ。



創建は奈良時代と推測されているのだが、
そんな昔にこんな山の中に
これだけの神社をよくぞ建てたものだ。

山道をどんどん登って行くと、
こんな分岐点に出た。



おお~山頂まではあと100mだそうだ。
登り口からここまで、
あちこちキョロキョロしながら歩いて、小一時間。

もうすぐ山頂だ。

ここが山頂のそばの「山崎城跡」。



光秀を打ち破った秀吉が
大坂城に入るまでの間、
ここに城を築いて住み、
京都を牽制していたという城やね。

そのあたりには遺構と思えるような
礎石なんかも残っていた。





そしてここが、天王山の頂上。



三角点はないけど地形図にも
標高の記載がある。

270mだと。

こんな標識やプレートが貼り付けられてある。



ではさっそく、お願い事をしておこう。

「え~っと、攻め来たるプリン体に、
乳酸菌が打ち勝ちますように」。

山頂にはちょっとした広場があるが、
その時人は全くいなかったので、
仕方なく自撮りをし、



弁当を広げることにした。

本日は山城の征服にふさわしく、
タケノコご飯と残った焼きそばの弁当だ。



お茶はこのポットに詰めてきた。



しっかし、こういうところで食べる弁当は格別やね。

少し遅い昼食だったので
お腹が空いていたからなおさらだ。

そんなこんなでタケノコを食べすぎて、
近ごろ顔にデンボが出てますわ。

昼食後その辺を散策した。

ここには井戸の跡もある。



山崎の水なので、
昔もさぞやおいしかっただろう。

眺望もほとんどないし
思ったより地味な山頂だったな。

少し休憩しただけですぐに下山した。



途中、ところどころの分岐で思案しながら、

帰りは極力往きとは違う道を下って行くことにした。

街中に出る手前で「聖天さん」もあり、
生駒で聖天さんを見てきたばかりなので、
興味深く眺めてきたよ。

結局歩いた道はこんなルート。



最後は阪急の大山崎の駅に下山し、
折角の電車なので駅前のコンビニで、
こんなもので一人打ち上げだあ。



結局、合計12km、標高差250くらいの
へなへな登山でしたが、
通行止めに阻まれつつも
なんとか天下分け目の天王山を制覇し
いろんなことも学んだ濃密な旅となった。

そんなことを思いながら
駅前でグビグビとしたこのシリーズ終わりです。