山崎合戦の地の石碑の横にこんな遺構を見つけた。
「旗立松」。
ん?どこかで聞いた名前だと思ったら、
歩き始めた桜井の駅跡にもあった。
あちらは楠木正成が旗を立てた松だったが、
こちらは天王山制覇のしるしに、
秀吉が千成びょうたんの旗を立てた松とのこと。
その軍旗を見て秀吉軍は一気に勢いづいたそうだ。
そりゃそうだ、戦いの行方を左右する
天王山を支配したのだから、
麓の秀吉軍はただ前に進めばいいわけやからね。
見晴らしのいい場所だからこその
旗立場だったのだろう。
頃は天正10年と言うから、
西暦で1582年。
その松は明治時代まで残っていたそうだから、
少なくとも300年以上は生きていたんやね。
現在の松は5代目だそうだ。
少し水分補給をして、
鳥居から続く階段を登って行く。
その鳥居は、この山の中腹にある
「酒解神社」のもので、
そこが牛頭天王を祀る神社であることから
この山の名前がついた。
天下分け目の山だから
「天王山」と後でついたわけではなくて、
元々この山は「天王山」だったわけだ。
その「酒解神社」がここ。
創建は奈良時代と推測されているのだが、
そんな昔にこんな山の中に
これだけの神社をよくぞ建てたものだ。
山道をどんどん登って行くと、
こんな分岐点に出た。
おお~山頂まではあと100mだそうだ。
登り口からここまで、
あちこちキョロキョロしながら歩いて、小一時間。
もうすぐ山頂だ。
ここが山頂のそばの「山崎城跡」。
光秀を打ち破った秀吉が
大坂城に入るまでの間、
ここに城を築いて住み、
京都を牽制していたという城やね。
そのあたりには遺構と思えるような
礎石なんかも残っていた。
そしてここが、天王山の頂上。
三角点はないけど地形図にも
標高の記載がある。
270mだと。
こんな標識やプレートが貼り付けられてある。
ではさっそく、お願い事をしておこう。
「え~っと、攻め来たるプリン体に、
乳酸菌が打ち勝ちますように」。
山頂にはちょっとした広場があるが、
その時人は全くいなかったので、
仕方なく自撮りをし、
弁当を広げることにした。
本日は山城の征服にふさわしく、
タケノコご飯と残った焼きそばの弁当だ。
お茶はこのポットに詰めてきた。
しっかし、こういうところで食べる弁当は格別やね。
少し遅い昼食だったので
お腹が空いていたからなおさらだ。
そんなこんなでタケノコを食べすぎて、
近ごろ顔にデンボが出てますわ。
昼食後その辺を散策した。
ここには井戸の跡もある。
山崎の水なので、
昔もさぞやおいしかっただろう。
眺望もほとんどないし
思ったより地味な山頂だったな。
少し休憩しただけですぐに下山した。
途中、ところどころの分岐で思案しながら、
帰りは極力往きとは違う道を下って行くことにした。
街中に出る手前で「聖天さん」もあり、
生駒で聖天さんを見てきたばかりなので、
興味深く眺めてきたよ。
結局歩いた道はこんなルート。
最後は阪急の大山崎の駅に下山し、
折角の電車なので駅前のコンビニで、
こんなもので一人打ち上げだあ。
結局、合計12km、標高差250くらいの
へなへな登山でしたが、
通行止めに阻まれつつも
なんとか天下分け目の天王山を制覇し
いろんなことも学んだ濃密な旅となった。
そんなことを思いながら
駅前でグビグビとしたこのシリーズ終わりです。