ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大阪アルプス縦走 3

2015年05月24日 22時55分05秒 | ウォーキング

松虫塚の由来は、
過去の熊野街道シリーズを参照してほしい。

そうここ松虫は、世界遺産につながる
「熊野街道」が通るところでもあるのだ。



熊野街道はここからさらに南へと続くが、
今回の縦走路はここから松虫通りを西に進むことになる。
現地の人々が西に沈む夕日を眺めながら、
毎日明日への希望を託した道である
(ああ~かなり大層になってきた)。

軽いアップダウンで岡をいくつか越えたところに、
三つ目の山である聖天山が聳えていた。



標高は14mである。

神社のジャングルに分け入り、



のぼりつめたところに祠がある。
そこが聖天山山頂だ。



間違いない。

こんな標識が立っていたもんね。



ここは「聖天山正圓寺」

聖天とは歓喜天を祀ったところであることは、
生駒と天王山でつい最近学んだから
もうすっかりおなじみである。

この山にはかつてあの兼好法師の
隠棲庵もあったそうだ。
そんな石碑も立っている。



さあ、次は4つ目の帝塚山を目指そう。

つれづれなるままに聖天山を後にした。



おっと、ここらでそろそろお昼時だ。

獣に襲われる心配のないような
広場があったら昼食としよう。

北畠というところまで頑張って南下し、
ちょっとした、いやかなり大きな集落の中にある
晴明丘西公園という山の中で荷物を下ろした。

この日の昼食はこれ。



長旅でおにぎりばかりで
マンネリ化しているランチを打開すべく、
今回はサンドイッチなどを用意してみた。

と、ここには取材カメラが来ていた。

doironの縦走光景を
2時間くらいのドキュメントにでもするつもりだろうか。
レンズがずっとこちらを向いているから、
少し緊張して食べた。
ただしカメラクルーはいない。
レンズの下に

「防犯カメラ作動中」

と書かれているだけである。

サンドイッチをほおばりながら
地図を見ていてふと気づいた場所がある。

「住Y高校」。

ミセスの母校である。

こんな山の中まで来て、
水泳をやっていたというから
川や湖で泳いでいたんだろう。

どおりで時折、野生児の素顔が
見え隠れすると思っていた。
クワバラクワバラ

ちょっと遠回りになるが寄って行こう。

門のところで写真をパチリ。

衛星電波を使って電送したら、



全然たたずまいが変わってしまっているそうだ。

そりゃそうだ、
通っていたのはほぼ約半世紀前の
歴史のかなただからね。

こんな地層も見つつ、
複雑に入り組んだ道を
的確に地形を読みながら、
ようやくたどり着いた帝塚山がここ。

標高19.9mの三角点もあるのだが、
残念、ここも立ち入り禁止になっている。



火山性ガスが噴出でもしているのだろうか。

仕方ないので、現地に掲示してあった
山頂写真でも掲載しておこう。



マグマの活動で10cm位山体が膨張すれば
20mの大台に乗るかもしれないな。

そんなわけで、ここも下から山を見上げて
撮影するだけで引き上げることにした。

さて、残るは天保山なのだが、

これが遠い。

これまでの四山を縦走した距離と
同じかそれ以上の距離を行かねばならない。

途中、千本松というところでは
太平洋を船で渡ったりしないといけないのだ。

時間の都合上、
ここからはできるだけ大阪地下列車を使っていくことにした。

距離はシベリア鉄道より少し短い。

ひと眠りできそうだ・・・
すぐについた。

巨大な丸いリフトを眺めながら
駅から最後のアタック開始だ。



そしてついについに、
最後の山である、天保山に到着。



登山案内に沿って歩いていくと



ここが日本一低い三角点のある山だ。

これが三角点。



そこに日本の旗ではなく、
こんな看板も立っていたので一緒にパチリ。



これで、大阪五低山の縦走完了である。

は~、満足した。

え~大阪アルプス縦走の旅ブログは
これで終わりです。

とちゅう、見苦しい言葉や
オーバーな表現があったことをお許しください。

下らんことやってるので
せめてブログぐらいは
オーバーに書いてみました。

おつきあいありがとうございました。

謝々と終わり。