ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

天下分け目の天王山 1

2015年05月03日 21時29分39秒 | ウォーキング

大阪と京都の府境にある天王山に登ってきた。

まあ、何も天下分け目と言うほどの
たいそうなことのない暮らしを送っているし、
ここが天王山と言わんばかりに
気合を入れることもない日々ではあるけれど、
標高300mにも満たない小さな山でも
日本中の人が知っているという有名な山だし、
高速道路を通るたびに
「どんなとこかなあ」と想像を膨らませてばかりいるのも
シャクなので登ってみることにしたのだ。

歴史がらみの史跡も多いだろうし、
また何かこれまでに学んだ歴史の点々と
つながるかもしれないという思惑もあった。

さらにこの季節だと
まだ登山者に憑りついてやろうと、
プラプラぶら下がっている
毛虫やシャクトリムシも少ないだろうという期待もあった。



通勤で混みあう南海電鉄、地下鉄、阪急に揺られていった。

こうして平日の朝に電車に乗っていると、
たくさんの通勤の人々に交じってリュックを背負い、
帽子を被り軽快な足元といった
山歩きの恰好をしている高齢者もチラホラ見える。

かつては、平日にそんな恰好をして
電車に乗るのも、
どことなく世間に申し訳ないような気がしたものだが、
最近は気にならなくなったのは、
意外にそういう人の姿も増えてきたことと、
自分が還暦に近づいてきたということがあるんだろう。

これからは元気な高齢者も増えて、
そんな御同輩の人口密度も
どんどん増えてくるにちがいない。

肩身がせまいどころか、
近ごろは通勤姿に交じって、
そういう人種の者どうしが
お互いにそれとなく意識しあっているのも
なんとなく面白く感じている。

「よっ、御同輩おたくも山でっか」

みたいな視線を軽く感じてね。
途中で向こうが下車したりすると、
「あれ?山歩きかと思ったら街歩きか」
とか思ってしまうのも
通勤電車の片隅でよく見られる光景になった。

そんな通勤電車から、
目的の駅に降り立ったのが午前9時過ぎであった。

阪急水無瀬駅。



最寄りの大山崎の駅から天王山の往復だけだと、
半日で終わってしまうだろうから、
「西天王山」と言われる「若山」方面から
回り込むことにしたのだ。

ナビをセットして、歩き始めてすぐに
目についたのがこれ。



車道と歩道の境目に鎖を通すために建ててある柱が、
タケノコの形をしているではないか。

おお、そうか、このあたりはタケノコの産地なのだ。

そういえばジダンのブログにも登場してたなあ、
なんて思いながら山方面に向かって歩いていった。

おお~、ここのマンふたは
せせらぎとそこに咲くヤマブキだ。



期待が高まります。

てくてく歩いて



着いたのが「JR島本駅」。



この駅前にあるという「桜井駅跡」を訪ねてみた。



公園の中では、高齢者がゲートボールの真っ最中。
ああ~、世間はみんな働いているというのに
高齢者はのんきなものだ、なんてね。

みるとそんなグランドの周りに、
大きな石や施設が色々と建っている。



ごめんなさいよと、入って行った。

これが、桜井駅跡を示す施設。



「駅」といってもここにかつて
「大仏鉄道」ならぬ「タケノコ鉄道」が通っていた
その遺構というわけではない。
そんな鉄道はない。

ここでいう「駅」とは、
昔、中央と地方の情報を伝達するために
幹線道路沿いに馬を配置した役所のことをいう。

この公園の横には
かつての重要幹線で京都から下関まで続く
「西国街道」が通っていたのだ。



そして、この桜井駅跡は、
かつて楠木正成が足利尊氏の
大群を迎え撃つ戦いに出るときに、
この場所で長子の正行に遺訓を残して
河内へ帰らせたという地でもあり、
「楠公父子訣別の場」として
語り継がれている。



これが、その父子決別の「松」の跡で、
その松は保存処理されて
今もこの地にこうして残されている。



公園を出て若山神社に向かっていく道に出るまで、
しばらく西国街道を進んでいった。

テクテクと続く。