ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

泉州富士 1

2015年05月26日 21時37分23秒 | ウォーキング

え~、アルプスの次は富士です。

初めて富士山に登ったのは、
昭和59年7月26日。
doiron28歳の夏である。

大阪から職場の3人で運転を交代しながら
夜中じゅう車を走らせて、
朝に五合目に着き、一気に登頂してその日に下山した。

まだマラソンやトライアスロンはしていなかったので、
暑さの中ヒーヒー言って登った記憶がある。

そして2回目は、その6年後。

当時通っていたジムの友達4人で登った。
この時は、早朝に大阪を出発して
その日に8合目まで登り、小屋で仮眠。

翌朝、暗いうちに出発して
御来光を背にして登頂をした。

一般的な登り方は後者だろう。

いずれの時も、山頂までお鉢を歩いて行った。

山頂に立った時は、

「ああ今自分は日本中の誰よりも高い地面に立っているんだ」

と思っただけで、
お山の大将的な気分で興奮したのを憶えている。

富士山に登ったのはその2回である。

それ以後は、諏訪富士(蓼科山)、
加賀富士(白山)、伯耆富士(大山)など、
ご当地富士の山にもいくつか登った。

紀州富士(龍門山)に登ったのは、
つい最近のことだ。

元来ミーハーであることに加えて、
凝り性のdoiron。

レースから引退し、次なる人生を歩き始めてから、
いろんなこだわりの登山を始め、
さらに凝り性は重症化している。

そこで、ようしこうなったら
近隣のご当地富士に
いろいろ登ってみようと考えるに至ったのは
ごく自然な成り行きなわけである。

今、思い描いているのは
大和富士といわれる「額井岳」と
近江富士といわれる「三上山」登山なのだが、
先日飯盛山に行ったときに
山友から地元に泉州富士といわれる山があることを聞いて、
まずはそこに登ってみることにした。

その泉州富士とは、
泉佐野市にある

「小富士山」を指すそうだ。

昨秋登った雨山と
粉河街道が通る谷を挟んで東側にそびえる山である。

そこでふと思いついて、
雨山から撮影した写真を見かえしてみたら・・・

写ってたよ。

これが「小富士山」。



なかなか形のいい山である。

標高は259.36m。
細かい数値があるのは、
ここに三角点があるからなのだ。

ここんとこ三角点に凝っていたことだし、
これはもう行ってみなくてはなりませんな。
その泉州富士、
登頂だけなら一時間もあれば往復できそうなので、
行き帰りも含めて半日あれば十分だろう。
天気のいい日に思い立って
ぶらっと出かけてみることにした。

コースは稲倉ダムから登って、
粉河街道におりて、
またぐるっと車道を歩いて
ダムに戻るコース。

まずは車で稲倉ダムに向かった。

粉河街道から泉佐野カントリーに入る道をゆく。

生まれて初めてのゴルフラウンドに向かった道である。
あの時はドキドキしたなあ。

その誘導路を途中で右折れし、
うっそうとした暗い道をダムに向かう。

ダムのところには広いグラウンドがあって
少年野球の真っ最中であった。
空いたところに車を停め、
まずはダム湖周辺を散策してみた。

ボートで釣りに来ている人もいる。



こんなところで湖を渡る風を受けながら、
釣りをするのもさぞかし気持ちいいだろうな。

で、何が釣れるのだろう。

ブラックバス?

あれは意外にとても美味しいんだと、
本に書いてあったけどなあ。
ちょっと食べてみたい気もするぞ。

ウグイスの声が谷間に響き渡っていた。

これから登る小富士山の山頂を見あげながら、



少し散策したところで、
登山口を探してみたがどうも見つからない。

仕方ないので当初の予定を変えて、
反対コースで回ることにして、
再び粉河街道に車で戻り
水呑地蔵から登山することにした。

登り口がこれ。



そこから登山道が、
参道を兼ねて山の中腹まで
石段となって続いている。



「富士」と名がついているだけあって
尖峰だから傾斜はかなり急だ。

ふうふうと続く。