ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

みちのくふらり旅にて

2013年04月19日 21時09分01秒 | 最近の出来事

ちょうど1年ぶりの東北でした。

被災地を目の当たりにした
昨年の旅で受けた衝撃は大きく、
doironの心に小さなささくれを残しています。

そしてまた一方で、
復興を目指す現地の人々の心を慮ると、
早い復興を願わずにはいられないと同時に
当時直面していた自分自身の生活の再起動にあたって、
ともに頑張ろうという意識を強く抱いた旅でもありました。

今回の旅は、
逆に力強い復興を果たそうとしている東北の姿を見て、
自分自身の再生に力を与えるべく
再び訪れることにしたわけです。

前回は友達との旅でしたが、
今回は東北が初めてのミセスdoironを連れての旅でした。

少し前から関空と仙台空港をつなぐピーチが就航し、
片道6千円~1万円で行けるようなのですが、
申し込んだときにその情報を知らなかったため、
利用したのは伊丹からのANA便でした。

朝から親父のショートステイと
グーのペットホテルへの送り出しを済まして、
午後の便で行くことにしました。
介護の暮らしはそういうところにも
思わぬ配慮を強いられるんだよね。
伊丹空港まで車で行き、
空港のPに駐車して、
昼食を済ませ、ビューンと仙台までひとっとびです。
家を出てから3時間でみちのくの地に
立っているという便利さが
あるからこその現代旅ですね。
街道を歩いていたりしたら
何カ月もかかりそうやもんね。

仙台空港に降り立ち、
レンタカーの手配をして最初に向かったのが、
空港のすぐ北側にある
閖上(ゆりあげ)地区でした。

海辺の平地で家が全部流された地域です。

近くに高台などがないため、
車での避難も
渋滞でほとんど逃げることができず、
助かったのは学校、公民館などの
高い建物に逃げることができた人だけだったという場所です。


被災前


被災後

その地域を見渡せる、
日和山という場所に立った昨年、
その景色はまさに衝撃で思わず手を合わせてしまいました。



今回もその同じ場所に行き、
どうなっているのか見届けようと思ったわけです。


高台の上には、慰霊の施設が建てられています。

上がってみますと、そこから見渡した景色は・・・変わっていませんでした。

再びこの地区に人々が帰ってくることはもうないのかもしれない、
とそう思わせるような景色のままでした。
この1年間で唯一変わったのが、
新しい慰霊のおやしろが建てられてあったことでした。



横に建てられた案内板には
平成25年5月と書かれてありましたから、
これから竣工されるんでしょう。

災害から2年余りで復興したのは、
このおやしろだけというのは
いかにこの地域の復興が難しいかということを物語っています。

そういう風景にミセスdoironも衝撃を受けたようでした。
帰宅後、最も印象に残った光景は?
と聞くと、やはりここでの景色が
一番衝撃だったと言ってます。

初日の訪問はここだけにして
このあと宿に向かったのですが、
車中はいつになく静かな二人でした。

宿泊したのは、「遠刈田(とおがった)温泉」です。
蔵王のふもとにある古くからの温泉です。
こけしで有名です。



doironは今から30年ほど前に一度来たことがあります。
あの時は、雪の中やったなあ。

今回泊まった宿の部屋からは、
雪解け水が轟々と流れる松川の支流と
その向こうに蔵王連山が見えました。



そこでようやく、旅情がこみ上げてきました。

ここへ来るまでの道には、桜がいっぱい咲いてましたが、
山あいのこの温泉はまだ少し早いようで、
この川沿いに植えられているという一目千本桜の樹々も
満開となるのにはまだ1週間以上かかるような感じでした。

でも露天風呂に入り、
おいしい料理をいただいて、
ミセスdoironもしっかりのんびりしたようでしたな。
嫁ハン孝行できたかな?

翌日は、早くに旅館を出て、
まず中尊寺に行きました。
昨年も訪れたのですが、
ここはミセスの要望もあって、
外せなかったところでした。

境内は前回よりもかなり春っぽい雰囲気で、
さすがに東北ですね。
参道の脇の斜面にはカタクリの群落がさりげなくあったり、


ショウジョウバカマや



エンレイソウ



などが道端の雑草のように咲いていました。

お寺は当然、昔から変わらない姿なんですが、



自然の装いはやはり季節に合わせて変わるんですね。
それらの花々が咲く姿は、
昨年はまったく見なかった景色でした。


お寺を後にし、いよいよ二日目の被災地訪問です。
最初に向かったのは、気仙沼でした。

がれき類はほとんど撤去されていましたが、
こんな大きな船はまだ残されたまま。



それとやまあいの空き地なんかは、
そこまで手が回らないといった感じで、
法面の補修などは放置されたままのところも多くみられました。

一年前と違っていたのは、
被災地の雰囲気が活況を呈していたことです。
ハード面での素人ボランティアの出番などは、
ほとんどなく、専門の土木業者が
ガシガシと復興工事をしているような印象でした。

そこから海沿いを南下したのですが、
山を越えて小さな港に出るたびに、
壊れた堤防や寸断された線路が
まだまだ痛々しい姿をさらしていました。

そして南三陸町では、
復興屋台村に立ち寄りました。

仮設の店舗で、懸命に商売をされている人々の表情は明るく、
doironは、「お前も頑張れよ」と言われているような気がしました。

それが今回の旅で一番「来てよかった」
と感じた瞬間でした。

そしてdoironの今回の旅も終わりました。

最後に訪ねた「復興」にかけた仮設の「福幸」商店街では、
色とりどりで賑やかな大漁旗が、
懸命に働く人々の気持ちを象徴するように
元気に海風にはためき、



あの時牙をむいた海は、



何事もなかったように、
被災地の浜に静かに打ち寄せ、
青く輝いていたことを最後に報告して、

doironのみちのくふらり旅を終わります。