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心から楽しまないとねえ。

紀州街道を歩くさかい その2

2013年04月13日 21時10分43秒 | ウォーキング

いきなりの道標騒ぎを尻目に街道を北上してまいります。
まずは泉大津美原線の高架です。

先日調べた時に、
泉大津に残っている紀州街道の道標は
この高架下の一里塚のみ
と書かれてあったので、
それを探そうと思ってました。

高架下をキョロキョロと、
まるで不審者のように探しましたが、
その甲斐もなく見つかりませんでした。
どこかに移設でもしたんでしょうかねえ。

仕方なくこのときはあきらめることにしました。

また、機会でもあれば
教育委員会にでも聞いてみようかと思います。

さて、街道ですが、
そこから50mほどで小さな橋に出ます。

そこが「小高石(こたかいし)橋」です。



そうです。
もう高石市に入っているのですね。

この橋の下を流れる川の名前は

「王子川」

といいます。



きっと熊野街道と何か関係があるのだろうと、
上流を地図でたどってみると、
暗渠になっている部分もあったりして
不確かなのですが、
やはりどうもくずのは稲荷の方向から
流れ出す支流を持つようです。

その神社の近くには王寺町の地名もあるから
きっとそんな関係でしょう。

そのときはそう思ったのですが
紀州街道が熊野詣と深い関係にあることは
この後でわかりました。

それにしてもそんな歴史ある川に
架けられた街道の橋なのに、
橋げたの標柱は最近のもののようなので、
きっと架け替えられたんだろうと思われます。

その橋を過ぎて王子川の名前の付いた交差点で



街道は府道を斜めに横切っています。
ここからしばらくは、
府道と並行して1本東側の道を
歩くことになります。
その旧道に入ってすぐに、
昔の姿を思わせる古い家の塀の前に
案内板が建てられていました。



高石市が建てたもののようです。

そこには、紀州街道が昔熊野詣にも使われたこと、
参勤交代に行き来する道であったこと、
伽羅橋と小高石橋のこと、
府内部分で50キロほどあることなどが
書かれていました。
街道ウォーカーの好奇心を満たしてくれる
ありがたい案内板ですね。

この手の案内板は
高石市内の各所で、
その場所にあった内容で
建てられてありました。

そしてそこからさらに400mほど行ったところで、
今度は右側に立派な太子堂がありました。



doironが住んでいる村でも、
月に一度、村の太子堂ともいえるお寺で

「おだいっさん」

といわれるご詠歌をあげる集まりがあります。
きっとこの太子堂でも
そんな集まりがあるんでしょうねえ。
きれいに整備されておりました。
そしてその太子堂の前にある地蔵がまた面白い。



高石の浜の地引網であげられた
2体の石が地蔵の姿をしているのでと、
祀られてあります。



よく見ると石のあちこちに
貝殻がついており、

「貝殻地蔵」と呼ばれています。

地方へ行けば、化石がついた
恐竜地蔵やアンモナイト地蔵なんかが
あるかもしれませんな。


ここまで歩き始めておおよそ25分くらいでした。

経過時間は、この街道を歩くにあたって
あらかじめ下調べをし作成した地図に書き込んでゆきました。
また、その地図には道標や
いわれのありそうなところも
チェックして書き込んであります。



これによりますと、
この太子堂の先300mくらいの所にある
公共の建物の周りに一つの道標があることに
なっていましたが、見当たらずかなり探し回りました。
ここでも不審者すれすれの行動となったので、
街道歩きは一人じゃない方がいいなあなどと思いましたね。

で、結局その道標は見つからなかったのですが、
実はそれが意外な場所に移設されていたことが、
後でわかるのです。
そのことは次回以降に書くとして
この後、少し街道をそれて
高石神社にもお参りをしました。







境内には

「白川鳳皇 熊野権現御旅所」

と書かれた岩もあり、



先の案内板にあったとおり
紀州街道と熊野詣が密接な関係にあったことをうかがわせました。

そして神社の横には4台のだんじり小屋が集まっています。



わが村でも祭りが近づけば
だんじり小屋の周りには毎夜青年団が集まったり
鳴り物練習をしたり大騒ぎとなりますが、
1台だけでもそんななのに、
4台が集まっているって、
どんなけ賑やかなんやろうと思ってしまいますね。

祭りのときは日がかぶるので、
祭り前に一度様子を伺いに行ってやろうと思いました。

そうそう、この神社でオヤっと思ったことがもう一つあります。

それはこの神社の縁起を書いてある案内板なんですが、
神社の名前のルビが

「タカイシ」神社ではなく「タカシノ」神社

となっていたことです。



このことは、このあと通過する「浜寺」とあわせて
この地域の地名の由来について、
ひとつの事実を物語っているわけですが
そのことも次回にあわせて紹介します。

ここまで歩き始めて40分が過ぎました。