生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その6:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
直ぐ怒る人を相手にするのは苦手ですが「人間の怒りの心境」はとても重要なので、ちょっと考えてみます。怒る人をすぐ軽蔑するのが普通ですが、すぐ軽蔑しないように心がけたほうが、自分自身が幸せになるようです。この事に気付いたのは何時頃だったろうか?自分が怒る場合、その私の怒りを静かに見守ってくれる友達、一呼吸置いて、ちゃんと慈眼で受け止めてくれる親友を思い出します。自分の怒りを静かに受け止めてくれる親友は人生の宝物。なかなかそこまで我慢してくれる人間はいません。権利を主張し、おかえしをしない相手、直ぐ怒り出す相手、その相手が、どうでもいい関係の人なら事は簡単ですが、家族とか夫婦、友人の場合は、その理由を徹底して洞察する必要もあります。案外、こちらに問題がある場合が多いからです。甘えの構造と愛と怒りと主張、これは微妙な愛の世界ですので、慎重に考えて対処する必要がありそうです。例えば一度、信頼関係とか、愛の関係が成立した相手の場合、そう簡単に離別するのは考えもの。愛と甘えと幸福の構造はとても分析が楽しく、勉強になります。深刻であればあるほど、生き甲斐の心理学徒としては分析の迫力がありそうです。テキスト第1章がこの分析の価値がある事例特集です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:372>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その5:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
権利だけを主張し義務をあまり考えない人が周囲にいませんか?他者からの特別な好意を当然のこととし、おかえしを考えない人の話です。甘えの構造の領域の話ですが、生育史の関係で周囲との役割分担とか、を余り考えない事例です。私は末っ子でしたので、今でもまだ、そういう傾向があり周囲に迷惑をかけています。しかし、その欠点を何とかカバーしようと努力しています。長男、長女としての生育史を持つ友人を観察していますが、本当に頭がさがります。自然というか、本能的というか、習慣的努力というか、とにかく、面倒見が私よりもはるかに素晴らしいのです。さて、人に健全に甘えるのはより良い人間関係を保持してくれますが、甘えられる喜びも健全でないと、とかく永続した愛の美しい関係は維持出来ません。バランスは二人の知恵なので、ここでは言語化できません。自己愛パースナリティ障害の問題なのですが、共存共栄、ストレス曲線のバランスを比較考察しつつ、是非、甘えの構造と権利義務のバランスに注目するだけで充分ですので、自己分析もあまり神経質にしないように注意下さい。もし、周囲に権利だけを主張し、おかえしを考えない「大事な相手」がいましたら、この相手は自己愛パースナリティ障害の傾向がある人かなあ、と疑い、自分の愛情に欠落があるなどと「自虐的にならない訓練」を開始して下さい。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:371>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その4:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「有難う」と言わない人、心の底から「有難いなあ」と泣くほど感謝出来ない人は少々問題でしょう。愛と甘えの構造の領域で、一番大きな問題が今回のテーマかも。といいますのは感謝せず周囲に不満ばかりをばらまく人は、当の本人が不幸だからです。心の病気は万とありますので、ここでの解説は意味がありませんが、感謝を知らない原因も沢山ありますが、一番有名な原因が「自己実現への道」を歩いていないことによる現象。どういう事かといいますと、生涯をかけて実現したい夢があり、毎日、その達成にむけて努力するものの、この世は実に冷たく、誰も助けてくれません。助けてくれない現実に気付くと、どんな小さな支援に対しても感動するもの。この自分の大切な道(仕事、趣味、そのた)を真剣に探究すればするほど、世の厳しさ、冷酷さ、無関心を知り始めます。未成年の内は親が当然助けてくれるもの、義務だなどとシャアシャアーと思っています。しかし親が死んで、いよいよ自力で生きていかねばならなくなりますと、原則、誰も助けてくれないのがこの世の現実です。夢を持ては持つほど、その道は厳しくなります。ここでお世辞を覚える人、詐欺の甘さをしり悪の手法を選ぶ人、、堂々と正しい手法を時間をかけて努力する人、晩節を汚す政治家もいれば、大実業家と世間でもてはやされた人生でも、一皮剥けば、その背後に驚くべき巨悪があった等の話は山ほどあります。清く正しく美しく、という言葉は、どこぞで聞いた言葉ですが、夢、道を達成する所に至る長い人生の精神修行時代が最後の勝負となります。ここで明るく美しく爽やかな感謝は、こうした冷たい人生の中での小さな愛情、友情、支援の有難さに涙する人に初めて生まれてくる美しい心です。道を真剣に求める人でないと、本当の感謝、人情の有難さは理解出来ないでしょう。悔いの無い人生とは何か、その思索をしていないと、道も分からず、人の大小の愛も理解出来ません。自己実現を命がけで求め、その道を努力して生きる人は幸せな人です。愛と甘えと自己実現と感謝は深い関連があります。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:370>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その3:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分が「健全な甘えの構造」の持ち主か、或いは、少々問題があり病的とは言えないけれども少し変だ、とその辺りの識別方法について考えてみましょう。「わたしとあなた」の愛の関係において身体症状や、特に不安感があまりない場合、健全と呼べるでしょう。しかし、倦怠期だとしても、二人の間に異常なストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)が無ければ、健全な甘えの構造の範囲にあると確信していいでしょう。しかし、この識別の必要性は「あなたとわたし」の関係が気になる二人の問題で、もうどうでもいいとか、まあ死ぬまでトラブルなく生きていければそれでいいや、という夫婦とか家族の場合は、下記の識別方法は必要がありません。必要がないというと哀しむ人もいるでしょうが、超越している夫婦も存在していますので、いちいち神経症的に取り組む必要も無い、と言う意味です。問題は異常なストレスに居る自分を何故か、認めない男女がいる現実です。認めたくない領域を、この種の人々はいつも避けて通りますので、生涯、人格的発展がありません。現実吟味力に病的な乱れがあるのです。今まで余程、感情の抑圧をして生きてきたのでしょう。好き嫌い、怖い怖くないという原初感情、特に好きか嫌いかを明確に意識化できない人は、これからも段々と悲劇的な人生を送る羽目になります。言葉に出す、出さないは別問題で、心の奥深くでは、倫理道徳に関係なく、好き、嫌いは明確に意識化する訓練をしていかないと人格障害をもたらします。具合の悪い嫌悪感を、どう処理するかは別な問題なのです。好き、嫌いを倫理道徳に関係なく、明確に深層で意識化する事が、将来極めて重要な生きる指標となります。我慢する場合でもこの好き嫌いを意識化した上で生きていかないと、悔いの無い人生は送れません。愛と甘えの構造の病理研究で一番大事な訓練が、この好き嫌いの本音を、どの程度、意識化出来るかがセラピストの生涯の課題です。今まで大好きな人が或日突然、嫌いになりました感情に流されっぱなしで、分析もせずに衝動的に生きた為に、重要な愛を喪失する危険もあります。この「好き嫌い」の分析は極めて難しく、この試練を乗り越えて更に相手を深く愛して幸せになれる人と、嫌いなまま、分析しないで、不幸な人生をたどる人、色々です。好きだったものが嫌いになる、この背景は非常に神秘的で、そう軽率に転換出来るものではありません。甘えの構造は極めて危険ですので、退屈でしょうが、暫く思索していきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:369>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その2:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
他人から批判された場合の反応は、それぞれ違います。一番、切ないのは好意を持っている人に対して、こちらがそれらしい言葉、態度でアプローチした時、相手が期待通りの反応が無いと、何か、馬鹿にされたような、無視されたような気分になり、あーあ、好意を持って言葉にしたのに、と哀しい気持ちになるものです。相手は迷惑かもしれませんが、とかくこの世は、こちらの思惑通りにはいきません。そこで、もし、変に居直り、激しく怒りを相手にぶつけたり、劣等感を感じて卑屈になったり、あえて無関心をそれ以来、相手にぶつけたりしたら、相手は私の事を変な人、と思うでしょう。この相互のやりとり、感覚は自己愛パースナリティという領域で非常に大きな研究課題なのです。ここに甘えの構造が入り込んできます。仲のよい親友、恋人、夫婦、その他の良好な関係にある「私とあなた」であれば、この批判も問題なく通過していき、かえって、その甘えは心地よい刺激、人間関係を深める好機となりますが、気にいらない相手から変に甘えられたら、なにやら気味の悪い、危険なものとなるでしょう。ここで大事な事は、その微妙なフィーリングを正直に感受することでしょう。相手が傷つかないように対処するのも人生の知恵です。非難された時の自分は今まで、どんな対応をして生きてきたか、共存共栄の思想を識別の基準に識別する必要があります。自己愛パースナリティ障害の相手でしたら、この共存共栄の配慮は無駄になりますから、テキスト第1章はしっかりと勉強しておいてください。テキストの無い方は、このブログの第1章を勉強しておいて下さい。相手が「自己愛パースナリティ障害」の人でしたら、私達の愛は多分、健全に育たないでしょう。日々、空しい愛の無い生活となるからです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:368>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
欧米を旅しますと有名な寺院にギリシャ神話やキリスト教の聖書の場面が描かれています。さて甘えと思われる事例の一つに不思議な場面がありますが、その一つにキリストが復活し、マグダラのマリアに出現する場面があります。マグダラのマリアが「この方が復活したキリストだ」と認識し、感激して、すがりつこうとしますが、それをキリストが軽く押しとどめる場面が私には不思議なのです。気になる方は「ヨハネによる福音書」の20章11-18を読んでみて下さい。この場面を知らずして欧米の寺院を訪問すると貴重な旅を無駄にしてしまいます。また、音楽や絵画、小説を解読する場合でも、この複雑な場面を思索している場合と、そうでない場合は人間の幸福論を論ずる場合でも大いなる損失となるでしょう。この場面の解釈は日本文化の視点から見ると「ケガレとミソギ」かもしれません。マグだらのマリアが深い愛情をもってすがろうとしたのに、何故キリストがそれを、させなかったのか、私は若い頃からこの場面を思索しているのですが、私の人生の折々に遭遇する深い愛情、深い友情、神仏への愛を考える時の「知恵」を刺激した場面でした。この場面は愛の甘えの構造についての品格と礼儀と愛の有り様について永遠に問い続ける名場面でしょう。その答えは、とここで求められても私は答えられませんし、それぞれの立場、神学者、政治学、人間工学、信仰者の立場、神学の違い、哲学の違いなどから、解釈が違います。これはこうだ、と自分に納得出来るように楽しんで下さい。自問自答の内容と、その展開で、それぞれの楽しい人生が形成されていきます。何故、あれだけの信仰熱いマグダラのマリアにむかい、あのような言葉をキリストがいったのでしょうか?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:367>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
女性から上手に甘えられると私はたちまち元気になりますが、下手に甘えられると必ず恐怖を感じて敵前逃亡をいたします。この甘えの構造をめぐり世界の学問、小説、芸術、絵画は素晴らしい作品を生み出しています。皆様はいかがですか?甘えの構造について、愛という視点(自己愛、他者愛、神仏との愛)から色々と思索を進めます。健全な甘えとは何か、病的な甘えとは何か、を自分の生育史を分析しながら、これから益々明るく元気に爽やかに生き抜く為に考えてみましょう。自分の生育史のあの場面が健全で、この場面は少々、気になるなあ、と気楽に自己分析してみて下さい。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:366>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:恥の文化:その3:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人前で「恥ずかしめられた」と感じた場合、周囲の人が「君の解釈が違う」と言われて、なるほど、と思う場合と、わかっちゃいない奴だ、と反感を感じる場合があります。ですから、人に言われてもなお、辱めを感じつづけている事例をどう対処すべきか、どう処理したらいいのか、その方法を考えてみましょう。最終的には、その人の解釈の自由ですので、安心下さい。但し、私の事例のように心の傷は激減しているものの、やはり、何度、解釈を変えて努力しても「苦々しさ」は多分、死ぬまで残るでしょう。年齢を重ねると、もうどうでもいいや、という気分になるのですが、人によっては復讐したい、反撃したいと感じていると思います。復讐したい相手が死んでいたりすると、何とも複雑な心境になります。魂、地獄、天国、とまあ、信仰上も、宗教的にも非常に複雑です。心理療法的には、この愛と甘えと恥の領域だけではなく、全ての事例での解決方法に繋がりますので、是非、大事にして頂きたいのですが、心の中での処理の方法は、ストレス曲線(不安、怒り、鬱、心をみだすもの)が、どの程度、身体症状(眠れない、食欲がない、色気喪失)に出ているか、という洞察力が無いと、対処方法の基本に問題があります。ですから平素、身体に出たか、出ないか、を神経症的ではなく、気楽に洞察する訓練が必要です。やはり不安感が、どの程度か、という意識的訓練をして生きていく場合と、自分は元気だから、この程度は無視していこうと、身体症状が出ているのも関わらず、対処しない生活習慣病が、気付いた時には手遅れという悲劇をもたらしています。身体症状管理が健全ですと、遅過ぎて急死という悲劇は起きません。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:365>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:恥の文化:その2:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛と甘えと恥のからみあいが人類の歴史を創造していきます。愛をもとめて旅をする人、恥を悔いて深山のお寺にこもる人、罪を悔いて巡礼の旅に出る人、このように世界の小説や絵画、音楽を鑑賞すると、その折々の人間の姿がとても美しく感じます。さて、どうして、この奥深い領域を語ったらいいのでしょう?NHKの朝のドラマ「花子とアン」での場面は、特に白蓮さんの場面は、この愛と甘えと恥のからみあいを、とても上手に表現していて、脚本家の腕の良さに感動しています。愛と恥と甘えは、どこからどこが、どう、とは識別できませんので、自分の生育史の中で、どうもあの頃が今回の議題である「愛と甘えと恥」の領域問題かなあ、とインスピレーションで感じ取り、その事例を思索して下さると有難いです。中学生の事、担任教師がいきなり「このクラスの中に戦艦陸奥の副長の息子がいて、そいつは戦犯の息子のくせに、おやじじまんをしていやがる」とクラスの授業が開始する直前に私のほうをみながら言い放った先生がいました。本当に良い先生でしたが、人生を生き抜いてきた今、その先生の戦後の立場をあれこれ思索していると、思い当たる部分があります。大勢の親戚や恩師がフィリピン、ミンダナオ、満州で戦死しているからです。しかし、少年の私の心の傷は生涯、消えることはありません。これも愛と甘えと恥の領域の問題ですが、この心の傷が遠因で、極度のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)の重複的原因、投影、感情の転移等から、私が入院するまで追い込まれる場合もあるわけです。自分の生育史の中で、いまでも思い出すのも嫌、という事例を放置しておくのが良い場合と悪い場合がありますので、この識別方法から楽しく思索していきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:364>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:恥の文化:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
色々意見があるようですが「菊と刀」:ルース・ベネディクト著:は面白い本です。日本人の義理と恩を巡る思索をしていて、日本人は「恥」を重んじて生きていると書いた有名な本です。欧米で有名なもう一つの本「武士の娘」:杉本えつ子著:これは越後長岡藩の家老(戦争反対派の家老で、当時は相当色々言われた家老のようです)の娘が縁あって明治初期アメリカに留学している時に書いた本で、とても面白い本です。何とも礼儀正しいお嬢様で、気取らずに当時の女性の生きざまを描いた本です。第二次世界大戦が終わりマッカーサー元帥が厚木に降り立ち、パイプをくわえての写真は有名ですが、この作者(杉本)はその頃まだ存命で、アメリカ軍人はこの杉本さんに誰よりも先に会いたがったそうです。さてこの2冊の本もありますが、何故か、鎌倉武士も、この恥を大事にしているようです。戦いが始まる前に互いに名乗り合いますが、武将の部下の、そのまた下の武士同志の名乗り合いの場合、そのまた下の人々は退屈であくびをした話もあります。しかし、名乗りが終わるまで、矢を射かけずに、じーっと待っている文化が日本には存在していました。この恥の文化は大変奥が深いのですが、これから現代に生きる私達が「恥を考える」場合、なにを心がけたらいいか、皆様はどの視点から自己分析しますか?突入していく前に、どの視点から考えたらいいか、楽しんで下さい。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:363>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:恥の文化:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
良い、悪いの視点は、さておいて、ここで暫く、日本に古来からあります「恥の文化」を考えていきます。辱めをうけるよりは死を選ぼう、と映画、芝居、特に歌舞伎や伝統芸能の世界で描かれている世界もありますし、身近に「あ、あ、恥ずかしい」と感じて己を恥じたり、「この恥知らずめ}と人を批判したりする恥の意識の世界のことです。この「恥の文化」がいつ頃から、日本の歴史に登場したかは楽しい本が沢山ありますのでご参照ください。現代社会でも「恥」がどれだけストレス曲(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)の遠因になつていることか!この恥の基準は日本人全部、違うようですから、分析は難しいのですが、健全な恥の意識と病的な恥の意識がありますので、このあたりを愛という視点に絞り込んで思索していきます。愛と恥の世界です。愛の世界で恥ずかしい想いをした、という世界は、一人の男女の生涯を支配する世界でもあります。私のブログは他者分析はしません。自己分析を中心に勉強しつつ、悔いの無い自分の人生を創造していこうね、と努力しています。皆様も自分の悔いの無い人生を創り上げる為に、この「恥の文化」を楽しみながら、思索していただけると嬉しいです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:362>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その12:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は天に向かってつばを吐きながら生きているような所があります。自己責任が人生の原則ですが、生身の人間には、この哀しみ、悩みは社会のせいだ、あの人のせいだ、と自分に言い聞かせながら、そのストレスを軽減しようと無意識に考えていく傾向があるようです。全部、自己責任にしてしますと、生きるのが大変、辛くなります。生身の人間ですから、蓄積したストレスを親友に愚痴という形で言葉にして発散するのは、とても良い事。愚痴を聞いてくれる友達は宝物。さて、人間誰でも「as if person:あたかも、なになにかのように>と思いながら生きていく傾向がありますが、その理由は理想と現実のギャップが耐えがたい場合、あたかも、なになにかのようになることで、その欲求不満を解消していく特技を人間はもっています。極端になると病理になりますが、軽い程度は健全です。例えば少年少女時代、おとぎ話を父母から読んでもらいますと、王子様、お姫様になつたような幸せな気分になり、夢か、うつつか、その狭間で時を過ごす少年少女時代の例です。大人になりましても、音楽、文学、絵画、芸能の世界をそのようにして楽しみます。芸術家気取り、女優気取り、実業家気取り、大物気取り、となると社会から侮蔑されますが、本人は馬鹿にされた、汚された、と感じだしますと、少々心理療法の対象となってきます。ケガレと禊とはいいますが、身辺の森羅万象の解釈を健全にしておかないと、自分から自分をケガレに追い込み、不幸な生活を招く傾向が出てきます。自己愛パースナリテイ障害という心の病気になりますと、益々、汚れた自分を感じだしますので、健全な自己愛とは何かを勉強する必要がでてきます。自己愛とケガレと禊は以上のように深い関連がありますので、テキスト第1章と日本人のアイデンティティの関連を意識化しておいてくださると良い勉強になります。以上でケガレと禊のさわりは完了します。自己愛はテキストのように8つの視点から勉強していきますが、この8つの視点とケガレと禊の関係を細かく解説していくのは退屈ですので、ここで止めておきます。次は「恥の文化」についての思索展開方法を考えてみましょう。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:361>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その11:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「ケガレ」を感じる自分の傾向をどう意識化するか?「答え」はいちいち倫理道徳でこねまわさずに「ケガレ」と感じたら、恐れることなく「ケガレた」と解釈することと言われています。愛とは何か、という疑問を感じたら、正直に五感と体感で愛と感じたものが、自分の感じる愛、と判断します。思考面でも愛の哲学を研究する必要はありますが、自分が心底、愛だと考えるものが愛なのです。来談者に、これが愛です、と言いましても今まで誰一人として、納得した人はいません。礼儀上、なるほど、と言いますが、目が笑っています。問題は、感じたケガレをどう洗い流すか、その禊の方法です。一番良い方法は過去の生育史での成功体験を思い出す事と言われています。ケガレを流し去った成功体験を思い出す事、それが一番だそうです。その中でも信仰の世界が一番効果があると言われています。神仏に許しを乞うのです。道端のお地蔵様、弥勒菩薩、太陽、月、星空、森の精霊達、サムシンググレート、その内に少し、心に余裕が生まれましたら、学問としての理性的なゆるしとは何かを少し考えます。オカルト的なものを排除し、学問から見た場合、どうも変だとキチンと教えてくれる宗教心理学の名作は沢山あります。浄化する方法は心理療法も有効な場合もありますが、健全な宗教による信仰が一番効果があるようです。傾聴が誠実で、お説教タイプではなく、心から信頼出来る修道者が一番良いと思います。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:360>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その10:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
怨霊、幽霊、平将門、ミトコンドリア、マリーアントワネット、富士山本宮浅間大社、まあ、支離滅裂のような話題が飛び交いましたが、実は計画的な話題提供でした。このような生活感情の中から「汚れと禊」の想いが意識の中に生まれてきて、そればぶつぶつと発酵して人間の意識を形成していきます。神話、民話、宗教、マスコミで報道される諸事件への想い、それらが心の中で複雑にからみあい、織りなして、自分のケガレを形作ります。学者に言わせると日本人のケガレの思想は大和朝廷が誕生する遥か以前から存在している思いだ、と言い切る人もいます。日本人は何故か、ケガレに敏感なのですが、何故でしょう?古代神道と古代ユダヤの混合を説く日ユ同祖論も、その学説の一つです。さて「ホモサピエンスの原初感情は「好きか嫌いか、怖いか怖くないか」と言われていますが、この感情も、ケガレと禊に深い関係があります。この原初感情が誕生したおかげで、言語が誕生し、意識が発達し、男女の愛の会話が成立し、知的感情を持つ子孫が繁栄していきます。今まで提供しました物語で感じたものをノートに書きだしていただくと分かります。人により湧きだした感情は違うでしょうが、何が嫌で、何が良いか、好き嫌い、のどの感情が、その人の心を汚染するか浄化するか、その反応は人により全部違います。ケガレとなるか、ハレとなるか、その解釈は、その人により違いますので、自分が感じるケガレとハレの傾向を意識化していく必要があります。更に浄化する方法も人により違います。浄化する傾向も知る必要があります。この事について少し考えてみます。どうしたら自分に相応しい対処が出来るのでしょう?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:359>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その9:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
富士山への女人登山禁止とか、男子禁止とか、異性に対する色々の思想は大変面白いものですが、「女の一生」をミトコンドリアから思索してみたい。1974年11月30日、エチオピアのハダールで有名な「ルーシーちゃん」が発見されました。DNAの研究は急速に展開していきます。人間のミトコンドリアDNAは16569塩基で構成されているのも分かり、10代先の共通の一人の母もだとれる時代です。今、生きている女性はアフリカ以来生き延びてきた女性なので、逞しくこれからも生き延びれる遺伝子を所持していると推察出来ます。にもかかわらず、自信喪失したり、死ぬほど悩んだりしています。何故でしょうね?多分、思い込み、考え方、解釈の仕方、考え方をこの視点で再点検すれば、これから明るく元気に生きていける知恵も見つかるはずです。宝来先生の「DNA人類進化学」を古い本だ、などと言わずに、大先輩の本を一度、お読みになると、楽しく「女性のたくましさ」と再認識するでしょう。私を生んでくれた母を始め、女性の生命力に改めて賛辞をお送りいたします。世界の女性、母である女性は生きている間、最大の「幸福感」に生きて欲しいものです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:358>

テキスト「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾンでもサンパウロ書店でも全国の書店で販売されています。

「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする