生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

二月堂

2013年05月17日 | 第14章:奈良京都は何故私を幸福にするか
人には忘れがたい美しい思い出、自分の命を回復させてくれる瞬間があるようです。東大寺二月堂のお水とり、修二会(しゅにえ)と呼ばれている法要に参籠する11人の僧・練行衆の道明かりとして、天平時代から毎年、継続している二月堂舞台の廻廊での松明「お松明」、この火の粉をあびて、不思議な体験をしたことがあります。その火の粉をあびますと1年間無病息災といわれていいますが、大勢の人々が嬉しそうに、わあわあ、叫んでいる風景を見た事があります。その場面を生涯、忘れる事はないでしょう。私もこの火の粉を浴びている時、少年時代に戦犯の息子だとして石を知らない大人からぶつけられて哀しい想いをして、以来理由の分からないもやもやと怒りの傷が、この二月堂で解消したことがあります。不思議な体験でした。それぞれの古代からの文化に癒された感謝の思い出がこの二月堂にあります。
<奈良京都は何故私を幸福にするのか? 26>


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その第1章「愛の領域」から11章(カリタス カウンセラーの基本とは)を見ながら思索すると楽しみながら勉強することが出来ます。

(3)この記事は6年間にわたり私が全力投球して系統的に理論を分かりやすく解説した2275回分の記事です。第1章から11章までを日常の言葉を使用ながら書いたものです。


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