生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

邪眼か、慈眼か?

2006年02月06日 | 第2章:心理療法の基本
多摩川を散歩している時、カラスがじっと私を見るので、私も見返します。気のせいですが、私の眼差しが<邪眼>の時は<飛び立ちます>が<慈眼>の時は<飛び立ちません>。犬の反応もそうです。さて<わたしとあなた>が目を見つめ合って会話する時も、この<邪眼>と<慈眼>の<眼差し>が二人の<運命>を左右しているのに気づいていますか?昔、私の大脳生理学の恩師が<人間の大脳は3秒で好き嫌いを識別しているよ>と私を諫めてくださいました。深層で意識する、しないにかかわらず、人間の<五感と体感>は<好き嫌い>を識別しているのです。これは人徳の問題ではなく、生物体の<種の保存>に関する問題なのです。<相手が好む話題>を<ラポール>の為にせっかく提供しても<邪眼>を発露していたら、その努力は<無駄>。傾聴する<わたし>の深層心理の領域で本当に<人間を愛する哲学>を<持たない人>は、どんなに気取っても<慈眼>にはなれません。カラスと犬を相手に私は長い間<邪眼><慈眼>の精進をしつつ、<あなた>の眼差しを通して<わたし>の<邪眼>を見続けてきました。愛する<あなた>への眼差しと心理療法で出会う患者さんへの眼差しの違いを懺悔しながら:<65-4>:


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