風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル @横浜みなとみらいホール(2016年1月10日)

2016-01-11 12:25:33 | クラシック音楽




本日の席は3階Lサイド、五千円也。最安席だけど、鍵盤もしっかり見えて、音もしっかり聴こえて問題なしでした。
開演前に空席にいくつか座ってみたのですが、このホールの3階Lサイド、各ブロックのステージ側1~4番は視界的に完全にアウトですね。。ピアニストの姿や鍵盤がまったく見えない。
みなとみらいホールの音響は、サントリーホールのような(良くも悪くも風呂場の残響的な)特別感はなく、大きなコンサートホールというよりは、自宅のリビングでツィメルマンが弾いてくれているような、余計な効果のない親しみのある音に聴こえました。そういう音であの技巧を聴くのは妙な気分でありました笑。
※追記:なんとこの小ホール的な音、完璧主義のピアニストさまが計算してくださった結果らしいですよ・・・↓↓↓
「彼(シューベルト)の音楽はとても小さな会場で書かれています。それを大きなホールで演奏するのは非常に困難です。響きの返りがかなり遅くなりますから、もうそのときには次の音を弾いています。つまり、ピアノのなかにすでに音響空間を含めておかないといけない。ピアノと音響空間を、そもそも楽器の内にもつ必要があるのです。私はレパートリーごとに鍵盤を構築しますが、今回のピアノはこれらのソナタに完璧な“同伴者”となりました。ほんとうに驚くほどです。ベルリンでのツアーを終えたとき、あまりに美しいので、日本のみなさんにもぜひそのピアノの音を聴いてほしいと思って輸送しました」(「音楽の友」1月号)
なんと、ピアノごとご改造とは(^_^;)
恐れ入りました&ありがとうツィメルマンさん。

それにしても空席が多かったな~(7割程度の入り)。良い演奏だったのにもったいない。やはり値段が高すぎるのではなかろうか。S席16000円て・・・、ピアノのみで実質1曲8000円て・・・。

以下感想。
今夜は、オールシューベルトプログラム。ご本人曰く、コンセプトは「シューベルト、その音楽の草創期から最晩年の魂の集大成にいたるまで」

【7つの軽快な変奏曲 ト長調】
あらあら、ずいぶんと素朴で愛らしい曲ではないの♪
一曲目は、1970年代初めにポーランドで発見された13歳のシューベルトによる作曲と推定されている作品で、ツィメルマンは信憑性が高いと考えているそうです。「若き日のハイドンを彷彿とさせるような喜びに満ちた、そして古典的な様式を持つ作品なので、ある意味、ハイドンへのオマージュとして、今回プログラムに組み入れました。」と。
しかし曲も可愛らしいが、弾いているツィメルマンもとても可愛らしい(※59歳)。この人ってすんごい気難しいピアニストというイメージがあったけど、体を揺らしてまあ楽しそうに弾いてること。子供のようだ^^

そしてツィメルマンは楽譜を見て弾く人なのね。にしては楽譜をめくる頻度が少なすぎないか?とオペラグラスで覗いてみると、五線が縦二列に縮小印刷されてるような不思議な楽譜であった。紙質もめくりやすそうな柔らかい感じだったし、特注か自作なんでしょうね。昨年5月のベルリンフィルとのブラームス動画では暗譜で弾いてるから、曲によるのかな。この夜はずっと楽譜使用でした。

【ピアノ・ソナタ 第20番 イ長調 D.959】
シューベルトの最後から2番目のソナタ。
一楽章は「ツィメルマンの音は綺麗ねぇ」程度に聴いていたのですけど、二楽章が熱くて吃驚(激しい音という意味ではない)。そういう演奏をしない人かと思っていたので。なのにあくまで繊細で美しい。三、四楽章もよかった。
強音を出すときでも、ピアノをとても優しく扱っているように見えました。ピアノが楽器というより別の何かみたいに感じられて、見惚れてしまった。こんな風に弾いて貰えたらピアノも嬉しいであろう。楽譜のめくり方も、蓋を片手で押さえるときも、優しい優しい。
大仰な演奏をしてるわけでは全くないのに、激しく静かで、音と戯れる軽やかさがあり、無垢さがあり。心動かされました。とてもいい20番だった。
演奏後は、何度も拍手で呼び戻されていました。

(20分間の休憩)

【ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960】
シューベルトの最後のソナタ。
こちらも二楽章が静かで深みがあってよかった。
そして四楽章が、またもや熱くて吃驚。しかし今度の熱さは私的には微妙なのであった。。。ソーの音(今の私にはもちろんラーに聴こえたが)の激しさなどはまさかのリヒテル系で。あの叩きつけ、好きじゃないのですよ私・・・。それならいっそあの無邪気な跳ねるようなメロディーのところも子供が遊んでるようなリヒテル系(スタジオじゃなくプラハの演奏の)だったら嬉しかったのだが、そこは割としっかり系であった。
この楽章、淡々と軽やかな裏に深い闇が透けて見える感じの弾き方のものを聴くと、私は胸が苦しくて切なくて「うわぁ・・・」となってしまうのだけれど。なのでしっかり思い入れ系の、重い(タッチのことではなく)と言ってもいいツィメさんの演奏は私の好みとは違ったのですけれど。しかしなぜかやっぱり感動はしてしまったのである。この人の濁りのない空気がこの曲の美しさと根本のところで共通しているように感じられたからだろうか。それに弾き終えた後も割と満足そうに見えたので、ご本人が納得のいく出来だったのならよかったわと。

カテコのツィメルマンさん、いい笑顔でした 客席からもらった小っちゃい花束を両手で持って可愛らしかった。最後は投げキッス。
バレエダンサーも美しい生き物だけど、ピアニストも本当に美しい生き物だなぁとしみじみと思った夜でございました。もちろん顔立ちのことじゃなく(ツィメさん顔立ちも美しいけどね)。

あ、あと個人的意見ですが・・・。アメリカで演奏をしないのはアメリカにいるファンが可哀想だと思うの・・・。芸術と政治は切り離すべきだとは私は考えないけれど、彼の音楽を純粋に心から愛しているアメリカのファンに罪はない、と私は思う・・・。アメリカで演奏しない宣言をしたときの詳細な状況って今まで知らなかったのですけど、この記事を読んで結構衝撃だった。同じ宣言をするにしてももっと他のやり方はできなかったのかなぁ、とも・・・。一方で、この人はポーランド人ですから、戦後のポーランドが歩んだ道というのは日本人には想像もできないものだったと思うので、仕方がないのかもしれないとも思ったり・・・。

ところで、演奏と一緒にエアピアノを弾く客・・・。本人は気分がいいのかもしれないけど、周りは気が散るのでやめてください、お願い・・・

そういえば演奏の前になかなか客席の咳が収まらないときがあったのですが、ツィメルマンはそれを可笑しそうに微笑を浮かべてのんびりした感じで待っていて、一見こういうのに神経質そうなのにそうではないのだなあと意外でした


★追記:13日のサントリーホールの感想はこちら


ベルリンフィルとのこれいいな~↓。ラトルさん、楽しそうだ。ツィメルマンは1年前にバイエルン放送響とこのプログラムで来日公演をしていたのね。

Brahms: Piano Concerto No. 1 / Zimerman・Rattle・Berliner Philharmoniker


バイエルン放送響と来日時のインタビュー
1年のうちの3、4ヵ月は日本で過ごしていて、東京にマンションも持ってるそうな。だからこんなにリサイタルを多くできるのかしら。本宅はスイスなんですよね。

音楽に捧げる人生
「1975年から今日まで、例えばニューヨークで50回(エヴリー・フィッシャーホールとカーネギーホールの2 ヵ所のみ)、アムステルダムのコンセルトへボウでは42回(そのうち19回はピアノ・リサイタル)、パリでは48回、ロンドンでは50回以上演奏している。この間、日本においてはピアノ・リサイタルを240回行い、そのうち少なくとも4分の1は東京とその近辺で32種類のプログラムを演奏している。」とな。本当に日本がお好きなのですねぇ。そう思ってくださるのは嬉しいけれど、日本ってそんなに良い国ですかねぇ・・・。

ベルリン・リサイタル(2015年11月)
水戸芸術館 記者会見(2015年11月)
東京新聞(2015年12月)

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