風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

谷川さんにとっての死と魂

2023-04-22 13:28:12 | 

死んだ後には、魂のような何かが残ると思っています。

「あ いるんだ」という詩を最近、書きました。亡くなった友人が、ふっと戻ってくる、現実感みたいなものを書いた詩です。

〈パソコンの中から/死んだ友人の/元気な声が聞こえてきた/あ いるんだ〉
〈見えなくても/聴こえなくても/触れなくても/すぐそばに〉
(詩から引用)

それは、記憶や思い出よりも深いもののように思います。

だから、死は、瞬間的なものではなく、ずっと、生きることの中に後を引いているものじゃないかと思いますね。生から死へは、フェードイン、フェードアウトでつながっているという感じです。

生きるということを考えたら、必ずどこかで死とリンクしている。はしゃぎきっちゃって、死のことを全然考えない楽しみ方も当然あると思うけども。言葉で「生きる」って言った以上は、どっかに死というバランスウェートがないとリアルにならないと思うんですよね。

・・・

20代のころから、死はたびたび自分の詩に登場しています。

若いころは、秋になって落ち葉が土に還っていくというように、ただ抽象的に考えていたんだけど、最近は、ちょっと肉体的になってきましたね。

死よりも老いの方がずっとリアルなんですよ。脚が弱くて歩くのが苦痛になったとか、自分の体がだんだん衰えて昔とは違うようになってきて、気になります。

両親、寺山修司や武満徹ら友人たちも、みんな亡くなりました。親しい人を失った直後は悲しいことを感じる余裕がありません。

でも、何カ月も、あるいは1年以上たった後でふっと、悲しくなることがあります。それが何なのかよくわからないんですけど。

父と母に関しては、あの2人が自分の中に入ってしまっているように感じます。なんせ赤ん坊のときから付き合ってくれているわけですから。

たとえば、年を取った父が、この自宅の部屋で寝転がってベートーベンを聞いていたのを思い出すんですが、自分も同じようなことをしていますね。

それは悲しいというのとは、全然違いますね。むしろ快いっていうのかな、しょうがねぇなみたいな。

「死体は「脱ぎ捨てた洋服」、その後に残る深いもの 谷川俊太郎が向き合ってきた生と死」GLOBE+


谷川さん、お元気にされてるかなぁとググってみたら、最近のこんな記事が出てきました。
「死よりも老いの方がずっとリアル」というのは、40代の私でも本当にそのとおりだなぁと思う(といっても90代の谷川さんとは全く比べものにならないと思いますが…)。
私達は死がどういうものかを誰も自身の体で体験したことがないし、体験した本人の話を聞くこともできないから、リアルに感じることもリアルに想像することもできない。「その直前」までのことは見聞きすることはできても。

私にとって比較的リアルに感じる話は、漱石自身が書いている修善寺の大患のときのエピソードなのだけれど(30分間の完全な意識消失状態を「いかにも急劇でかつ没交渉」と表現している)、それが書かれてあるのは『硝子戸の中』だっけか?と青空文庫の『硝子戸~』で「死」と検索してみたら、50個の検索結果が出た。漱石はこの随筆の中でそんなに「死」という言葉を書いていたのだなぁ。。
しかしそのエピソードは見つからなかったので、ググってみたら、『思い出す事など』の方でした。再び青空文庫で『思い出す~』の中の「死」という文字を検索してみたら、87個もヒットした。

一部だけど久しぶりに読んでみたら、「病」や「死」という現象を客観的に観察するような文章と、そこから筆者の心情が浮かび上がってくる感覚が、漱石の親友でもあった子規の晩年のそれとよく似ているなと感じました。
晩年といっても子規の享年は34なので漱石よりずっと若く亡くなっていて、若い子規にとってそれだけ死が「自身のもの」として存在していたのだなと思うと切なくなります。
でも漱石の享年も49なんですよね。今の私とほとんど変わらない。

子規の『死後』という随筆、とても子規らしい、いい文章なのです。
青空文庫で読めるので、ご興味のある方はぜひ。
またゆっくり色々読み直したいな。
でもなんだか毎日忙しくて・・・。
そんな風に過ごしているうちに、きっとあっという間に「その日」は来てしまうのかもしれないなぁ。まぁそれも幸せかもしれないけれど。
そういえば友人と文京区の文学巡りをしようと以前話していて、まだ行けていないな。。
いま友人は闘病中でそれどころではないのだけれど、少しよくなったら、一緒に行けたらいいな。

ところで谷川さんは「こういうふうに埋葬してほしいっていうのは一切ありません。息子や娘が適当にやってくれるだろうと思っています。散骨だろうが鳥葬だろうが土葬だろうが、何でもご自由にという感じです。土に還るという自然なほうが、地球上の生きものとしてはふさわしいんじゃないかと思います。でも、骨壺に入ってお墓に入るのも、人がお参りにきてくれたりして、それはそれでいいだろうなと思いますけどね。」と仰っていて、どうとでもしてくれていいというのは私も同じだけれど、私の場合は谷川さんと違い子供も姪甥もいないので、最後の墓じまいと自分の始末は自分でしなければならないのよね。
世界は繋がっていると思っているので親と同じ墓に入れなくても構わないし、無縁仏でもなんでもいいのですけど、できるだけ人にかける迷惑は少なくして死んでいきたい。ただそれだけなのだけど、簡単じゃないんですよね。。。
家族の墓はあるし、その分の合祀はお願いできるけれど、最後になった一人の分は引受人がいないとお墓に連れて行ってもらえないそうで。
お金を出せば行政書士とかに頼めるのかもだけど、そこまでするのもなぁとも思うし。。。
うーむ。。。
国はそういう部分をもっとしっかり考えて欲しいものだわ。
これから先の日本は独居老人大国になるのだから。
「決して贅沢はできなくても、将来の大きな不安を抱えずに最低限安心な老後を過ごして死んでいける」というただそれだけで、老いも若きも(そう、高齢者だけでなく若い人達も)国民の幸福度は大きく上がると思う。そのためなら税金だってもっともっと出してもいいくらいよ。
でも税金の使われ方が全くもって心もとないから、そんな政府には出したくないだけで。
どう考えたって意味のない現金のバラマキばかりやってるし。
職場でも我らが血税がどれほどムダな使われ方をされてるかを日々見てしまっているから(もちろんちゃんとした使われ方もされているけれど)、腹が立って仕方がない




あいかわらず「みどり税」を惜しげもなく使っている我が市。。。
まぁでもこの税金の使われ方はマシな方です。
老いも若きも貧富の差もなく、市民全員に還元されていますから。



でも雑草もこんなに綺麗



このヒョロロンとした植物は何という花だろうか?とgoogleレンズで検索してみたら、「ヘラオオバコ」というらしい。

ヨーロッパ原産の帰化植物で、世界中に広く分布する。日本には江戸時代末期に侵入したものとされ、その後広く日本全土に分布を広げた。
畑地、道端、果樹園、河川敷、牧草地、荒地などに耐乾性があるため広く生育する。
北アメリカをはじめ世界中に分布を広げ、コスモポリタン雑草となっている。
環境省指定の要注意外来生物類型2に指定されている。
(wikipedia)

へ~。
道端の雑草の写真から一瞬でこんな情報までわかるなんて、インターネットってすごいなぁ・・・
コスモポリタン雑草って言葉、なんか可愛い

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