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風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ポーランド2日目② ~オシフィエンチム~

2018-07-10 01:24:29 | 旅・散歩

アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館のあるオシフィエンチムまでは約1時間半のバス旅。バス代は、片道14zł(約390円)。ライコニック社の大型バスは座席も広く快適で、ポーランドの物価はほんっと安い
バス停で親しくなった日本人の方と楽しく話しながらだったので、あっという間に着いてしまいました。

見学は、事前にメールで予約してあったアウシュヴィッツ唯一の公認日本人ガイドである中谷さんにご案内いただきました。ガイド料は一人60zł(約1800円)。この日の参加者は20人くらいだったでしょうか。

※博物館の公式日本語パンフレットはこちら


ガイドツアーの集合場所でもあったエントランス。
地下にトイレ(2zł)があり、軽食や関連書籍などもここで購入できます。


強制収容所内の写真撮影は、「ここで起きた歴史を人々に伝える」という目的に限り、一部の場所を除き認められています。ただしここは墓場でもあるとの考えから、非常識な撮影(自撮りなど)はご遠慮ください、とのこと。

各見学場所の詳細はネットの海に溢れかえっていますので、私は自分が感じたことを少しだけ。
まず旅行前に読んだいくつかのブログでこの施設の観光客の多さについて触れられていましたが、実際に行ってみると、人数制限がなされた各国語ツアーがそれぞれ纏まってコースを周るため、テーマパークのようにどこもかしこも人だらけという状態では全くありません。それでも「せっかく行くなら当時の空気をよりリアルに感じたい。そのためにはできるだけ人の少ない季節、時間帯に行きたい」と思う人もいるかもしれません。私自身、普通の観光地であれば人が少ないに越したことはありませんし、正直行く前はそういう気持ちもなきにしもあらずでした。
ですが実際にこの場所を訪れてみると、不思議とそういう気持ちは全く起こらなかったんです。

中谷さんもシリアの問題などについて仰っていましたが、私達の世界では紛争や悲劇が今なお続いていて、日本でも問題は山積みで、そのような世界においてこの博物館が担う役割は何か、私達がこの博物館を訪れる理由は何か。それを考えるとき、「過去にここに収容されていた人達の心情をリアルに想像し、涙を流すこと」はそれほど重要なことだとは思えない、というよりもそこで終わってはいけないのだという気持ちの方をより強く感じたのです。
そういう意味ではむしろ、あれから長い年月がたち、こういう明るい空の下で多くの人がこの場所を訪れているこの状況はいいことであるように感じられました。
大切なのはここを訪れて涙を流すことではなく、過去にここで起きた事実について同じ空気を吸いながら学び、なぜそのようなことが起きてしまったのか、悲劇を繰り返さないためには何が大切なのか、依然として様々な問題を抱えているこの世界で自分にできることは何か、見学者それぞれが自分の頭で考えるきっかけとなることが今の時代におけるこの博物館の存在意義ではないか、と私には感じられました。
それは、綺麗に整備されている広島の原爆公園や知覧の特攻平和記念館を訪れたときの感覚と似ています。きっと起こった事実があまりに重く凄惨で、「可哀想だ」と泣くだけで終わりにさせてはくれないのです。そういう何かがこれらの場所にはあるように思います。

中谷さんが仰っていたことをもう一つ。「海外の人達と話をしているときに自分が日本の近現代史について十分な知識がないと感じたとしても、そのことに引け目を感じる必要はないんです。なぜなら私達は学校で教えてもらっていないのだから」と。そして、杉原千畝さん、緒方貞子さんといった世界の舞台で立派に活躍をされてきた(されている)日本人の方達の名前をあげておられました。

そしてここを訪れるときに忘れてはならないことをもう一つ。当時日本はドイツの同盟国であったということ。



中と外を隔てる二重の有刺鉄線。当時は高圧電流が流されていました。




















朝礼のときにマキシミリアノ・コルベ神父が立っていたとされる場所には、コルベ神父の囚人番号の書かれたプレートがあります。その向かい側には、集団絞首台があります。コルベ神父はこのとき47歳。自分だったらどうだろう、と考えないではいられません。コルベ神父達が入れられた餓死牢も見学しました(光の少ない地下のため写真撮影は禁止)。その近くには立ち牢や窒息牢もありました。
ところでコルベ神父がポーランド人のカトリック司祭であることからも明らかなように、ナチスドイツがこれらのいわゆる絶滅収容所で絶滅させしようとしていた対象はユダヤ人だけでなく、ロマ・シンティ(ジプシー)、政治犯、ソ連兵捕虜、同性愛者、聖職者、身体障害者、精神障害者などがいて、その出身国は多岐にわたっています。


「”死の壁”での銃殺刑を言い渡された男達は、ここで衣服を剥がされた。またここで処刑が行われることもあった」(説明書きより)。
同様の目的のための女性用の部屋も、すぐ近くにありました。


銃殺刑が行われた、”死の壁”(これはガス室や焼却炉や鞄と同じく復元であると何かで読んだ記憶があります)。
上に高く掲げられている青と白の旗は、囚人服を表わしたもの。壁左下に赤と白のミニ薔薇と一緒に手向けられているのは、ドイツとポーランドの国旗です。中谷さんが「ああ、ドイツとポーランドの国旗が一緒に置かれていますね」と仰って、気がつきました。
今回のツアーでは、私達のグループの前にユダヤ人のグループ(イスラエルの人達?)が見学している状態になるときがあり、中谷さんは「こういう状態で見学ができるのは皆さんにとっていいことなんです」と。「ユダヤ人といっても、髪も目の色も様々であることがよくおわかりいただけるでしょう」と。「ユダヤ教を信仰する人、そういう人を親に持つ人がユダヤ人なのであり、ユダヤ人種というものはそもそも存在しないんです。なのに基準を設けて存在しないものを存在するとしたのが、ヒトラーでした」と。
またあるときは、ドイツ人の団体が前にいたこともありました。「彼らがどういう心境でここにいるのか、想像してみてください」と中谷さんは仰っていました。こういう状況でコースをまわることができるのも、ツアー見学のよさだと思います。
ただ、他のグループが近くに多くいるときは説明を受けるイヤホンの音が途切れたり混線したりしてよく聴こえないことが多くあったので、あれは改善されるといいですね。










ガス室のすぐ隣の部屋が焼却炉になっていました。


次は、バスで移動して、アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウへ。


ビルケナウ入口の監視塔。
有名な鉄道の引き込み線が、中央を貫いています。


入口を入ってすぐに3本に分かれている線路は、より多くの収容者を効率的に処理するためだとか。


突き当りの林のあたりが、線路の終点。クレマトリウム(ガス室兼焼却炉)があった場所です。そこまで歩きます。


監視塔とクレマトリウムの真ん中あたりに、ユダヤ人の移送に使用された貨車が展示されていました。もとは家畜移送用のもので、窓などはありません(祖父がシベリアへ抑留された際に満州から乗せられた貨車も、おそらくこういう貨車だったのでしょう)。
この場所でSSの医師による「選別」が次々と行われ、一説では75%がこの場でガス室送りとなったそうです。主に老人、女性、子供など、労働力とみなされなかった人達です。








林の中に残るクレマトリウムの残骸。収容所解放前夜にドイツ軍により破壊されたためこのような形になっていますが、地下室や煙突の面影などは見てとれます。収容棟やガス室を作らされたのも、殺戮や遺体処理の作業に携わされたのも、収容者達だったそうです。その理由は「ドイツ人に苦痛を感じさせないため」とのこと。






写真左は、木造の収容棟跡。現在は煉瓦の煙突のみが残っています。
アンネ・フランクが収容されていたのもこのあたり。




一つの段を何人もで使用したそうです。




トイレ。用を足す時間まで決められていたとのこと。






収容所の内と外






第一収容所に戻ってツアーが解散し、再びバスに1時間半乗りクラクフに戻ると、20時を過ぎていました。


アウシュヴィッツでお知り合いになった女性と、一日お疲れさまの乾杯
ポーランドのビール、美味しい(銘柄は地球の歩き方にも載っていたものだけど、いま手元にない)
ジュレック、ディルが効いていてすんごい美味
キノコソースのロールキャベツは、ボリュームたっぷりで絶品
ピエロギは、まあふつうでした(ピエロギ自体がああいうものなのかも)。
これにマッシュルームスープも頼んで、一人60ズロチ(約1800円)。安いわ~。
ああ、食事の美味しい国って素敵
もっともこちらはミシュランのお店だったそうで、特に美味しいお店だったのかも。

一緒に食事をさせていただいた女性は60代の方で、ポーランドを27日かけて一人旅されているそうで、お話が楽しくて、時間が過ぎるのがあっという間でした。と、そこに同じくアウシュヴィッツでご一緒だったご夫婦もお店に入って来られ、こちらはポーランドとブルガリアとギリシャを一か月かけてまわられているそうです。世界ではこうして沢山の日本人が旅しているんだねえ。


時刻も22時を過ぎたので、お互いの連絡先を交換して、お開きに。


ホテルへの帰り道にあった騎馬像。青と白の旗は、クラクフの旗。


泊まったホテルとトラム


ホテル脇の道。
さすがにこの時間になると人も少ないですね(ていうか誰もいない)。
駅前広場では若者達がスケボー的なものをしていました。


このホテルは廊下も可愛らしいのです

いっぱい歩いて疲れたけど、充実した一日でした。
日本を発ってからすごく沢山のことがあった気がするけど、まだ2日。日本にいると変わりなく過ごしてしまう時間も、過ごし方によってこんなに違うんですね。
明日はワルシャワへ帰らなきゃなので、荷物をまとめて、シャワーを浴びて、お休みなさい

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