風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

BS-TBS 『死ぬまでに一度はバレエを』

2013-02-10 23:27:28 | バレエ

「誰が言ってたかわかんないけど、人生は感動の歴史だと、感動の積み重ねが人生だからと。僕はその言葉がすごい好きで、感動して、自分の気持ちが動いて、積み重なって、構築されてきたものが人生なんだと。でも感動っていうのは喜怒哀楽だから、沢山の表現をすることだと思うし、それを味わえるのは劇場だと思うよ、俺からするとね」

(熊川哲也~『死ぬまでに一度はバレエを』より

熊哲、良いこと言うね~。
相変わらず口調はとってもエラそうだけど(^-^;
海老蔵と並んで、昔はほんとにほんとにこの俺様な態度が大嫌いで、けれどその舞台に感動してしまった今では、「こういう話し方をする人なんだな」と思えるようになってしまったヒト。
そう思えるようになると、その俺様ぶりがいっそあっぱれというか、もうそのまま突っ走っちゃって!という感じです。
だって彼らと現実世界で個人的付き合いをするわけではないのだから、どんなにエラそうであろうと何だろうと、彼らが思いっきり楽しい3時間の夢を見させてくれるなら、こちらはそれで大満足・大感謝なのですよ。
逆に日頃どんなに品行方正で感じが良くても、その役者が舞台で夢を見させてくれないなら、そのチケットを私は買おうとは思いません。
そしてもちろんその「夢」の裏には、彼らの才能だけでなく、限りない努力もあるわけですから。
(といってもさすがに海老蔵にはもう落ち着いてほしいと思いますが…)

さて、2012年1月放映のこの番組、先日の再放送でようやく見ることができました。
面白かった!
昨年『ドン・キホーテ』を観たときも思ったけど、この人はほんとにバレエが好きなんだなぁ。
本当に楽しそうに踊るんですよね。
観ているこっちまで楽しくなる。

もっとも、初心者のためのバレエ鑑賞のアドバイスとして彼が言う「初心者の人はまずは来て、観て、何か感じればいいだけの話だから、とにかく余分な知識なく観てみること」というのは、それはどうかな~?と私は思います。
いくら「大事なのは知識ではなく観る側の受信力」といっても、初心者の場合は限界があると思うのですよ。。
一切の下知識なく観に行くと「今何を騒いでるの?なんでこの二人別れたの?なんで死んじゃったの?あの悪そうな人は一体何をしたの??」と頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになることは必然で、それでも観終わった後何のモヤモヤもなく「面白い舞台だった!」と心から思える人って少ないのではないかと。
で、「なんだかバレエってよくわからない難しいもの」となり、二度と劇場に足を運ばなくなるのが関の山だと思うのです。
それでも二度目を試すには、チケット代が高すぎる。
私だったら初心者の人には「ストーリーの粗筋くらいは頭に入れてから観た方が楽しめるよ」とアドバイスします。
ていうか、私自身が初心者だからこそ感じてることですが。
ストーリーの粗筋なんて今の時代ネットで気軽に読めますし、5分もかからないもの。
これは歌舞伎の場合も同じ。

「観る側の人間に受信力がなければその文化だって絶えていくし、だからこそ敷居を下げますと、万人受けするんですと、誰もが観ても楽しいんですというのは育たない。なぜなら、敷居を下げればすぐ入ってくる、すぐ逃げてく。そこを乗り越えてごらんよ。そう簡単には出てこれないよ。嵌っちゃうんだから。フックしちゃうんだから。簡単にクリアできちゃうゲームだったらもうやらないだろうしさ。でも逆に難しすぎたらそれもぽいってなっちゃうから、すごい匙加減は難しいとは思う」

良く言った、熊哲!
これは私も本当にそう思う。
それは作品に関しても思うことで、クラシックあってこそのコンテンポラリーだと思うのですよ。
歌舞伎でも同じで、アクロバティックな演目は観ていて楽しいし誰にでもわかりやすいけど、『勧進帳』のような作品あってこその、そういうものだと思うのです。あるいは『勧進帳』なども、もし今後「じゃあ誰でもわかるように現代の言葉でやりましょう」なんてことになったら、私は観に行きませんよ。だって、私は夢が見たいのだもの。
そもそも歌舞伎の全盛期だった江戸や明治の人も、あの言葉がスラスラわかったとは思えないんですよね。
そんなところも含めて、彼らは劇場で、非日常の、鎌倉の夢を見たのだと思うのです。
世話物や舞踊と抱き合わせて、ちょうどいいバランスを保ちながら。
だからと言って全く意味がわからなかったら楽しめないから、歌舞伎でもバレエでも観る前には最低限の下知識はあった方がいい、というのが上で書いた私の意見なわけで。
その程度の敷居を越えることは、容易いことだと思います。特にこのネット社会においては。
そしてその最初の敷居を越えた後は、もう少し高い敷居を越えて(色んなダンサー&役者の演技の違いを味わうetc)、そんな風にして上がって行った一番高い場所から見える景色はきっと最高ですよ。
だから、作品の方から敷居を下げるということは、私達がそういう最高の景色を見る機会を一方的に奪うことになるわけで、あってはならないことです。
これはもちろんダンサー&役者自身にも言えること。新たなことに挑戦もいいけど、それは本来の古典をきちんと修得してからの話でしょ、と私は思う。

「バレエに限らずやっぱり歴史があるものに対しては高尚であるべきだと思うね。1500年代でしょ、シェイクスピアだったら。それだけの時代を人を惹きつけてきてる作品があり、演じてきた人間達がいるわけだから、それはやっぱり歴史の重みがあればあるほど蓄積された高みに上がっていくものがあるわけだと僕は思うわけ」

そうそう、そうなのよ~。
そして、そういう種類の「歴史」に対して、日本人はまだまだ鈍感だと思うのです。
バレエはイギリスやフランスがその文化を絶やすということは許さないと思うけど、問題は歌舞伎の方。
この我が国固有の素晴らしい伝統文化が今後絶えてしまうようなことだけは、絶対に起こらないでほしい……。
敷居を下げずに、いかに多くの観客を呼び込むか。がんばれ若手役者たち!

ところで熊哲、あたりまえですけど英語が上手ですね。そしてあたりまえですけどイギリス英語なのですね。

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