風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

「文豪・夏目漱石 ―そのこころとまなざし―」展 @江戸東京博物館

2007-10-18 01:04:30 | 美術展、文学展etc

江戸東京博物館で開催中の「文豪・夏目漱石」展に行ってきました。

大学予備門の試験の答案が、数学や物理などもすべて英語で答えているのにはびっくり。
でも考えてみれば適塾などでもすべて蘭語で勉強していたことを思えば、明治のこの頃も日本語で勉強するほどまでこの学問が日本に浸透していなかったのが理由なのでしょうね。
いずれにしても、感心しきり。

ロンドン留学中にお金をきりつめて購入したという洋書の数も圧巻でした。

また漱石は本の装丁にもこだわった人で、洋風のデザインを取り入れた装丁は本当に素敵!ミュージアムショップで『虞美人草』初版本のオレンジ色の装丁のブックカバーを売っていたので迷わず購入してしまいました。他に『四篇』『吾輩は猫である』のもあって、お金があれば全部買いたいところだったけど、なにせ高くて・・・。1800円、だったかな。

という風に見所満載な漱石展でしたが、とくに印象に残ったのが正岡子規と漱石の交流。
二人は高等中学校の同級生として出会い、その友情は子規が亡くなるまで13年間つづきました(漱石というペンネームも、元は子規が使っていた俳号)。
明治34年、病床の子規がロンドンにいる漱石へ送った最後の手紙が展示されていました。
子規が描いた東菊の絵とともに、掛け軸に貼られていました。
子規らしい手紙です。
結局二人は再会することなく、この手紙を書いた一年後の明治35年9月19日、子規は34歳でこの世を去りました。
以下、手紙の全文。


僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヨウナ次第ダ、ソレダカラ新聞雑誌ヘモ少シモ書カヌ。手紙ハ一切廃止。ソレダカラ御無沙汰シテスマヌ。
今夜ハフト思イツイテ特別ニ手紙ヲカク。
イツカヨコシテクレタ君ノ手紙ハ非常ニ面白カッタ。近頃僕ヲ喜バセタ者ノ随一ダ。
僕ガ昔カラ西洋ヲ見タガッテ居タノハ君モ知ッテルダロー。
ソレガ病人ニナッテシマッタノダカラ残念デタマラナイノダガ、君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往ッタヨウナ気ニナッテ愉快デタマラヌ。
モシ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ)。

画ハガキモ慥ニ受ケ取ッタ。倫敦ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ。

不折ハ今巴里ニ居テコーランノ処ヘ通ウテ居ルソウジャ。君ニ逢ウタラ鰹節一本贈ルナドトイウテ居タガモーソンナ者ハ食ウテシマッテアルマイ。

虚子ハ男子ヲ挙ゲタ。僕ガ年尾トツケテヤッタ。

錬卿死ニ非風死ニ皆僕ヨリ先ニ死ンデシマッタ。

僕ハトテモ君ニ再会スルコトハ出来ヌト思ウ。万一出来タトシテモソノ時ハ話モ出来ナクナッテルデアロー。実ハ僕ハ生キテイルノガ苦シイノダ。僕ノ日記ニハ「古白日来」ノ四字ガ特書シテアル処ガアル。

書キタイコトハ多イガ苦シイカラ許シテクレ玉エ。

明治三十四年十一月六日 燈下ニ書ス。
東京 子規拝
倫敦ニテ 漱石兄


(上)明治30年9月6日付書簡
(中)あづま菊の絵 明治33年6月頃
(下)明治34年11月6日付書簡
岩波書店蔵


※子規の最後の手紙について
夏目漱石 『吾輩は猫である』中篇自序

※東菊の掛け軸について
子規の手紙(→漱石) 明治32年3月20日

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