風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

宮永 孝 『慶応二年幕府イギリス留学生』 1

2007-09-26 01:06:47 | 



「およそ人間社会は、優勝劣敗、適者は存し不適者は亡ぶ、という通則を実行する場所なのである。かつまた、たとえ優勝者といえども、いつも順境に存るのみというわけにはいかぬ。ずいぶん不幸にも遭遇することが多いのだ。さればいかにして楽しくかゝる行路の困難なる世を送るべきか。・・この荒波の世の中に辛苦を耐えざる時において、いかにして心胸の快活を得らるゝでしょうか。これ只に諸嬢の心がけ次第に存るのだ」
(宮永 孝『慶応二年幕府イギリス留学生』)

薩摩、長州ときて、最後は幕府留学生でございます。
薩摩や長州を読んでいたときは「幕府の英国留学生はきっともっと恵まれていたんだろうなぁ。密航じゃないしなぁ」と思っていたのだけれど、この本を読むと、必ずしもそうではなかったようだ。

すべての意味で一番恵まれていたのはおそらく薩摩だろう。そして金銭的には幕府は長州よりも恵まれていたかもしれないけれど、「留学」という意味では必ずしも恵まれてはいなかった。イギリス到着後比較的すぐにそれぞれが分宿し、さらにユニバーシティカレッジで学ぶことができた薩長留学生とは異なり、イギリス人監督者に恵まれなかった幕府留学生は、彼らの意思に反して日本人同士での同居を長く強いられたため語学の上達は遅れるし、やっと分宿を許されてカレッジへも通わせてもらえたかと思えば大政奉還で幕府自体がなくなってしまい、十分な知識を習得しないまま日本へ帰国させらるしで、まさに踏んだり蹴ったりだった。

そして帰国後の彼らだが、華やかに活躍した人もいれば、そのような機会に恵まれないまま人知れず人生を終えた人もいて、様々だ。
この本が特にスポットをあてている留学生取締役だった川路太郎の場合は後者である。上で引用した文章は、大正二年、淡路高等女学校の校長だった彼が卒業生へ送った訓示の一節だが、これはきっと、激動の時代に翻弄された彼の実体験から生まれた言葉なのだろう。

ちなみに、彼らが日本を出てからイギリスへ到着するまで辿ったコースは薩長と殆ど同じである。薩長幕、それぞれが当然バラバラで海を渡っているのに、香港のガス灯の夜景を「蛍の光のようだ」と感じ、蒸気機関車に驚き、ラクダをみたりしたことをそれぞれが日記等に全く同じように書き残しているのが可笑しい。

あと面白かったのは、外国人に日本の国のことを質問されて答えられない自分に困惑したり、英語をなかなか習得できない理由は自分の記憶力が悪いせいかと悩むなど、現代の私たちと何ら変わらない姿が彼らの日記や手紙からわかること。選ばれた教育を受けた武士の若者達でもそんな苦労があったんですね(^_^)
親しみを感じてしまいました。

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