風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『大鳥圭介伝』

2007-09-29 00:03:30 | 

其時分には原書と云っても妙な稽古の仕方で、今ならば英書を読むにも、仏書を読むにも、最初には単語の極く易いものを学んで、追々に其文に綴ったものを読み習はすのが今の仕方でありますが、其時分にはさう云うことをしないで、いきなり「グランマチカ」英書の「グラムマー」すなわち文法書で、御承知のとおり最初から長い文章が書いてある。
・・・・・・併し一向素人で、何も一語も知らぬものが始から名詞とか形容詞とか間詞とか云ふから、更に方角が立たぬ。誰も皆それには苦んで居る。
・・・・・・偶に寄るとこんなことをやって居っては仕方がないから、もっと物の分る仕方はないだろうか。文法書を読んでからは生理書、人身究理と称へる生理書、それを読む様になったから大分分かった。
其他に其時分、理学書「ナチュラルヒロソフィ」と云ふものがあって、万物の究理書、空気のこと、水のこと、引力、重力、寒暖の訳はどうだと云ふやうなことが、スッカリ出て居る。大分面白い。之は大分面白くなって来た。之が読める様になれば面白い。大分厚い本でありましたが、始終輪講をした。自分でも読んだが、同じようなことを皆寄ってやって居る。

緒方という人は大家ではあったですけれども、其時分は本が乏しいものだから、字引を合せて十部か十五部しかなかったのです。
其本はどうして得るかと云ふと、長崎に序のある時分に、長崎の通辞を頼んで、蘭人の持って来た本を買上げる。或は又和蘭の方へ注文してやったりして、漸くそれ丈集めた。
どの本でも一部より外ないから、それを先生が蔵してあるのを寄って写す写本で、それは誰でも半日は写本に掛って半日読むという風であった。
福沢なども皆それをやった。
読む人が多くて本が少ないものだから、又写しする。
私が写したのを其次の人が写し、夫れを又次の人が写すと云う風にやらんと、支へて仕方がない。マア写し取って輪講もしたり、講読もしたりして居る。
・・・・・・さうして私共は其貧書生だものですから、写字料を取って一枚幾ら位かマア今の十枚も写せば一銭くらいになりましたが、物の安い時分だから日に十銭も取れれば其日の食料や小使丈は出来ると云ふ訳で、立派な藩の人や、親が金持ちの人は、写本などはしないで本ばかり読むことをやったけれども、貧乏な人などは沢山居ったが、私なども貧乏な仲間だから、人の為に筆耕して、自分も写して居る。
早く云ふと二部も三部も写さなければならん。
それを以って飯を食って稽古をすると云ふことで、随分難儀な訳で、皆力を尽して居ったが、貧書生が揃って居るから、羽織は十人で一枚位、刀は十人で一本位。
皆其質に置いたり何かして持って居ない。
誰でも外へ出る時には借りて往く。
例へば湯に這入りに往くには、順番に往かぬと一緒には往けない。・・・・・・今帰って来たと云ふと、抛り出せと云ふ、宜しいと云ふて出す。
其の羽織を着て次の奴が往く。
塾中皆で五六十人乃至七十人も居ましたが、其中に羽織が三枚か四枚しかなかった。
(『大鳥圭介伝』)

明治32年6月から「太陽」に連載された大鳥圭介の自伝より。
インタビュー形式の口語調なのが面白い。
大鳥圭介というと、戊辰戦争~五稜郭か日清戦争時にその名前が歴史の表に出てきますが、この自伝ではその前半の半生を語っています。

赤穂の医者の家に生まれた圭介は、21歳のとき西洋学を志して大坂の緒方洪庵塾(適塾)に入塾する。
ここは、大村益次郎や福沢諭吉など数多くの逸材を出したことで有名な塾。
そんなエリート達が集まる塾だけど、その生活ぶりは壮絶の一言。
蘭語で書かれた原書は字引(辞書)を合わせても10~15冊しかないから、一冊の原書を半日かけて写して半日読む。
それでも時間がかかるので、一人が写したものをさらに他の塾生が写す。
貧乏な大鳥は自分以外の人の分も写してやり、写字料を稼いだりもしている。
貧乏学生ばかりなので羽織は10人に1枚、刀も10人に1本、無刀では歩けないから湯に入りに行くときは一人が戻ったら、その羽織と刀を借りて順番に湯に行くという状態。
すべては勉学のため。
こんなに勉強家の息子なら現代の過保護な親なら大喜びでお金を与えまくってしまうだろうが、圭介の親は「長い間は無理だが仕方がない」と渋々許しているのが面白い(だから学費も充分にはやらない)。

ちなみにこの自伝が掲載されている『大鳥圭介伝』。
私が読んだのは大正4年(1915)発行のものだけれど(図書館で借りた)、復刻版も出ているようなので興味のある方はどうぞ。
戊辰戦争時や五稜郭降伏後に獄中で書いた日記も掲載されていて、大鳥独特の感性が実に面白いのです。
かなりの高額ですが、小説にない面白さが満載で読み応えありますよ♪

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