シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

セールスマン

2017-07-25 | シネマ さ行

アカデミー賞外国語映画賞につられて見に行きました。アスガーファルハディ監督の作品を見るのは「別離」「ある過去の行方」に続いて3作目です。

アパートが崩壊しかけて出て行かざるを得なくなった教師のエマッドシャハブホセイニとラナタラネアリドゥスティ夫婦。引っ越した先で妻ラナが襲われ2人の日常にひびが入る。

イランというお国柄、ラナがレイプされたという表現は一度も出てこない。近所の人がシャワーの中で全裸で血まみれになっていたというのだからレイプされたと考えるのが自然なのだろう。ラナははっきり言わないし、夫エマッドもはっきり聞かない。病院も警察に届けることをしないし、レイプキットなどで調べているとも思えない。

警察に届けるかどうかをラナの意志に任せ、ラナが届けたくないと言えばエマッドもそれ以上強くは言わない。妻がレイプされたなど、イランでは警察に訴え出るようなことではないと判断されてもおかしくないのだろう。警察に届けたところでラナが責められるだけに終わる可能性も高い。

エマッドは自分だけで犯人捜しを始める。慌てて出て行った犯人が置いて行った車を発見し、そこから犯人をたどる。エマッドは最終的に犯人を発見し、問い詰め、「ここにお前の家族を呼べ、すべてバラしてやる」と言うが、犯人が心臓発作を起こしてしまい、期せずして犯人の命を助けてしまうことに。そこへ駆けつけた犯人の家族の前でまた発作を起こした犯人は2度目で結局死んでしまう。

最後のカットでエマッドとラナの夫婦がどちらも表情なく座っているのだけど、ワタクシはレイプ魔が死んだからって同情しないので、彼らのこのブランクな表情に共感することができなかった。あの表情にどのような意味が込められているのかははっきりとは分からないけど、ワタクシは因果応報を信じないけど、あの犯人の死が報いなのだとしたら、ワタクシはざまぁ見ろとしか思えないのだよなぁ。それどころか家族にもバレずに死んで甘っちょろいわと思ってしまう。

これがイスラムの社会だから、と思う部分もあるのだけど、いまの日本を見ても性犯罪に対する世間の見方としてはあまり変わらない気がしてしまう。夫だと思って不用意に玄関を開けてしまったラナを「自業自得」と見る向きが日本にもある。犯人は「ついそそられてしまって」などと言っていたけど、そんなことで許されていいわけがない。そう言われて犯人をぶん殴りもしないエマッドの反応がいまいちワタクシには理解できなかった。

作品の焦点は性犯罪がどうということではなく、この夫婦を襲った悲劇によって崩れてしまう関係にスポットを当てているのだとは思う。エマッドとラナの事件までの関係は西洋的な雰囲気を漂わせている気がしたけど、事件を境に一気にイスラムの家長制度的なものが見え隠れするようになる。

エマッドとラナが劇団で「セールスマンの死」を演じていて、それとリンクするようにできているというのだけど、ワタクシはちょっとどこがリンクしているのか分からなかった。

ファルハディ監督の作品てどうもどこかもどかしい演出が多いと感じるのだけど、それこそがイランで映画を撮るということのもどかしさなのかもしれないなと思います。これまでの作品でも様々な賞を受けているし、評価も高いのだけど、ワタクシが見逃している部分や理解していない部分があるのか正直少し難しいです。