シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

シリアの花嫁

2009-09-01 | シネマ さ行
1967年、第3次中東戦争でゴラン高原はイスラエルに占領され、、、


と映画の冒頭で説明文が出る。チッ、またイスラエルかよ!

説明は続く。

ゴラン高原に住むイスラム教ドゥルーズ派の人たちは、ゴラン高原の占有権を主張するシリア、イスラエル両国の間で、どちらの国にも属さない「無国籍」となっている。

えっ?無国籍?そんな人たちが公に存在するの?ワタクシ、勉強不足でゴラン高原のことも、無国籍者のことも何も知りませんでした。

実際、妹モナクララフーリの結婚式のために外国から村に戻ってきた兄マルワンアシュラフバルホウムのパスポートには「無国籍」と書かれてあった。案の定テルアビブの空港で執拗に検査を受けるマルワン。

モナは今日、軍事境界線を越えたシリアの男性と結婚する。一度もあったことのない写真だけのお見合い結婚。中東ではそういう結婚もまだ普通におこなわれているのだろう。そのことについては特に誰もなんとも思っていないようだった。

結婚を勧めたのはおそらく姉のアマルヒアムアッバス。村の中で結婚して子供が2人。妹には一生この村を出ることができないかもしれない自分のようにはなってほしくない。そう思ってモナに縁談を勧めたのではないかと思われる。そんな彼女もいまイスラム教的な女性支配から逃れて、大学へ進学しようとしている。

モナの二人の兄のうちもう一人のハテムエヤドシェティはロシア人と結婚しロシアに住み、イスラムコミュニティーからは完全に疎外された存在だ。イスラム教では異教徒と結婚することにはかなり難色を示されるだろう。そんな彼もモナの結婚のために村に戻ってきたが、父ハメッドマクラムJ.フーリは許してはくれない。

彼らの父ハメッドは政治犯として投獄されたこともある人だ。民族のために戦っている。保護観察中の彼が娘のモナを見送るために軍事境界地帯へ行くことをイスラエル側はななかなか許そうとはしてくれない。

モナが境界線の向こうに行くときがくる。軍事境界線では常に緊張があるから、その手続きも随分まどろっこしい。そこにはイスラエルの出国審査官がいる。彼は今日から決まりが変わって新しくスタンプを押すようになったと、イスラエルの出国スタンプを押す。それを赤十字のスタッフがシリアの入国審査官のところへ持っていき、シリア側が入国を許可すればモナはあちら側へ行ける。しかし、ここで、シリアの審査官は入国を拒否してきた。モナに問題があるわけではない。イスラエルの出国スタンプが問題なのだ。

シリア側の言い分はこうだ。「ゴラン高原地域は、あくまでも本来はシリアの領土だ。シリアの領土からシリアの領土に移動するだけなのに、どうしてイスラエルの出国スタンプが押してあるんだ。これを認めて境界を越えさせると、ゴラン高原がイスラエルの領土だと認めたことになる。これはこうやってなし崩しに既成事実を作ろうというイスラエルの陰謀だ」(いや、まったくもってその通り。いかにもイスラエルがやりそうなこった)

困った赤十字のスタッフはイスラエル側に戻り、スタンプを取り消すように言うが、自分は指示されてやっているだけだし、勝手に取り消せないと言う。上官に電話してもらっても、もう夕方で誰もオフィスにいない。(木曜の4時だからいるわけない。って言ってたけど、4時でもう誰もいないのか?)

赤十字のスタッフは両家の家族に詰め寄られながら、両国を説得するために何度も何度も往復するが、なかなか打開策が取られない。ついにシリア側が修正ペンで消すならいいよと言う。(っていいんかー???人のパスポートやぞー。修正ペンでいいんか???)ほんでまた早よ帰りたいイスラエルの審査官は(彼の息子が紛争地域で戦闘に巻き込まれてたから。ってさすがイスラエルな理由)、修正ペンで消しちゃうのよ。これで一件落着かと思ってほっとしてたらさぁ、赤十字のスタッフがそれを持ってシリア側に行くと、交代時間とか言って担当官が変わってて、また「こんなん受付られるかー」とか言ってきた。(さっきの担当官いい人そうやったのになぁ。ちゃんと引継ぎしといてよ!!!)

てか、ここまで読んだ方、この作品コメディじゃありません。ほんと笑っちゃうような展開やけど。物語はシリアスなんですよ。なんせ、モナはこの境界線を越えたら二度とゴラン高原には戻ってこれないんです。両国間の情勢が変わらない限り、一生です。それでもこの境界を越える。そんな決意を最後にモナが決死の覚悟で見せてくれます。モナは最後にシリア側の許可が降りないまま勝手に境界線を渡っていきます。勝手に出ても撃たれないの?ってそこは疑問だったんですがね。どのような状況下にあろうとも自分の人生を歩んでいく決意を持った姿を観客に見せてくれます。そして、その姿を満足そうに見つめる姉。彼女もイスラム社会にありながら自らの足で歩こうとする女性です。そして、その兄弟たちも。もう一人の弟はちゃらんぽらんだけど、それは保守的な社会に対抗して生きているからだろうなと感じました。個人的には好きになれないタイプですが。

父親が保守的なタイプでありながら、その子供たちはそれぞれに自分の人生を歩んでいる。それは逆に自分の信念を貫いている父親の影響なのかもしれないと思いました。最後にハテムを許す父親の姿は涙なしでは見ることができません。そこには宗教、慣習の違いを超えた普遍的な家族の愛が存在します。

ちなみに姉の“アマル”いう名前ですが、“希望”という意味があるそうです。彼女こそまさに“希望”の象徴と言えるでしょう。兄弟4人の歩む道、そしてその次世代の道に希望があることを願わずにいられない作品でした。

オマケ今回は「オマケ」というよりも、ただの言い訳ですが、最初に「チッ、またイスラエルかよ」と書いてしまいましたが、ワタクシこの作品の歴史的な背景についてはまったく調べずに見に行きましたので、実際のところ公平に見てどちらに非があるとかはまったく知らずに勝手に言ってますので、ご容赦ください。