特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

春がくるまで

2021-01-08 08:56:18 | その他
「冬らしい」と言えば、冬らしい。
秋があまりに長く、あまりに暑かったせいか、寒さが 一層 身体に堪える。
特に、朝は色んな意味でツラい!
しかし、それで寝坊なんかしたりしたらアウト!
冗談抜きで、下手したら、そのまま会社を休み、そのまま二度と社会復帰できない事態に陥る可能性もある。
だから、そこは、あえて荒療治。
重い心と重い身体を引きずり起こして、まだ薄暗い極寒の早朝にウォーキングに出たりしている。
そして、「春になれば、きれいに咲くんだよな・・・」と、桜並木をぼんやりと見上げては、憂鬱な一日を始めている。


年末の特番だったか、TVで超常現象・怪奇現象を扱った番組をやっていた。
少し興味はあったけど、苦手なモノがでてきたら困るから、結局、その番組は数分しか観なかった。
「苦手なモノ」とは、いわゆる、“心霊写真”“心霊スポット”、幽霊関係のネタ。
私は、この類が超苦手!
中学の頃、興味本位で、友達が持っていた心霊写真集を見たことがあり、その中には超強烈な画があり、それがトラウマになり、それ以降、そういった類のものを拒絶するようになった。
そのとき抱いた恐怖心・嫌悪感は凄まじく、思い出しただけで 今でも背中に悪寒が走る。
だから、今でも、心霊写真と言われるものは絶対にみないし、心霊スポットと言われるようなところにも絶対に行かない!
恐ろしく苦手な蛇の方が、まだマシに思える。

なのに・・・
腐乱死体現場や自殺現場に一人で入るのは平気。
真っ暗闇の浴室現場だって、我ながらおかしくなるくらい平気で入れる。
自分のスマホで遺体痕写真を撮るもの平気。
そこに何かが写るかもしれないのに、平気でパシャパシャと撮る。
実際、同僚が担当した現場の写真には、白い煙のようなものが、床に横たわる遺体のかたちになって写っていたことがある(社内で話題になったけど、私は断固として見なかった)。
あと、私が特掃した後の自殺現場で、電気工事会社のスタッフが、目に見えない誰かに腕をつかまれて悲鳴をあげたようなこともあった。

相反する、その二つの感覚は、自分でも不思議。
そんな奴が、よくもこんな仕事に就き、ここまで続けられているものだと、呆れついでに感心もする。
自己分析すると、多分、現場に入ると、自分の何かに火がつくからだろうと思う。
あと、目の前の故人を嫌悪・恐怖する感情が湧いてこないからだろうと思う。
凄惨・悲惨に思う気持ちと、嫌悪・恐怖する気持ちは別物だし、嫌悪・恐怖する理由もない。
あとは、私が、“大変な変態”ということもあるかもしれない。


昨今のコロナ禍も ある種の“超常現象”。
で、国の施策も ある種の“怪奇現象”か・・・
「今更?」といった感が否めない中、とうとう一都三県に緊急事態宣言が発出された。
が、「一大事」っぽく感じつつも、春のときとは明らかに様相が異なる。
主策は、飲食店の時短営業のみで、誰がどう見てもお粗末。
そもそも、この期に及んで夜に飲み歩いているのは ごく一部の人間で、それを締めだしたからって、何が変わるというのか・・・
(ニュース映像に、“宣言前の飲み納め”している者が出ていたけど、個人的には、不快なほどその神経を疑う。)
「緊迫感に欠ける」というか、「他人事のように見える」というか・・・
で、多少は街の人通りは減っているのかもしれないけど、ゴーストタウン化するような寒々しさはなく、「これじゃ、大した効果は見込めないんじゃない?」と首を傾げる。

私は、もともと、外食が少ない人間。
外で飲むことは年に一~二度くらい。
昨年なんか、一度も外で飲んでいないし、外食したのも、記憶にあるのは一度きり。
友達がいないうえ、ヒドい面倒臭がり屋なものだから、外での飲食が制限されても、まったく平気。
ただ、自制している部分もある。
仕事以外の外出は極力減らし、外に出るときは常にマスクをつけ、人と話すときは できるだけ距離を空けている。
電車やバスにも乗らない・・・あれは、どうみても危険。
通勤通学などで、乗りたくなくても乗らざるを得ない人を気の毒に思う。

藁にもすがるような思いで、新開発のワクチンに羨望の眼差しが向けられている。
しかし、接種が始まっても、社会が劇的に回復していくわけではない。
数量の限界もあれば、回数の問題もある。
ワクチンが広がるスピードより、ウイルスが広がるスピードの方がはるかにはやい。
ワクチンが防ぐ前に、ウイルスが入り込む。
将来の副作用も不透明。
私は、ワクチンは必要だし役に立つだろうと思ってはいるけど、それが救世主になるとは思っていない。
「このコロナ禍が過去のものとなるには数年かかる」と言っている専門家もおり、それが現実的であることは、世界の混乱ぶりが示唆している。

感染対策と真剣に向き合わない一部の民衆も問題だけど、国や行政の弱腰にも問題がある。
世間に呆れられるほど、国は迷走し、毅然とした対策を打たず、すべてが後手後手、しかも中途半端。
ただ、国の迷走は今に始まったことではなく、「国」「政府」というものが もともとそういうものであることは、かつての“アベノマスク”が、大枚をはたいて国民に教えてくれた。
ここまできたら“指示待ち人間”をやめて、「自分が国を守る」という気概と責任感をもって、一人一人が積極的に自衛していくしかない。

私は、基礎疾患はないけど、自分で気づかないところで病に侵されているかもしれない。
また、「高齢者」ではないけど、若くもない。
同年代はもちろん、自分より若い年代の人でも重症化し、亡くなることが珍しくないことは承知のとおり。
自分が感染したらどうなるか不安もあるし、周囲に大迷惑をかけてしまうことも恐い。
元気を失った今の私は、免疫力がだいぶ下がっていそうだから、コロナに感染したら、相当マズイことになるかもしれない。

まずは、常日頃から免疫力を上げておくことが肝要。
ストレスを溜めず、よく食べ、よく眠り、適度な運動を心がけることが大事。
しかしながら、このところ調子が悪いのは前回書いたとおり。
ストレスは溜まりっぱなしだし、食欲はないし、熟睡なんて程遠い。

ただ、食欲があってもなくても、一日の始まりの朝食はシッカリ食べるようにしている。
玄米飯・味噌汁・納豆・生卵が定番、今の時季は それに菊芋が加わっている。
「精進料理か?」って感じ。
昼食はいたってシンプル。
ここ数年は、決まった菓子パンですませていたのだが、今はそれも食べたくなくなり、バナナ1~2本に加え、煎餅やチョコレート等を間食、とても「食事」とはいえない内容。
夕飯も、わりと軽め、量は決して多くはない。
昔みたいな「肉が食べたい!刺身が食べたい!大福が食べたい!」といった欲もなく、身近にあるモノをテキトーな量食べれば充分。
歳のせいか、コッテリしたものも好まなくなり、このところは、肉や油物なども滅多に食べなくなっている。
結局のところ、これじゃ、身体は強くなりようがないか・・・

その程度の食欲だから、体重も増えてはいかない。
あまりに痩せてくると見た目は貧相になるし、筋力も落ちるので、玉子は必ず一日二個は食べるようにしたり、もともと好きではないけど牛乳を飲むようにしたりしている。
ただ、そこに“食の楽しみ”はない(感謝はある)。


何か、いいストレス解消法があればいいのだけど、趣味らしい趣味を持っていない私。
しいて言えば、飲酒・スーパー銭湯・旅行・ドライブ等々か・・・
できることなら、温泉旅行とか、あちこちのレジャー施設に行ってみたい。
しかし、今の精神状態では、うまい酒を飲むことはできないし、今の時勢では、スーパー銭湯にも出かけにくい。
開き直って長期休暇をとるくらいの余裕が持てればいいのだけど、懐具合とコロナ事情がそれをゆるしてくれない。
今できるのは、せいぜい、仕事中でも、車を運転しているときはドライブ気分を楽しむよう心がけることくらい。
特に、見慣れない景色の道や、遠出の道程は、自分の気分次第でどうにでも楽しめるから。

あと、身近にあり手軽にできることといえば、自然と接すること。
月星・太陽・空雲・海湖・山丘・森林・樹木・草花・風の音・鳥虫の声・・・視界に人を入れず、聴界に人の雑音を入れず、そういったモノに身を晒し、そういったモノの中に身を置き、そういったモノを眺めると、何とも気分が落ち着く。
もちろん、日常生活においては、世界遺産的な大自然に出かけることは簡単ではないけど、身近なところでも空は仰げるし、街路樹もあれば公園には草花もある。雑草でもいい。
実際、自然の中に身を置くメリットには科学的な根拠(フィトンチッド等)があるらしいから、おすすめである。


例年、冬場は、過酷な現場は減る。
低温乾燥の時季、遺体は腐敗損傷しにくい。
また、今年は、コロナの影響もあるのだろうか、仕事量も少ない。
肉体的には楽である。
しかし、“肉体的な楽”と“精神的な楽”は同一とはかぎらない。
このところは、ちょっとしたことが大きな問題のように感じられるし、些細なことが面倒臭く思えるし、大したことをやっていないのにスゴく疲れる。
心配事は、無数に湧いてくるウジのようにキリがなく、不安感は、無数に飛び交うハエのように光を遮る。
無力感・脱力感・虚無感・疲労感となって、私から意欲を奪っている。
精神と肉体のバランスが崩れているだけではなく、精神内の明暗・躁鬱のバランスも崩れているのは明らかである。

やはり、私は“デスクワーカー”ではなく“デスワーカー”。
文字を読むのが苦手なうえ、時代遅れのアナログ人間。
現場仕事がなくて、ずっと事務所にいると気分が煮詰まってくる。
ずっとキツイいのはイヤだけど、ずっと楽チンでいては身体も心も萎えてしまう。
ぬるま湯に浸かっているのは好きだけど、本当に ぬるま湯に浸かりっぱなしでは、人間がぬるくなる。
生活にはメリハリが、人生には彩が大切。
心身のバランスは、適度な苦楽があってこそ保てるのではないかと思う。


世の中に、腐乱死体現場、自殺汚染現場、ゴミ部屋、猫部屋等々・・・いわゆる「特別汚損現場」なんかない方がいいに決まっている。
しかし、現実にはそれがある。
言うまでもなく、私は、その後始末を生業にしている。
そこから糧を得て、それで生活している。
それが、「生きること、そのものになっている」といっても過言ではない。

おかしな現象だけど・・・
特殊清掃なんかやりたくないけど、やらないと心身が衰弱してくる。
きれいなモノばかり触っていたけど、自分の手が それを好しとしない。
きれいなモノばかり見ていたいけど、自分の目が それを好しとしない。
きれいなことばかり聞いていたいけど、自分の耳が それを好しとしない。
・・・私は、人生の半分以上をこうして生きてきたのだから、そんな人間になってしまっている。

凄惨な現場が好きなわけではない。
重度の汚染が好きなわけじゃない。
腐った人肉が好きなわけじゃない。
凄まじい悪臭が好きなわけじゃない。
ウジやハエ、ゴキブリやネズミが好きなわけじゃない。
ゴミや死骸、糞や尿が好きなわけじゃない。

当然、面白おかしい仕事でもなく、楽しい作業でもない。
ただ、そこに集中すると、上下・前後・左右、過去・未来のことが頭から離れて、その瞬間、余計な雑念を捨てることができ、無用な邪心を削ぎ落とすことができ、自分の芯を研ぎ出すことができる。
今風にいうと「全集中」で作業に没頭でき、いい意味で“無”になれ、一時でも強くなれるのである。
心的基礎疾患がある私にとって、これがいい薬になるのである。


春がくる頃には、コロナも、少しは落ち着いているだろう。
こんな私でも、必要としてくれる人が現れるかもしれない。
役に立てる現場があるかもしれない。
今は、その時季がくるまで、ジッと耐えるしかない。

春はくる。必ず。
それを信じて。


特殊清掃についてのお問い合わせは
0120-74-4949

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