前回5月26日の「兄妹」で書いたとおり、私には兄と妹がいる。
裏を返せば、「姉と弟はいない」ということ。
そんな私は、「姉」というものに憧れを持っていた。
母親の愛情に不足を感じていたのか、幼少の頃は「姉ちゃんがいたらよかったのになぁ・・・」と思うことがしばしばあった。
小学校低学年の時、姉が二人いる同級生(後に転校)がいた。
よくは思い出せないけど、当時、その姉二人は同じ小学校にはいなかったので、既に中学生や高校生だったはず。
つまり、“歳の離れた姉”ということ。
「可愛がってくれる」「世話を焼いてくれる」「甘やかしてくれる」等々・・・
級友から自慢話を聞かされたわけでもないのに、私は、“姉”というもの、とりわけ“歳の離れた姉”というものに対していいイメージしか持っていなかった。
唯一、姉に似た存在として、八つ上の従姉弟がいた。
お互いの家も近くはなかったし、それだけ歳が離れていると「一緒に遊ぶ」ということもなかった。
それでも、会えばフレンドリーに優しく接してくれ(それは大人になっても変わらず)、それが、私の“姉”に対するイメージを更に良いものにしていた。
訪れた現場は、東京 城東エリアの老朽マンション。
築年数は40年余・・・いや50年は経っているか、外見は公営団地、内装設備は木造アパートに見えるような地味な造り。
現場の部屋は小さめの3LDK。
人間同様、 “年相応”に内装・設備はボロボロ。
そんな中、この部屋をリフォームする話が持ち上がった。
そこで依頼されたのは、一時転居準備の一環である生活必需品以外の物品処分。
ただ、そんなフツーの仕事で当社が呼ばれるわけはなし。
実のところ部屋は半ゴミ部屋で、かつ家族間に温度差があり、依頼者が業者を厳選しての縁だった。
そこに暮らしていたのは、老年の母親と中年の息子(以後「男性」)の親子二人。
もともとは、父・母・娘・男性の四人家族だったのだが、娘は他所に嫁ぎ、父は既に他界。
男性は独身のまま、それから、ずっと二人暮らし。
つまり、男性は生まれてからずっと母親と一緒の生活。
食事・洗濯・掃除等々、身の回りの世話や家事全般は母親がやってくれるのが当り前。
社会人になってからも、男性は生活費を入れるだけ。
外身は大人でも中身は子供のまま。
そんな自由奔放な生活は何の訓練にもならず、結果的に、男性は、ゴミ出しはもちろん、ゴミをゴミ箱に入れることさえしない人間になっていた。
一方、母親の方は、還暦頃を境に老い衰えが目立つように。
「人間(生き物)の宿命(自然現象)」と言うには簡単だが、充分な家事ができなくなってきたことは 日々においては小さくても 年々においては大きな問題に。
そうして、部屋は次第に汚くなっていき、徐々にゴミ部屋化していったのだった。
男性には、歳の離れた姉がいた。
その姉は、若い時分に結婚し 家庭を持ち、少し離れた街に暮らしていた。
姉にとって、ここは母と弟の家でありながら自分の実家でもあり、もう何年も前から実家が荒れてきていることを把握。
母親が弱ってきていることを心配しながら、男性(弟)にキチンと家事をするよう、再三再四、発破をかけてきた。
また、時々足を運んでは、母親のために、掃除できるところは掃除し 片付けられるモノは片付けていた。
しかし、男性は姉の意見を聞き流し、一向に生活をあらためようとせず。
姉がどれだけ片付けても どれだけ掃除しても、男性の暮らしぶりがそれを邪魔立てし、ゴミ部屋化は止まらず。
結果的に、姉の手だけではどうしようもないくらいの状態になってしまったのだった。
3LDKの間取りのうちLDKや水廻りは親子共用、二部屋を男性が占有し、残りの一部屋を母親が使用。
計画されたリフォーム工事は、単なる新装工事ではなく、バリアフリー化をともなうもの。
部屋数を減らして廊下やバス・トイレを拡張。
新しい間取りでは、男性が自分の部屋として使えるのは一部屋に。
広さはこれまでの約半分。
今の二部屋分の荷物が新しい一部屋に収まり切るわけはなく、更に、現状は二部屋ともギュウギュウの物置のようになっているわけだから、大半を処分しなければ新生活が始められないことは誰の目にも明らかなことだった。
工事にあたって、母親と男性は仮住居に一時転居。
母親は娘(姉)宅に、男性はウイークリーマンションに移るため、最低限の生活必需品だけを残し、その他の物は処分することに。
「全部捨てていいくらい!」
「本当に必要なモノなら買い直せばいい!」
と、片づけの段取りは、姉が全面的に仕切って進行。
それについて、先が暮らしやすくなることに期待した母親は協力的。
一方、男性(弟)の反応はいまいち。
そもそも、男性はゴミや物を増やし部屋を汚してきた張本人なわけで、積極的に協力することは見込めず。
拒んだり難色を示したりする可能性も充分にある中、そんなことはとっくにお見通しの姉は、姉としての威厳と正論を武器に男性を屈服させるつもりのよう。
「コレも要らない! アレも要らない!」
「コレも捨てていい! アレも捨てていい!」
と、“男性の部屋=ゴミ箱”のような扱いで、ゴミ類はもちろんのこと、男性の所有物を含めて、部屋にある物の八割~九割くらいを 容赦なく“捨てるモノ”として指定した。
作業の日、一足先に娘(姉)宅へ転居した母親は不在。
姉は所用があって現場には来ず、男性一人だけが在宅。
ただ、作業の内容については姉とシッカリ話ついており、当方はその契約に則って施工するのみだった。
そして、当初は、男性も黙ってその様子を眺めていた。
が、しかし、作業の後半、作業の手が男性の部屋に伸びはじめたときに潮目が変わってきた。
男性の部屋は、床がほとんど見えておらず。
日用品をはじめ、書類や洋服が放られたまま。
雑誌・書籍・CD・DVD・アニメグッズ等が山積。
置かれた家具は埋没、押入も色んな物が重ね詰められて日常の用では使えない状態。
食べ物が混ざっていないことが“不幸中の幸い”だったものの、ホコリとカビが不衛生さに輪をかけていた。
DVDは大人モノと、昔のTVドラマや映画の類が混在。
CDや雑誌・書籍も古い物ばかり。
中には、大量の写真集もあった。
そのほとんどは、昭和・平成時代の女性タレントの水着姿やヌードを撮ったもの。
男性は、かなりの熱量で収集していたよう。
二百冊~三百冊くらいはあろうか、通販の箱にしまわれたままの物も多々。
「気持ちはわかるけど、さすがに集め過ぎじゃないか・・・」
と、羨ましさを通り越して呆れるような気持ちが湧いてきた。
それらの表紙や背表紙には憶えのあるタレントの名前や顔がチラホラ。
どうしても向いてしまう視線に困ったフリ(自分に言い訳)をしながらも、
「いた!いた! そう言えば、こんな人いたなぁ・・・」
と懐かしんだり、
自分のことは棚に上げて、
「もう、みんな いい歳のオバちゃんになってんだよな・・・」
と思って苦笑したり、
特定の名前が目につくと、
「この人に世話になったことあったなぁ・・・」
と青春を回顧したり、
スケベ心の中にも過ぎた時間の感慨が込み上げ、歳に似合わない甘酸っぱさが甦ってきた。
当初、男性の部屋についても、「生活必需品のみを残して、あとはすべて処分」という約束だった。
が、その場になると「要らないモノだけ捨ててもらえばいい」と微妙に変化。
色々と取捨選択しながら明らかなゴミだけを選別して捨てることを指示し、CD・DVD・書籍など、元々は捨てる約束をしていたはずのモノでも自分が捨てたくないモノは「要るモノ」として処分を拒み始めた。
しかし、男性の言うがままになると、片付ける量は契約した量の約半分になる。
そうすると、姉と交わした契約は不完全履行ということになり、当方に過失がないとはいえ、後で面倒臭いことが起こることも考えられた。
かといって、男性の許可なくその所有物に手を出すこともできない。
また、何の権利もない私が男性を説き伏せるなんてことできるはずもなく、「これ以上は無理そうだな・・・」と、思考は諦めの方に傾き始めていた。
とにもかくにも、業務上の権限は姉にある。
とりあえず、私は部屋を離れて姉に電話、困った状況になっていることを伝えた。
すると姉は、
「アイツめ、この期に及んで・・・」
と、イラ立ちを露わに。
「この後、どうればいいでしょうか?」
と指示を仰ぐと、男性と電話で話してもラチがあかないことを見越したようで、
「こっちの用は後回しにして、今からそっちに行きます!」
と、即座に自分の予定を変更。
そして、
「弟には、キッチリ言うことを聞かせますから!」
と、不敵な自信をみせた。
しばらくすると、姉がやってきた。
せっかくの美人が台なしになるくらいの鬼の形相で。
頭には、生えた角と 立ち昇る湯気が見えるような気がするくらい。
その登場により、静かに淀んでいた空気は波乱を予感させるものに一変。
「外せない用があるから来るわけない」と高を括っていたのだろう、突然 現れた姉に男性は驚愕。
“気マズい”をとうに越え、怯えたように顔を強ばらせた。
そんな男性に向かって、姉は長年に渡って溜め込んできた不満・憤り・ストレスを人目もはばからず爆発させた。
「アンタ! 何度言ったらわかんの!!」
と一喝。
そして、
「そのCD、もう何年も聴いてないでしょ!」
「DVDだって観るわけないし、本だって読むわけないよね!」
「そもそも、何がどこにあるか自分でもわかってないでしょ!」
「自分はやりたい放題やって、後始末は お母さんや私にやらせて、半人前のくせに一人前面すんじゃないわよ!」
と連打を浴びせた。
ヌード写真集に至っては、
「何でこんなにたくさんあんの!」
「全部いるの!? 全部見るの!?」
「気持ち悪っ!!」
と酷評。
続けて、「だからアンタは ずっと・・・」と、何かを言いかけた・・・
・・・ところで、何を思ったか、姉は悔しげな表情で吐きかけた言葉を呑み込んだ。
エロ本もヌード写真集も、姉(女)からすれば同じモノか。
しかし、男の都合では、それは似て非なるもの
“芸術愛好”と性的欲求“の狭間、その微妙な位置は、“こし餡orつぶ餡” “絹豆腐or木綿豆腐”くらいの違いかもしれないけど、いやらしい目で見るのか 美を求めて見るのか、見方を変えれば違いは大きい。
男性がどちらの嗜好で集めたものはかはわからなかったけど、男の私には、「捨てたくない」という男性の気持ちがどことなくわかった。
ただ、下手な口出しは藪蛇になりかねない。
私は、野球でも観るかのような軽々しい気分で姉弟の攻防を傍観。
姉は、そんな観客を無視して、言葉の剛速球を男性の胸元に投げ込み続けた。
しかも、一つ間違えばデッドボール、危険球退場になりかねないくらいの内角ギリギリに。
しかし、そんな試合を客席で観られていたのは序盤だけ。
女のヌードを好む男性を非難する口撃には、他の男までションボリさせてしまうような破壊力があり、男性のいるところにだけに敷かれていたはずの“針の筵(むしろ)”は、私の足元にまで広がってきた。
「どうせ姉は来ないし、テキトーに片付ければいい」
当初、男性は、片付け作業を“鬼の居ぬ間に洗濯”くらいにしか考えていたのかもしれなかった。
しかし、実際にそれは叶わず。
“自分で自分の尻を拭けないヤツは黙ってろ!”といった姉の圧に抗う力は男性になし。
結局、
「新生活に必要なモノではない!」
「リフォームした部屋を再びゴミ部屋にしたら許さん!」
と一方的に断じられ、拒んだモノのほとんどは姉の命令で処分されることに。
次々に運び出される趣味嗜好品を男性は諦念をもって眺めているほかなく、その寂しげな様子は やや気に毒に思えるものでもあった。
ただ、大人になっても、自分を律してくれる人がいるということはありがたいこと。
弟には、母親を頼りに生きるのではなく、自立して、自分と同じように あったかい家庭を持って幸せな人生を歩いてほしい・・・
姉の厳しい振る舞いは優しさの裏返し・・・
母親を想う気持ちだけでなく 弟を想う気持ちからでてきたものでもあったはず・・・
あの時「だからアンタは ずっと・・・」と言いかけて止めた言葉の続きは、おそらく「女に縁がないのよ!」
しかし、姉は、その優しさで痛烈な一言を途中で吞み込んだ・・・
・・・と、うまくまとめようとしつつも、私は、
「でも、あのタイプの姉さんだったら・・・俺はいらないかな・・・」
とも思ったのだった。